2009年10月24日(土)に開催された「見学会」の報告 | ||||
1.日 時 2009年10月24日(土) 13:30〜16:30 2.場 所 花車ビル北館 6階会議室 及び 堀川見学 3.参加者 21名 4.日 程 13:30〜14:30 「堀川1000人調査隊」事務局の服部宏氏による講演 「『堀川1000人調査隊』の活動を通して」 14:30〜16:30 堀川見学 (服部宏氏説明を受けつつ、花車ビル 〜 桜橋 〜 堀川西岸 〜 納屋橋・旧加藤商会ビル 〜 堀川東岸 〜 花車ビル を歩く) 16:30〜17:30 質疑応答・意見交換 18:00〜20:00 講師の服部宏氏を囲んでの懇親会 5.講演会 堀川は名古屋城の建設と同じ時期の慶長15年(1610年)に名古屋城の工事が始まり、その後、清洲から町ぐるみの引っ越しが行われ、名古屋の町が生まれました。この引っ越しを「清洲越し(きよすごし)」と言い、町でたくさんの人が生活するには、米や野菜、魚や塩など、いろいろな物が必要で、当時は一度に多くの物を運べるのは船しかありません。このため名古屋台地の西にそって、お城から当時の海岸であった熱田まで川を掘りました。これが堀川です。堀川は慶長16年(1611年)に完成しました。名古屋城の巾下門(はばしたもん)の近くから始まり、城下町のある広井、日置(ひおき)、古渡(ふるわたり)を経て熱田の海に注ぐ長さ約6km、幅22〜87mの川でした。福島左衛門大夫正則(ふくしまさえもんだゆうまさのり)が普請総奉行(ふしんそうぶぎょう)になり、美濃(岐阜県)や伊勢(三重県)などの大名にも手伝いを命じたと伝えられています。
高度成長期における産業活動の急速な拡大と人口の都市集中に伴い、堀川の水質悪化も進みました。しかし、堀川流域の相次ぐ下水処理場の新設・増設や、昭和45年のいわゆる公害国会(第64回臨時国会)を契機とする法整備が行われたことなどにより、堀川の水質も改善してきました。また、近年は、都心に残された数少ない水辺空間として堀川の存在意義が注目され、平成11年には「堀川を清流に」の20万人署名が現国土交通省中部地方整備局長、愛知県知事、名古屋市長に提出されるなど、さらなる水環境の改善が求められています。 6.担当幹事 横山芳昌、木村正彦 (愛知県技術士会) 松谷孝宏(文責)、桑野雅裕、横山芳昌 (中部建設部会) |