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キャンベルタウン

キャンベルタウンとはキンタイア半島の先端にある人口5000人ほどの町の名前です。スコッチ・ウイスキーの生産地を細かく分類するときに、キャンベルタウンはその一地域とされます。産業はウイスキー製造、漁業、造船業、鉱業でしたがどれも衰退してしまいました。20世紀初頭、この町は「ウイスキー産業の中心地」「世界のウイスキーの首都」などと呼ばれ、最盛期には34の蒸留所(公式な記録では33)がありました。キャンベルタウンがウイスキー製造の一地域と分類されているのは、このためです。ニッカウヰスキーの創始者、竹鶴正隆氏もキャンベルタウンでウイスキー造りの経験を積みました。しかし現在は、2つの蒸留所が残っているのみです。しかも、そのうちの一つの蒸留所は、不定期に操業が行われるという状態です。「キャンベルタウン・ロッホ(キャンベルタウンの入り江)がウイスキーで満たされていたら…」という歌がこの町には残っています。ウイスキー産業の繁栄を物語る歌です。ある蒸留所の経営者が借金苦により入水自殺したのは、この入り江でした。それ以来、その蒸留所では自殺した経営者の幽霊が出ると噂になりました。キャンベルタウンのウイスキー産業衰退の原因は、ウイスキーの質より生産量を重視したことにより、質が低下したためだと言われています。キャンベルタウンのウイスキーの主要な出荷先だったアメリカでは、キャンベルタウン産のウイスキーは粗悪品とされました。また、アメリカでは1920年には全ての州で禁酒法が施行され、1929年には世界大恐慌が起こりウイスキーの消費量は劇的に減少しました。1933年にアメリカの禁酒法は破棄されますが、粗悪品というイメージがついたキャンベルタウンのウイスキーは販売量が回復しませんでした。生産量を増やすために多額の設備投資をしていた蒸留所では、生産は可能だが販売ができないという状態となり、蒸留所の稼働率は低迷したままで、過剰な設備投資に使った借金の返済に窮するようになりました。そうして多額の負債を抱えた蒸留所は、ウイスキーの原料を買うのにも困るようになり、次々と閉鎖に追い込まれました。現在も残っている蒸留所は、他の蒸留所がウイスキーの増産に踏み切る中で、頑なに伝統の味を守り、無理な増産はしませんでした。伝統の製法で生産されるそのウイスキーは、世界中に愛好者がいて高い評価を受けています。こうしてキャンベルタウンのウイスキー産業の繁栄は現在では過去のものとなり、スコッチ・ウイスキーの生産の中心はスペイサイドに移っています。

 
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