大切な人、へ
目の前の白と赤で構成されたケーキを、はむはむと口に運ぶ。夕飯をあれだけ平らげたというのに、底なしの食欲だ。
だが、この上なく幸せそうに、満面の笑みを浮かべて食べるその姿を見れば、まぁいいか、などと思えてしまう。
「ガッシュちゃんのお口に合うかしら?」
「ウヌ、母上殿の作った物は、何でも1番美味しいのだ!」
手放しの賞賛の言葉に、華は満足そうに微笑む。気持ちいいほどの食欲と、最高の賛辞、ここまでされて気をよくしない人間もいないだろう。
「よかったわ。ケーキなんて久し振りに作ったのよ。清麿と2人じゃ食べ切れないもの」
「ウヌウ。私ならいつでも一杯食べられるぞ」
期待を込めた眼差しを華に送り、そちらへ伸ばされたガッシュの手を、清麿が掴んだ。
「こら。お前、手や顔ベタベタだぞ」
「ヌ?」
言われて、ガッシュは己の手を頬に当てた。確かに、べちゃっと柔らかい物が押し潰された感触が指に伝わる。
ガッシュの行動に、清麿は慌てた。ただでさえ悲惨な状態を、これ以上悪化されては堪らない。濡らしたタオルをガッシュの頬に押し当てて、擦り付けられ溶けかけたクリームを拭ってやる。
「ほら、手も。――あー…、風呂で洗わないと取れないな、これは」
生クリームは表面上を取り払っても、肌にベタベタと油っぽさを残している。少しならともかく、子どもの食事の作法ゆえ派手にクリームを飛ばしていて、石鹸で擦らなければ落ちそうもない。
「…風呂場に直行だな」
「折角のクリスマスだもの。一緒に入って洗ってあげなさいよ」
「そうだな。行くぞ、ガッシュ」
クリスマスでなくとも毎日一緒に入っている気はするのだが。清麿は立ち上がり、ガッシュを促した。だが、ガッシュはぶんぶんと大袈裟なまでに首を横に振り、入浴を拒否した。
「まだ、ケーキを食べ終わっていないのだ!」
「…まだ食うのか」
呆れたとばかりに吐かれる清麿の溜息も意に介さず、ガッシュはケーキに向き直る。やたら真剣な顔で、残ったケーキを一心不乱に食べ始めた。
華は嬉しそうに笑み、清麿は再び椅子に腰を下ろした。
「そうだ、清麿。ガッシュちゃんが食べてる間に、『あれ』持って来れば?」
「ああ」
華の言葉に、清麿はリビングの奥へと入って行った。ガッシュはそれを目で追い掛けながらも、ケーキを疎かにするわけにはいかず、フォークを口に運び続ける。
がさりとビニールか何かの乾いた音が立つ。清麿の姿はガッシュの位置からは確認できない。その行動が知りたくて華に視線を遣るが、彼女は黙って微笑むだけだ。
ケーキが粗方片付いたところで、ガッシュはフォークを下ろした。皿と金属が触れ合って、かちんと澄んだ音を鳴らす。
清麿は両手を背後に隠して、ガッシュ達の元へ戻って来た。
「清麿…?」
ふたりは親子だけあってとてもよく似た顔で、笑う。清麿は背中に回していた腕を、前へ突き出した。
「メリークリスマス、ガッシュ」
その手にあったのは、赤い包装紙に、白のリボンが綺麗に結われた包み。その可愛らしさに目を奪われ、一瞬言葉と思考を失う。
どうすればいいのかわからずに戸惑うガッシュの両手に、清麿はその包みを乗せた。
「これ、は」
「クリスマスプレゼント」
あ、手がまだベタベタだから、自分では開けるなよ、と忠告を付け足しておく。
「クリスマスとは清麿からもプレゼントを貰えるものなのか?」
誕生日のようなお祝いごとではないと、華に先日教えてられていた。
「お袋、クリスマスのことちゃんとガッシュに教えなかったのか?」
「難しいじゃない。ケーキとサンタクロースの話はしたんだけど」
確かに、クリスマスの存在も知らない魔物の子に、クリスマスの概念を伝えるのは難しい。日本のように宗教色の薄れたイベント扱いしている国では、特に。
「とにかく、お互いにプレゼントを交換し合う日でもあるのよ、クリスマスは」
「―て、おい」
どう説明すべきかと首を捻る清麿だったが、華は簡単に意味を示した。朗らかにいい加減な説明を施されても困る、と清麿は声を上げる。
華はいい加減な説明を、いい加減な気持ちでしたわけではない、と目で語る。
「だって、大切な人に大切なものをあげる日って、あったほうがいいでしょう?」
要点を確実に外していて、だが妙に胸を打つ解釈に、清麿もガッシュも口を噤んだ。
清麿はそこまで考えていたわけではない。ただ、クリスマスだからガッシュに何かプレゼントを、と思っただけだ。
本の色と同じ、真紅のマフラー。少々派手だが、黒いマントを纏っているガッシュには、きっと映えるだろう。そう思い、小遣いに多少無理を言って購入した物だ。
ガッシュは手放していたフォークを、再び手に収めた。ぎゅうと握り締めたそれで、皿の上にある赤を突き刺す。
「――清麿っ!」
パートナーの名を叫び、フォークを彼の眼前に突き付けた。急に向けられた刃物に近い金属に、清麿は仰け反るように上体を後方へやった。
「あぶな…っ」
「メリークリスマスなのだっ!」
突拍子もない攻撃に、抗議の言葉を口にしかける。だが、口を開く前に、フォークの鋭利的な部位には赤い苺が刺さっていて、殺傷能力がないことに気付いた。
ガッシュは、フォークの先の苺を清麿の口元に押し付ける。
「この苺を、清麿にあげるのだっ!」
「…………は?」
最後にと取っておいたケーキの苺を、ガッシュは清麿に差し出したのだ。子どもの楽しみを奪う気などない、と清麿は首を振ろうとした。
ガッシュは一度だけ、未練の残る目を苺に遣ってから、真っ直ぐに清麿へと視線を向ける。
「この苺は、今私がいちばん大切なものだ。だから、清麿にプレゼントする」
苺の纏った白いクリームが、たらりと流れる。やがてクリームがさらに落下するまで、その緩慢な動きは続いた。
ガッシュのちっぽけな『大切』の大きさに、心を奪われる。
清麿は口を開け、苺を迎え入れた。きっと、ここで断るほうが、子どもの決心を踏みにじることになるのだ。ガッシュは開かれた口内に苺を差し入れた。
冬の苺の酸味と、生クリームの甘さが相俟って、ちょうどよくなるはずだと言うのに。口内に広がったのは、甘くて、甘い味。際限のない甘さに、微苦笑が洩れるほどだ。
「ウヌウ、美味しいか?」
「…こんな甘い苺、初めて食べたな」
「ウヌ!」
清麿の言葉に、ガッシュはそうであろうと大袈裟に胸を張る。清麿はテーブルに置かれたガッシュへのプレゼントへ手を伸ばした。リボンを解き、包装紙から中身を取り出す。中から覗いた赤いマフラーに、ガッシュは目を輝かせた。
マフラーに触れたそうにしているガッシュの手をやんわりと止めて、清麿はガッシュの首にマフラーを巻いてやった。
柔らかく首を温めるそれに、ガッシュはふんわりと顔を緩ませる。
「…とってもきれいで、温かいの」
清麿はガッシュの金色の髪を優しく掻き混ぜた。
もし、この日を忘れてしまうときが来ても。
今日、贈ったもの。
それだけは、心に残しておいて欲しいと思った。
大切なもの。
大切な人、へ。
無意識下の意識で願ったこと、それがお互いに全く同じことだと、そう知ることができるのは。
きっと、今は見えない未来の話。
END
あとがき
えー…、ネタを考えてまして。
ガッシュに赤いマフラーをプレゼントする清麿と、清麿に大切に残しておいたケーキの苺を、
「私が一番大切にしているものを、清麿にあげるのだ!」
と言うガッシュが浮かびまして。
苦し紛れのようなラストの数行は、一応最初から決めてあったのです。ただ、上手く繋げられなかっただけで…。
そっちのほうがキツい気もしますが。