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ビスマルク

ビスマルク
カクテルレシピ
  • スタウト --- 1/2
  • シャンパン --- 1/2

以上の材料を8オンス・タンブラーに注ぐ。ステアしない。

カクテル情報

このカクテルの製法でステアをしないのは、もちろんスタウトの炭酸が抜けてしまうからです。ビスマルクとは人名で、プロイセン王国の首相で、後にドイツ帝国の初代宰相になった人物です。正式な名前はオットー・エードゥアルト・レーオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼンといいます。「鉄血宰相」という異名も持っています。これはドイツ統一の際の演説で「現在の大問題は、演説や多数決ではなく、鉄と血によってこそ解決される」と言ったためです。「現在の大問題」とはドイツの統一で、「鉄」とは大砲や銃のことで、「血」とは兵隊のことです。当時のドイツは各諸侯が権力を持ち、プロイセンもその一有力諸侯に過ぎませんでした。彼は優れた政治家で特に外交の分野では、ヨーロッパの秩序を作ったとまでいわれています。その秩序は「ビスマルク体制」と呼ばれます。プロイセンの首相時代に、彼は同盟関係をうまく利用し、デンマーク、オーストリア(普墺戦争)、フランス(普仏戦争)と相次いで戦い、全ての戦いで勝利を収めました。普仏戦争で勝利したプロイセンは1871年1月18日にヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の初代皇帝としてヴィルヘルム1世の戴冠式を行いました。こうしてプロイセンを主導として各地の諸侯を従わせ、中央集権化を推し進めドイツ帝国は築かれました。フランスのナポレオン3世を捕虜にして、フランス第二帝政を終わらせた普仏戦争はこの日本にも影響を及ぼしています。当時の日本の軍隊では、近代軍隊を構築するにあたってどの国の軍隊を参考にするかで各派閥がありました。しかし、この戦争でプロイセンが勝ったことでドイツ式の軍隊の支持者が力を持つことになりました。ドイツ帝国が完成したあと、ビスマルクは初代宰相となりましたが、そこでも外交に敏腕をふるいました。しかし、1888年にヴィルヘルム1世が死去し、その息子のフリードリヒ3世も皇帝についてからわずか3カ月で死去しました。そうしてフリードリヒ3世の長男のヴィルヘルム2世が、1888年6月15日皇帝になると、内政や外交で激しく対立し、ついに1890年にビスマルクは解任され、1898年7月30日に死去しています。ヴィルヘルム2世は若く野心的な皇帝で、ドイツ帝国の勢力拡大を無理にしようとしました。ヴィルヘルム2世は、1905年にはタンジール事件を起こしました。そしてイギリスの「3C政策」に対抗して「3B政策」を打ち出し、これがヨーロッパ各国の逆鱗に触れ、ドイツ帝国は孤立しました。そして1914年6月28日にオーストリア皇太子夫妻がセルビア人青年に暗殺されるというサラエボ事件が起こり、これがきっかけとなり第一次世界大戦が勃発しました。第一次世界大戦では、ドイツ帝国はオーストリア=ハンガリー帝国、オスマン・トルコ帝国など同盟国側として参戦しましたが、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国側に敗北することになります。1918年11月28日、オランダに亡命していたヴィルヘルム2世は退位の署名をして、ドイツは共和制へ移行しビスマルクが築いたドイツ帝国はわずか3代で崩壊しました。

 
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