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 自動ドアの開く音に、清麿は商品の補充の手を一旦止め、振り返った。
 接客七大用語とマニュアルに記される一つを発しようとして、だがすぐに言葉を切り替えた。
「何だ、お前か」
「ウヌウ。何だ、とは冷たいの」
 清麿の淡白な対応に、店内に入った高校生は口を尖らせる。
 清麿は補充用商品の積まれた台車を端に寄せ、通路を空けてやった。客の少ない時間帯を選んで集中的に補充を行うため、この時間の店内は商品で通路が塞がっているのだ。
 高校生は空いた通路を通って、清麿の側に立った。
 清麿はそれきり高校生に声を掛けることはなく、棚と向かい合い商品補充を再開する。
 高校生も清麿の邪魔をしようとはせず、ただ清麿の隣で作業を見守る。
 有線が流す今週のベストテン入りを果たした曲と、時計の秒針の音だけが店内を支配していた。
「こんな時間に出歩いていていいのか?受験生」
 時計の長針が四歩分進み、深夜の二時七分を示したとき、清麿は口を開いた。
 明日――もう今日になっているが――は、センター試験第一日目で、国公立大学を志望するものにとっては命運を分けると言って過言でない。
 睡眠を取ることも勉強をすることもせず、コンビニになど出向くとは、随分と余裕に構えているものだ。
 高校生は苦笑を顔に浮かべ、彼にしては珍しく歯切れの悪い口調で言った。
「ウヌ。出歩いていていいとは思わぬのだが…何とも、上手くいかぬものでの」
「眠れないのか?」
「情けないのだが…」
 照れたように、赤らんだ頬を掻いてみせる。
 言いたいことがあるのだ。
 そんな様を隠し切れず表情に滲ませながらも、口に出そうとはしない。
 言葉にするのを躊躇させる、小さなプライドがある。
 高校生はとうとう言葉を呑み込んで、なかったことにしたようだった。無理に作った、不自然な笑顔を見せる。
 手近にあった眠気覚ましのガムを手に取って、レジのカウンターに示す。
 清麿は無言で高校生の手からガムをむしり取ると、元の位置に戻した。
 高校生がぱちくりと瞬きをする間に、飲料コーナーに引きずって行く。
「何なのだ?」
 困惑するガッシュの眼前に、500ミリリットルのパック牛乳を突き付ける。
「寝ろ」
「ウ、ウヌ?」
「二時間でも一時間でも、何なら横になってるだけでもいい。眠らないと、頭の働きが鈍る。ホットミルクでも作って飲んで寝ろ」
 有無を言わせぬ迫力でパック牛乳を高校生の手に押し付ける。
「じゃあ、さっさと帰って、さっさと寝ろ」
「ウヌ。代金は…」
「そんなものはいいから、さっさと帰れ」
 振り返ろうとするのを制し、高校生の身体を自動ドアのほうへ追い立てた。
 前に立つ者を感知してドアが機会音と共に開き、冷たい外気が店内に流れ込む。
 ほんの数瞬冷気に怯み抵抗の緩んだ身体を、一息に店外へ押し出した。
 高校生は勢いで数歩たたらを踏む。落ち着いたところで体勢を立て直し、再びこちらを振り返ろうとした。
 目線が、衝突する。
 言いたいことがあった。
 高校生が口に出すことの叶わなかった言葉とは、僅かに異なるのかもしれない。
 それでも清麿に求めた本質は変わらないもので、清麿はそれに気付いている。
 高校生の不安は、わかっていた。
 けれどそれをカタチにすることは戸惑われ、ただ、今必要な言葉だけ、何とか絞り出した。
「…おやすみ」
 高校生は瞠目し、振り返ろうとした姿勢そのままで硬直する。
 ぱちり、と一度目蓋を下ろしたのを契機に漸く金縛りが解けたようで、ゆっくりと落ち着いた動作で清麿に向き直った。
 頬を薄く染め、照れくさそうに、嬉しそうに微笑む。
「ウヌ」
 牛乳パックを右手にしっかり持って、軽く清麿に頭を下げると、踵を返した。
 去って行く背中を見送ろうとはせず、清麿はさっさと店内に戻った。
 周りの空気が、温かいものに入れ替わる。
 自動ドアの開閉時に鳴る音が、妙に耳に残る。
 高校生の試験が上手くいきますように、などと天に祈る必要などない。
 実力が足りなければそれだけの、じゅうぶんであったらそれだけの結果が出る、明確な回答が用意されているマークシート方式では評価方法は単純明快だ。
 自身が望んだ進路のため、足りない学力の分だけこの一年努力を重ねてきた。
 清麿の祈願などなくとも、必要な点数が得られるはずだ。
 もし点数を取ることができないのなら、高校生の努力が足りなかった、それだけのことだ。
 今更、清麿にしてやれることなど、ない。
 ただ、せめて。
「…おやすみ」
 誰に届くこともない言葉を呟く。
 何かを誰かに祈ることはしないけれど、高校生が少しでも安眠を得て、思考が充分に働くように、願った。






 えんど







 あとがき
 清麿がコンビニで「いらっしゃいませー」って言ってくれたらなあ。
 ガッシュがお客さんだったらなあ。
 それで、ガッシュは高校生で三年生の受験生だったらなあ。
 という妄想の産物。受験生×コンビニ店員(深夜)。
 清麿は大学生で、主に深夜のコンビニで勤めています。
 何故なら深夜の密会のほうがそそられるから。
 今回はセンター前夜編でしたけど、他にも同設定で書けたらなと思っています。
 しかし、大学受験って他に何があったか今一思い出せないんですが…。
 受験生に20のお題とかないかと検索中です。
 あ、ちなみにガッシュに押し付けた牛乳代は、ちゃんと清麿が後で代金支払ってますよー。


イロモノ部屋