楊貴妃は中国の唐の皇帝玄宗に寵愛された妃です。姓は楊、名は玉環、貴妃は皇妃としての順位を表す称号です。玄宗は開元の治と呼ばれる政治を行い、唐の全盛期を築きましたが、後半の治世は楊貴妃を寵愛するあまり政治に無関心になりました。玄宗に代わって宰相李林甫が政治を行うようになりましたが、李林甫が死去すると、楊貴妃の従兄楊国忠と節度使安禄山が政治の実験を握り、両者は激しく対立しました。楊国忠は名声を得るために無謀な遠征などを行い、民衆の憎悪と軽蔑を招き、唐の国力を著しく落としました。756年になると、身の危険を察した安禄山は反乱(安史の乱)を起こしました。瞬く間に安禄山は唐の主要都市洛陽を陥落させ、首都長安に迫ってきました。玄宗、楊国忠、楊貴妃たちは蜀へ向い逃亡しようとしましたが、逃亡の途中、楊国忠は強い恨みを抱く兵士によって殺害されました。さらに、兵士達が玄宗に対して楊貴妃も楊国忠と同罪であるとして処刑することを強く要求したため、玄宗はやむなく楊貴妃を縊死させました。反乱を招いたことにより楊貴妃は、「傾国の美女」と呼ばれています。
楊貴妃は果物のライチが好物で、南方からはるばる長安までライチを運ばせていました。カクテルの「楊貴妃」にライチ・リキュールが使われているのは、このためです。