はっぴぃ★はっぴぃ 







 誓います、と迷いのない声で彼が答える。
 次は己の番だ。新婦が読み上げる言葉は、耳は知覚しているのだろうが、頭には入って来ない。入って来ないはずなのに、それはまるで死の宣告を受けているかのように、清麿をひどく怯えさせる。
 新婦の言葉が恐いのではない。恐れているのは、自分自身だ。言葉に応じれば、たとえこの行為が形式上のもので、如何なる拘束力も持たないとは言え、もう戻れない気がした。それでも、逃げたり断ったりしようとする気は湧いてこなかった。
 逃げることなどできないと、どこかで気付いているのだ。
 それでも、もしも。もしも、と思わずにはいられない。
 …もし彼が、逃げよう、と。断ってくれ、と自分に言ってくれたのならば。
 不意に神父の声が止み、その視線が清麿に向けられた。清麿が誓いますと一言呟けばそれでこの喜劇は幕を下ろし、ゲームオーバーとなる。逃げたい気持ちはあった。だが、
 「…清麿?」
 促すその言葉に逆らうことはできず、震える喉から肯定の応えを発しようとした。

 ばんっ。

 教会に響き渡る大きな音に、清麿は開きかけた唇のままその発生源を振り返る。発生源…開け放たれた扉から差し込まれる光、逆光に照らされた小さな影に、目を瞠った。
 まさか。あいつがここに来るはずがない。
 それでも、あの小さな身体は紛れもない彼のものだ。自分が彼を見間違えるはずがない。
 信じられない思いで、彼の名前を口に乗せようとした。
「…ガッ…」
「待つのだ―――っ!!」
 清麿の言葉を遮る大音声で叫ぶと、ガッシュの小さな身体は弾かれたように飛び出した。一気にバージンロードを駆け抜けて、祭壇の前まで辿り着く。
 呆気に取られる面々に構わず、ガッシュは清麿の前に立ち、庇うように大きく両手を広げた。
「悪いが、お主に清麿は渡せぬのだ!」
 堂々と宣言し、ガッシュは新郎を真正面から睨み付ける。
 ライバル宣言を受けた新郎は不測の展開に頭が着いて来ないらしく、言葉もない。それは神父及び参列者も同じらしく、次の行動に出れないでいた。
「…っだ――――っっ!!!」
 立ち直りが最も早かったのは、ガッシュの行動に幾らか免疫のある清麿だった。我を取り戻した途端、衝動のままガッシュの脳天に拳を振り下ろす。ごすっと鈍い音を立て、ガッシュはその場に倒れ付した。
 清麿は周囲を見回し、参列者がまだ状況の把握もできていないのを確認する。今しかない。
 清麿の一撃により沈んでいるガッシュを小脇に抱え、空いているほうの手で纏わり付くドレスの裾を持ち上げた。
「…悪いっ」
 一瞬の躊躇の後、放心中の新郎に一応頭を下げ、清麿は駆け出した。白いバージンロードを逆走で通り抜け、開け放たれたままの扉から教会を脱出した。
 新婦の脱走を前に、残された一同に遅まきの動揺が広がる。参列者のざわめきの中、やっぱりこうなるか、と小さく苦笑した。




 
 はぁはぁと荒い息で吸った空気は、喉に焼け付くように熱く感ぜられた。汗は拭っても拭ってもキリがないほど流れ続ける。
 走って走って逃げて、着いた先は河川敷だった。目的地に選んだわけではないのだが、お子様1人を抱え、慣れないドレスを身に付けての全力疾走では、とても家までは保たない。ここが体力の限界ったのだ。
「…おま…え、はっ……な…」
「ウヌウ…。清麿、苦しいのか?」
 ガッシュは草地に身体を投げ出した清麿の横にしゃがみ込み、不安に揺れた瞳で顔を覗き込んでいる。泣きそうなその表情に、清麿は文句を言うはずの唇を閉じることにした。何だか馬鹿らしくなったのだ。
 とりあえず呼吸を整えるのに専念し、口を噤んだ。暫しの沈黙が場を支配する。
 漸く呼吸が整ってきた頃、頬や額を何かがさらりと撫でていく。何事かと瞳を向ければ、走り回ったおかげでぐちゃぐちゃに絡まったヴェールを、ガッシュが取り去っていた。
「……おい、」
「ス、スマヌ、清麿。その白い衣装のままでいて欲しくないのだ」
 清麿はヴェールが惜しかったわけではないのだが、その行動を訝り声を掛けた。
 ガッシュは怒られるとでも思ったのか、ヴェールを握り締めたまま、あたふたと慌てふためいている。珍しく中々に二の句が継げず、「あ」やら「う」やら意味のない声を洩らす。
 何度かそれを繰り返していたが、答えを導き出そうと思考を捏ね繰り回していたのがよかったのか、ガッシュは言葉を取り戻したようだった。幾分か落ち着いた様で、口を開く。
「似合ってはおるのだが…その格好はあの者のためのものなのだろう?」
 清麿は瞠目し、己が纏う衣装とガッシュの手の内にあるヴェールを、交互に見た。
 思いも寄らない、事実だった。
 たった今まで、清麿にとってウェディングドレスはただの衣装に過ぎなかった。その場に相応しい正装、その程度の認識しかなかった。
 だが、違うのだ。純白のウェディングドレスを着て神に結婚を宣言すれば、夫婦になる。儀式を終えた後、お互いが、お互いのものになるのだ。そのための衣装なのだ。
 これは、自分が彼のものになると宣言する、その象徴なのだ。
「そう考えるとすごいな…」
「清麿!」 
 何となく感嘆してしまった清麿の名を、ガッシュが強く呼んだ。今までの雰囲気とは違うその声音に、清麿はガッシュへ首を巡らす。そうして向き合った瞳に、清麿は思わず息を呑んだ。
 強く、強い、ガッシュの瞳。今までに何度か見たガッシュの『本気』。その中でも抜群の圧倒力を持つ『本気』が、そこから覗けたのだ。
「ガッシュ…?」
「私は、お金をたくさん持っておらぬ!」
「はぁ?」
 妙にシリアス的雰囲気に満ちていた心とも相俟って、清麿はこの上なく脱力した。直前まで緊張で顔の筋肉をフル稼働させていた分、表情のほうもかなり間抜けな脱力系になった。何故ここで金の話が出て来るのか、さっぱりわからない。
「偉くもない!」
「いや…それは知ってるが」
 胸を張って己の平凡な一般家庭ぶりをアピールする様は、いっそ潔く爽やかであるとさえ言えるのであるが。そんなことを告白された清麿は、一体どのような反応を返せばいいのか。
 完全に置いていかれている清麿に対し、ガッシュは1人絶好調である。自信満々な態度を崩さず、己のマントの下から手を突っ込んで、なにやらごそごそ探っている。
「だがっ!」
 これまでで1番強い声、強い自信を呈して。
 ガッシュは、右手で支え半身を起こす清麿の肩を強く押し、再び草地沈めさせた。文句や抗議の声が起こるその前に、清麿の腹の上に飛び乗る。
 衝撃に清麿が息を詰まらせたその瞬間、ガッシュは『それ』を解き放った。

 ばさっ。

 『それ』は清麿の視界を、一面純白に染める。まるで、清麿の目に映る全てのものを追い出し、占領するかのように。
 やがて、純白がまばらになり、隙間から普段の景色が覗くようになる。染まったように見えたのは、大量の『それ』が敷き詰められて、清麿の視界を覆いつくしたから。
 一片一片降る純白。それは、幼い頃より見ていた、空から舞い落ちる雪のように幻想的だった。
 だが、『それ』は指で摘んでみても、雪のように消え去ったりしない。冷たくもない。むしろ、心地よいほどに温かく…。

「花びら…?」
「だが…私は誰よりも清麿を愛しておるのだ」
 そう宣言するガッシュの手にあるのは、小さな手には余るほどの大きな袋。袋の内側に張り付いた最後の一片がはらりと舞い、清麿の黒髪にその身を落とした。今は空になったその中には、白い花弁が一杯に詰まっていたのだ。
「これ、どうしたんだ?」
「ウヌ。ティオに教えて貰った白い花が咲く公園で、落ちてくる花びらを集めたのだ」
 こんな風に、と袋の口を大きく開いて清麿に見せる。ガッシュの性格上、咲いている花を手折ることはできないのだろう。木々の下を何度も往復し、自然と散っていく花弁を集めて回るその姿が自然に目に浮かぶ。
「これが、私のための白い衣装だ」
 ガッシュは小さな手一杯に花弁を拾い上げ、清麿の頭上に降り掛けた。純白の花弁が、既に最初の花弁により白く覆われた黒髪を、更に埋めていく。
「私はあの者のようにお金もないし、偉くもない。だが、清麿を1番好きなのは、絶対に私なのだ」
「ガッシュ…」
「だから、清麿にはこれを着ていて欲しい」
 目を逸らしたくなるほど真っ直ぐな視線。ガッシュに始めて恋をしたのも、それにヤられてしまったからだ。
 子どもらしく、言葉を飾り立てできない率直さ。お子様の癖に、痺れるほどの男らしさ。
 笑えるほどに、ガッシュらしいプロポーズだった。
 顔を伏せ肩を振るわせる清麿は、泣いているようでもあった。ガッシュは不安になり、清麿、と恐る恐る声を掛けた。

 ばさっ。

 ガッシュの視界が、一面純白に染められた。
「ウヌウ!?」
「お返しだ」
 己を覆う白い花弁を、清麿は掬い取りガッシュに浴びせ返したのだ。両手で掬える量など知れているもので、花弁はガッシュを覆い隠すほどではない。ただガッシュの頭に積もり、あるものは舞い落ち、あるものは金色の髪に絡みついた。
 二人とも同じように真っ白に、純白の花弁を、纏う。
「ウヌウ。清麿、これは…」
 ガッシュはぱらぱらと頭上から純白の花弁を零しながら、全身に純白の花弁を纏う清麿を見詰める。
 清麿は白い衣装を着て、自身も頭だけとは言え白く飾っている。少し前にこれと同じ光景を目に映してきた。いや、映すだけでなく、光景を己の手でぶち壊してきたのだ。
 互いを互いのものであると宣誓する、白い衣装を纏った、ふたり。
「きよまろっ!」
 ガッシュは弾かれたように声を上げ、清麿に迫る。息の触れ合うまで距離を縮めると、その距離で清麿の瞳にぴたりと己の瞳を据えた。目を瞠る清麿に構わず、ガッシュは重々しく口を開いた。
「私は、やめ…る…?…ウヌ。すこ…か…や?…………とにかく、どんなときも清麿を愛し続けると誓いますか。はい、誓います!」
 あやふやだった記憶で頑張るのは、途中で諦めたらしい。簡単に質問を終えると、それに己で回答した。その様子がおかしくて笑みが漏れかけたが、折角だから付き合ってやろう、と清麿も口を開きかけ…。
「俺も、…んっ」
 その口を、ガッシュは己の口で塞ぐ。
 呆気に取られ身動きの叶わない清麿に、ガッシュはほわわんと蕩けるような幸せな顔で笑って、言った。
「誓いのキスなのだ!」
 清麿は頭が回らず、もう一度キスのできそうな至近距離で、ガッシュと見詰め合う。
「…………こ、」
 かちり、と何かが嵌った音が聞こえたような気がした。それを境に、急速に働き始める思考。
「こんのっ馬鹿野郎っ!!!」 
 清麿はガッシュの脳天に拳を振り下ろした。素晴らしく鈍い音が立ち、ガッシュは悶え苦しむ。
「ウヌ、ヌアァ〜」
「…俺、まだ誓ってなかったよな?」
「ヌ…清、麿?」
 ゴロゴロと痛みに転げ回るガッシュに降り掛かる、ひどく冷たい口調。絶対零度に達しているのではないか、というその冷気に、ガッシュは悶えるのも忘れ清麿の名を呼んだ。
「ちょうどよかった。やっぱりやめとく」
 清麿はすっくと立ち上がり、今にも泣き出しそうな情けない面持ちのガッシュを見下ろし、言い放った。ガッシュはが〜んと漫画チックな擬音を背にしている。清麿はウェディングドレスの裾を実に男らしい所作で翻すと、ガッシュを残し立ち去ろうとする。
「き、清麿、私が悪かったのだ!許してくれ」
「どこがどう悪かった?」
「ウヌ…それはぁ…」
 清麿の背に飛び付き、縋り付いて謝罪の言葉を繰り返すガッシュに、清麿の冷静な一言が返る。返答に詰まるその様に、判決が下された。
「価値観の違いと相互の意見の擦れ違いってのは、離婚の原因で結構多かったりするんだよな」
「清麿ーっっ!!」
 ドレスの裾を蹴り上げ、ざかざかと足音高く去って行こうとする清麿。ガッシュはその背中に飛び付いた。突然身に圧し掛かった体重に、バランスが崩れる。
「こら、ガッ…!」
「清麿の言うことはよくわからぬが、愛しておるのだ!」
 清麿は背中に張り付いた子どもに文句を言おうと、首を捻って振り向いた。ガッシュは背中の布地を小さな掌で握り締めながら、至近距離では耳が痛くなる声を上げた。
「…それが、いちばん必要なものであろう?」
 ぎゅうっと手に力を込めたため、ドレスの背中には益々しわが寄り、すっかり形が崩れてしまった。だが、そんなことを気にする者は、この場にはいないのだ。
 清麿は、ガッシュは背中で、自分の表情を見ることができる者などいないと知っていたので、少しだけ唇の端を上げ、笑った。

 本当の誓いのキスが行われるのは、数分、数十分、数時間、あとのお話。






 えんど





 あとがき
 ※※※これはギャグです。清麿がウェディングドレスってだけで既にギャグ。想像して笑って下さい。
 締めの行を書くのに、どれだけの寒気が我が身を襲ったことでしょう…!ざわざわ。タイトルからしてざわざわです。出来心で★付けちゃいました。ざわざわ。
 締めよう締めようと思いながら、赤本が勝手な行動を取りまくって、私に多大な迷惑を掛けました(言いがかり)。
 一生終わらないかと思った。終わってよかった…!
 あ、冒頭の清麿が政略結婚をさせられそうになった男が誰かは、私も特に考えてないので、太陽マークの方でも グル〜ビ〜な方でもお好きにご想像下さい。誰だお前!って思ったままでも勿論問題なしです。
 

イロモノ部屋