Seesaw Game
無言で差し出されたグラスを躊躇いがちに手にし、軽く呷る。
一口を口に含んだ瞬間、清麿は苦々しげに眉を顰めた。口内に広がった味は水っぽく、とても飲めたものではない。
「…作り直す」
「それは必要ない」
材料を集めようと手を伸ばした清麿を、ゼオンは一言で制する。
あまりの不出来な味にこのままで納得がいかないのだが、客の希望を無視することはできない。
清麿は渋々ながらもゼオンの言う通り、手にしている瓶を元にの位置に戻す。
ゼオンは取り戻したグラスを手の内で軽く揺すりながら、緩く口角を上向けて見せた。
その視線が含む意味は、したくなくとも充分理解できてしまう。清麿は幾らか逡巡するが、結局諦めて口を開いた。
「あいつと、喧嘩したと言うか…」
言い掛けた途端、つい先程出来事との感情が蘇り、冷静な思考にひびが入る。口にした言葉を、清麿はすぐに否定した。
「いや、あいつが馬鹿なだけなんだけどな」
「今更気付いたのか」
ゼオンは清麿の言葉を一切否定することなく、当然のように言い放った。これが血を分けた弟に対する態度とは、どうも理解し難い。
現在ガッシュに対し悪感情を持っている真っ最中の清麿でも、さすがにそう思う。
怒りの感情が消えたわけでは全くないのだが。
「だから、あれを相手にするのはやめろと、俺が散々忠告しただろう」
「…ああ、そうだな」
何が楽しいのか、ゼオンは先刻から口角に浮かべた笑みを絶やそうとしない。
いや、本当は理由などわかっている。清麿とガッシュの不仲が楽しく、おかしくて堪らないのだ。
「あいつなど、さっさと見限ってしまえばいい」
ゼオンは右手のグラスを清麿の目線に届くよう持ち上げる。中の液体の表面が、つられるように波を立てた。
氷の分量を誤ったために、水っぽく、とてもお客様にお出しできないものが出来上がってしまった。
どんな精神状態にあろうとも、お客様に最上級の味と時間を提供できないのなら、バーテンダーとして失格だ。
この店のチーフを任せられる者としての適性についても、ゼオンは指摘しているのだろう。
「俺の元でならば、お前はその能力を100%活かすことができる」
「…優秀な秘書がいるんだろ、お前の会社には」
「確かに、あいつも使える奴だ。だが、お前の力も必要だ」
こんな会話は顔を合わせる度に交わしている。
いつもと違い気持ちが揺れるのは、ゼオンと清麿の間にあるグラスの存在が影響しているのだろうか。
中の液体の色を目にする度、何かが崩されていくような感覚がある。
「俺は…」
「きよまろ!!」
店内に流れる緩やかな空気を破壊するように、入り口のドアが豪快な音を立てて開かれた。
同様に破壊的な大声を伴って。
深刻に張り詰めた感情など一瞬で霧散してしまう。
清麿は唐突に訪れた異常事態に、数度瞬きを繰り返す。ゼオンは他方を向いて、忌々しげに舌打ちをする。
音と同時に、一人の青年が店内に足を踏み入れ、余裕のない足取りでカウンターへ向かう。
カウンターに座るゼオンに何か言いたげな視線を送るが、すぐに清麿へ向き直った。
カウンターに両手を付き、清麿にぐっと詰め寄る。
「私が悪かったのだ!!」
店内に響き渡る大声で、ガッシュは清麿に深く深く頭を下げる。両手をカウンターに押し付けているものだから、土下座でもしているように見える。
呆然とガッシュを見遣る清麿に、なおもガッシュは言葉を続ける。
「もう口答えなどせぬ。練習ももっと真剣にやる。だから、またカクテル作りを私に教えてくれ」
徐にガッシュは頭を持ち上げた。その視線が清麿の視線とぶつかり、そのまま据えられる。
意志の宿った金色の瞳と、対峙する。
「清麿と一緒に、店を守っていきたいのだ」
清麿は強く、目を瞠った。
ガッシュは持ち上げた頭を再び下げて、目線を下ばかりに向けて、清麿の返事を待っている。
清麿はどう答えるべきか迷い、思考が纏まる前に手を伸ばしていた。
ガッシュの金髪にぽんと手を置き、宥めるように掌を動かす。
ガッシュは恐る恐るといった様子で、ゆっくりと顔を上げた。
「さっきは俺も言い過ぎた」
「…ウヌ」
「お前は頑張ってると、まあ、思う」
「ウヌ!」
「だから、とりあえず…」
清麿はガッシュの輝く金色の髪を力任せに引っ張り、頭を持ち上げようとする。
頭皮が訴える痛みに耐えかね自分から上げられた頭を更に引き寄せると、カウンター越しに両腕でホールドしぎりぎりと締め付けた。
「とりあえず、その格好を何とかしろ」
「ヌ…グ…わか・・・っ・・・たの・・・だっ」」
現在ガッシュが身に着けている衣服は極めてラフなもので、着の身着のまま家を飛び出して来たような格好であった。とても、この店のオーナーとして格好が立つものではない。
ヘッドロックで呼吸活動を阻害されつつも、ガッシュは声を絞り出し返事をした。
清麿が解放してやると、ガッシュは首を掌で擦り宥めながら、カウンター内へと足を向ける。
ガッシュが己の背後を通り過ぎるのを、ゼオンはこの世で最も気に入らない出来事に遭遇したような顔で、再び盛大な舌打ちをした。
清麿はそれに笑いながら、ゼオンの目の前に置かれた失敗作に手を伸ばす。
「やっぱり、作り直す」
「・・・好きにしろ」
こちらを見もしないで吐き捨てるゼオンに、清麿はまた笑った。
今度の失敗はあり得ないのだと、二人ともわかっていたのだ。
一刻も早く着替えを終わらせようと慌てているガッシュの立てる騒音が、店の奥から店内にまで響いている。
ゼオンは不愉快そうに、清麿の出した新しいカクテルのグラスを傾けている。
清麿は、ガッシュが出て来たら真っ先に殴ろうと、銀色のトレーを右手に用意した。
END