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【No.42】 「『ますや』 匠の技に思う」 技術士(建設、情報工学、総合技術監理部門) 後藤 武


 先日久しぶりに市役所を訪れた。相変わらず込んでいる。受付番号を受け取ってみると10名ほど待たなければならない。少し時間があるので椅子に掛けて待つことにした。待合場所の近くに大きな掲示板が置いてある。大垣市がいかに全国有数の産業を持っているか、ポスターや実物を誇らしげに展示している。自動車関連としては「ヒューズ」、「タイヤバルブ」、コンピュータ関連では「プリント基板」の生産が日本一であるらしい。「ガラスビン」生産も日本一である。珍しいところでは「土建用脚立」がある。建設業界に身を置きながら全く知らずに使っていた。なかでも目を引いたのは「枡の生産日本一」である。

 手続きを済ませての帰り道、先ほど展示してあった「枡の生産日本一」工場が近くにあるので寄って見ることにした。工場といっても製材小屋と小さなお店である。店の前には水門川が流れている。春には鮮やかな桜並木、秋には「たらい舟」が出て風光明媚なところである。往時は船で材料を運搬したのであろう。

正面入り口 洗練されたショーケース いろいろな枡 時計もありマス

 表玄関は小さな昔ながらの和風の造りである。おしゃれなショーケースもある。引き戸をくぐると薄暗い10坪ほどの土間に飾り棚を並べ小さな枡細工をきれいに並べている。スポットライトも工夫されなかなかきれいである。店内を物色していると中から若い女性の店員さんが現れいろいろ説明してくれた。この店は3代続いているそうである。枡を製作する上で難しいのは小さな製品を作るときだそうで加工機械も無いので手作業でやっているとのことである。奥の間を覗いてみると「枡」の柄を描くときのプリントマシンがおいてある。コンピュータに図柄を入力し描かせるそうで自分の好きなデザインが出来上がるらしい。しかし、檜の香りはなんともいえない落ち着くものがある。女性にそのことを言うと「私の祖父は木曾で大工をやっていました。私もヒノキの香りが大好きです」とのこと。

 私の父も大工であった。最盛期には何人かと仕事をしていたが、費用が掛からないので私も手伝わされた。今では少ない「建てまい」も経験した。父は普通の人には少ない大変便利な道具を持っていてかなり重宝していた。それは「右手も使える」左利き、簡単に言えば「左右利き腕」であった。私が感心したのは入母屋造りの隅木の先端を切るときである。隅木は庇の先端に乗りながら鋸で切る。利き腕が片方だけだと反対側は宙に身を浮かせなければならない。こういうとき両腕が使えると便利である。次々持ち替えてあっという間に切ってしまう。梯子を使えば何のことはないが四隅にあるので下の人が持ち回らなければならない。ただ、宴会のときは箸を持つ手が右利きの人と突き当たって苦労していたようである。

 枡作りも大工も代々引き継がれた匠の技である。私も先人が築いてくれた技術を大切に受け継ぎながらさらに精神力、技術力に磨きをかけなければならない。