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チャールズ・エドワード・ステュアート

チャールズ・エドワード・ステュアート チャールズ・エドワード・ステュアートは、ステュアートという名前をもっていることからも分かるように、イギリス王室ステュアート家の系譜にあった人物です。イギリスの王位継承権を主張して、イギリスに反旗を翻した人物です。リキュールにドランブイがありますが、この酒はステュアート家に伝わる秘伝の酒でした。彼はこのドランブイの製法を現在に残した人物でもあります。ドランブイのラベルには「王子チャールズ・エドワードのリキュール(Prince Charles Edward's Liqueur)」と書かれています。

チャールズ・エドワード・ステュアートは、 1720年12月31日にジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートとポーランド王の孫娘メアリー・クレメンティナ・ソビエスカの長男として生まれました。チャールズ・エドワード・ステュアートの祖父はイングランド王だったジェームズ2世で、チャールズは王位継承者となるはずでした。ところが、1688年に名誉革命が起こり、ジェームス2世はイングランド議会が後継者としてオランダから呼び寄せたオレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世として即位)によって、フランスへの亡命を余儀なくされました。ジェームズ2世の長男でチャールズ・エドワード・ステュアートの父親のジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートはフランス王ルイ14世によって、正統な王位継承者だとされていました。イギリス国内のジャコバイト(反革命派)もこれを支持し、チャールズ・エドワード・ステュアートも正統な王位継承者としてジャコバイトによって支持をうけました。

チャールズ・エドワード・ステュアートは、イギリスの王位継承権を主張し、度々ジャコバイトの支援をうけブリテン島への上陸を試みますが、なかなかうまくいきませんでした。しかし、1745年にジャコバイトが蜂起したのをきっかけにチャールズ・エドワード・ステュアートはブリテン島への上陸に成功しました。反乱軍はスコットランドの首都エディンバラを占領し、ついにイングランドへ攻め込みました。しかし、ジャコバイトの勢力はイングランドでは弱く、1746年のカロデンの戦いで、反乱軍はカンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス率いる政府軍に惨敗しました。この戦いで、カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタスは、「屠殺屋」の異名をもらうほど反乱軍を容赦なく虐殺しました。チャールズ・エドワード・ステュアートは変装して戦場を抜け出し、フランスに逃亡しました。

チャールズ・エドワード・ステュアートはフランスに逃亡する際に、スコットランドのスカイ島にたちよっています。そこで褒美として、勇敢に戦い戦果をあげたジョン・マッキノンにステュアート家に伝わっていたドランブイの製法を教えました。チャールズ・エドワード・ステュアートはフランスに着いたあとイタリアに渡り、1788年1月31日ローマで死去しました。ドランブイの製法は、彼の死後もマッキノン家の人々によって引き継がれ現在まで残っています。

 
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