アル・カポネは、イタリア系アメリカ人で、26歳でギャングのトップとなり、シカゴを中心にして様々な違法な稼業を始めました。その中には1920年にアメリカの全州で施行された禁酒法に伴う、酒の密造、密輸入も含まれていました。アル・カポネは酒の密輸で莫大な富を築きました。禁酒法と一緒にアル・カポネの名はまず出てくるものです。彼は非常に暴力的で、ギャング仲間の集会で裏切り者がいると言い、その場でバットを振り回し裏切り者を撲殺したこともありました。また対立するギャングを皆殺しにする事件も起こしました。アル・カポネは人心を掴むことにも長けていました。警察関係者に賄賂を贈り、彼らを仲間にしてしまったのです。また慈善事業と称して貧しい人々に食料をふるまいました。実際には地元の食料品店に圧力をかけ、これらの店がお金をだしたのですが、こうした行為で貧しい人々からは支持を集めました。アル・カポネは恐怖と慈悲をうまく使い分けたのです。このような人物ですが、母親に対しては従順で非常にやさしく接したそうです。母親は後のアル・カポネの裁判では「非常に優しい子」と証言しています。
彼のこの黒いながらも華やかな人生は、逮捕と有罪判決によって終わりました。裁判の際に陪審員に賄賂を贈っていたのですが、この陪審員はアル・カポネを裏切りました。こうしてアル・カポネは長期間の服役を余儀なくされました。尚、アル・カポネを裏切った陪審員はその後、殺害されています。刑務所にはいったアル・カポネですが、そこでは他の囚人からの標的に過ぎませんでした。また、アルカポネは神経梅毒を患っていて、次第に神経を侵され正常な判断ができなくなっていきました。アル・カポネが刑務所を出るころには、かつての自信に満ち溢れた姿はありませんでした。もはや、だれもアル・カポネのことを支持する人もおらず、さびしくこの世を去りました。