夢恋







 調子のいい音楽が、聞こえる。
 夢の世界に沈んでいた頭を、緩やかに覚醒へと導く。それは強制的なものではなく、優しく、穏やかな誘惑。ガッシュは瞼をそっと開いた。
 目を覚ましても、音楽は鳴り止まない。己の体温で温まった布団を押し退け、ベッドから飛び降りた。引き寄せた椅子に登り、外気で氷のように冷たくなった窓を開錠して、開け放った。
 ひゅうと吹く冷たい風に、身体を竦ませ、反射的に両目をきつく閉じた。
 目を再び開いたガッシュの目に飛び込んできたのは…。




 いい加減にしろと叫びたい衝動を、清麿はどうあっても堪えなければならなかった。このような忍耐を強いられるのは、今晩だけで既に両手両足の指で数え切れないほどになっている。このままではストレスで胃に穴が開くのではないか。
 隣のティオも平静を装ったように見せる顔に青筋を立て、手帳に書き込むその筆跡は紙を破るほどの力強さとなっている。
「いい加減、静かにしろ。今何時だと思ってる」
 極力声を絞り、ストレスの因へ注意をする。何しろ、時刻は0時をとうに過ぎた深夜。大声を上げては近所迷惑になるだろう。
 それに、人を起こしてしまったら。それが大人であれば問題ないのだが、子どもの中には自分達の姿を見ることができる者もいる。今では大分少なくなった、純粋で透明な心を持つ子どもならば。
 だが、そんな神経を張り巡らせている清麿に対し、ストレスの原因は深夜という時間帯を鑑みることなく、軽快な音楽に合わせて踊り狂い、歌い狂っている。
「清麿、そんなにケチケチするなよ!」
 ストレスの元凶のパートナーは、暢気に要点を外したことを言う。血管が切れそうだ、と清麿はぎりぎり奥歯を噛み締めながら思った。
 ストレスや諸悪の根源は、踊る手足や腰は止めずに、哄笑を交えながら叫んだ。
「ハッハッハッ!そうだぞ、清麿!このパルコ・フォルゴレの歌とダンスならば、皆いつでもどこでも大歓迎に決まっているさ!」
 だから、大声出すな。
 高らかに足音を立てるな。
 大体、大歓迎っつても、お前の姿は普通の人間には見えないんだよ。
 万感の思いを込めて。清麿と、隣で同じ思いを堪えていたティオは、徐に行動に出た。

 ばきいっ。

 ごんっ。

 2つの音が響いた後、辺りは深夜に相応しい静謐に包まれた。
 軽快な音楽を奏でていたラジカセはティオに踏み潰され粉々になり、フォルゴレは清麿の投石により頭に大きなたんこぶを作り、沈んでいた。




 驚くほど回復の早いフォルゴレの前に、清麿は鬼の形相で仁王立ちになった。
「全く、お前は自分の仕事をちゃんと理解しているのか?」
「勿論、私は愛と勇気と希望の使者!かつ、世界のスター、パルコ・フォルゴレさ!」
「静かにしろって言ってるでしょ!」
 懲りずに大声を出すフォルゴレを、ティオは背後から殴り飛ばした。その凶器は、手帳とは思えないほどの分厚さとハードカバーを持つ、ティオ愛用の一品だ。
「ひどいことはよせよ!」
 止めに入ったキャンチョメを、ティオは返す刀の要領で殴り飛ばす。フォルゴレほどの回復力がないことを慮り、多少の手加減はあるようだ。
 あっさり倒された本日の主役であるはずの彼らを前に、清麿とティオは溜息を吐いた。
 フォルゴレの纏う、白いファー付きの真っ赤な衣装。キャンチョメの頭に生えた立派な角。そりに乗せられた、様々なプレゼントの詰まった大きな袋。これを見れば、誰でもサンタクロースだとわかるだろうほどの、王道的サンタスタイルだ。
 清麿とティオが気を遣って最もポピュラーな衣装をチョイスしてやったのは、彼らの中身があまりにもサンタとして不安の要素が尽きなかったから。格好だけでもそれなりに見せれば、中身がそれらしくなくとも何とか誤魔化せるかもしれない、と。
 だが、フォルゴレとキャンチョメは、清麿達の予想の範疇を超えていた。衣装のことなどきれいさっぱり忘れてしまうほど、サンタらしくなかった。
 愛と勇気と希望の使者が、さぁプレゼントを配ろうと予定を説明する助手に対して、それじゃあまず私のダンスと歌を披露しようなどと言い出し、他所様の家の屋根で踊りだすとは。長年サンタの助手を務めているが、こんなサンタクロースは初めてだ。
 清麿とティオは、天界の公認サンタクロースの助手を務める天使だ。今回はフォルゴレとキャンチョメを担当する助手が病欠とかで、急遽こちらに回された。正直、ここまであくの強いサンタクロースだとは思わなかった。病欠と言うが、その病気は神経性胃炎ではなかろうか。
「ほら、ボヤボヤしてないで、さっさとプレゼント配るわよ。小さな町とは言え、子どもは結構いるんだから!」
 そう言って、ティオは愛用の手帳で確認をする。そこにはモチノキ町の子どもに関するデータがびっしりと書き込まれているのだ。
「まずは、そこの家ね」
「これか?」 
「そう。その赤い屋根の家…」
 がらっ。
 ティオが指差したちょうどその延長線上にあった窓が、タイミングぴったりで引き開けられた。あまりによいタイミングに、ティオの指に命じられて窓が開いたようだった。ティオも一瞬固まってしまう。
 そこから顔を出したのは金色の髪の子ども。見た目はティオと同じくらいで、5、6歳といったところだ。まん丸の大きな瞳が目一杯開かれ、清麿たちに向けられていた。
 熱い視線に、清麿とティオは顔を近付け小声で言葉を交わした。
「見えてるのか、あいつ。かなりこっちを見てるけど」
「さぁ。今時、私達を見れる子どもなんているのかしら」
 人間に見つかるのは、あまり喜ばしくないことだ。
 自分達の存在は曖昧で、漠然としたものでなければならない。そうであるからこそ、配られるクリスマスプレゼントが神秘性――夢と表現したほうがよいだろうか――を、持つのだ。現実感を伴った存在からのプレゼントは、物欲に直結しかねない。
 人間に姿を見せることが全く禁じられているというわけではない。『必要に応じては可』と天界の法で定められている。
 だが、あくまで『必要に応じて』であり、その姿の見せ方も子どもの夢を損なわない方法を取ることが前提となっている。今のように、『踊り狂ったサンタクロースの騒音で起こす』ことが喜ばしいはずがない。
 清麿とティオは、背後で沈んでいる(ティオが沈ませた)サンタクロース並びにトナカイを呪った。
「お主ら…」
 やおら、金色の髪の少年が口を開いた。清麿とティオの姿をまじまじと見詰めている。自分達の姿か見えていると取って間違いないだろう。
「もしや、サンタクロースなのか?」
 期待の篭った純粋な問い掛けに、清麿とティオは顔を見合わせる。返答に、詰まる。
 お前のお望みのサンタクロースとトナカイは、自分達の後ろで沈んでいる男だよ、とは言えない。もし、フォルゴレが目を覚ましたとしても、こんな所構わず歌い踊り狂う男がサンタクロースだとばれてしまえば、子どもの夢をぶち壊すことになる。今は起きないでくれ、と2人は祈った。
 一向に答えようとしない清麿達に焦れたのか、子どもは再び口を開いた。
「サンタ殿ではないのか?」
「いや、それは…」
 がっかりさせてはならないと、清麿はフォローの言葉を探す。だが、そもそもフォローできそうもない状況に、それ以上言葉を発することができなかった。
 その瞳はさぞや落胆の色に満ちているだろうと子どもの目を覗き込んだのだが、きらきらと星を飛ばさんばかりの輝く瞳と目が合った。
「ならば、お主はクリスマスプレゼントなのだな!」
「は?」
 先刻のように疑問符が付いておらず、確認のための発言に、清麿は一歩退いた。隣のティオに視線を遣ると、彼女はデータの詰まった手帳を覗き込んだ。
「ガッシュ・ベル。6歳。性格は真っ直ぐで、気弱なところもあるが己の信念は貫く。クリスマスプレゼントに望むものは、ブリ…」
 ブリ。魚類を求めるとは、一般的子どもとは一味違う嗜好の持ち主だ。それはともかくとして、欲しい物がブリで、何故自分達をプレゼントだと言うのか。
「――もしくは、お嫁さん…」
 控えめに付け足されたティオの言葉に、清麿はガッシュ・ベルという名の子どもに向き直った。ガッシュの視線は、真っ直ぐに清麿に向けられているような気がする。
 性格は多少キツイところもあるが、文句なしの美少女であるティオへ向いているのならば納得もいく。だが、ガッシュは清麿をひたと見詰め、その視線を据えて外そうとしない。それはつまり、お嫁さんとして清麿を…。
 …………。
 気のセイだ。清麿はそう結論付けた。
「ティオ、さっさとこいつにプレゼントを渡して行くぞ」
「え?ええ」
 一瞬躊躇を見せたティオも、このままガッシュに深く関わるのは得策ではないと考えたのか、プレゼントの袋を漁る。一際大きな包みを取り出すと、豪快にもそれをガッシュに向かって放り投げようとした。
 が、その直前、清麿とティオの背後から不吉な気配がした。
「ハッハッハッ!話は全て聞かせて貰ったよ!」
 びみょん、とおきあがりこぼしを思わせる動きで、フォルゴレが起き上がった。完全回復している彼は、先程の清麿とティオの忠告もさっぱり忘れ、深夜に高らかな声を上げた。
 清麿とティオの殺気が膨らみ上がる。このややこしいときに起きやがって、と八つ当たりの怒気も込めて、ティオは手帳を振りかざした。
 だが、フォルゴレは奇跡的にもその攻撃をかわし、清麿の傍へ立った。
「やぁ!君がガッシュだね!」
「お主がサンタ殿なのか?」
「そうさ!遥か遠い北の地から、君にクリスマスプレゼントを届けに来たのさ!」
「私の欲しいものをくれるのか?」
 フォルゴレの言葉に、ガッシュは頬を赤く染めた。望むプレゼントが与えられると、期待して。ちらちらと自分に向けられる視線を、清麿は気付かない振りをする。だが、次にフォルゴレが継いだ台詞に、清麿は沈みかけた。
「勿論。君の欲しがっている清麿を、お嫁さんにあげよう!」

 がんっ。

 べしっ。

 清麿はプレゼントの入った巨大な袋でフォルゴレを殴り倒した。ティオは手帳で追い討ちを掛けた。
「お前、何を勝手に決めてんだよ!」
「そうよ!天使をそんな簡単に人間に渡せると思ってるの!」
 フォルゴレの今度の回復は早く、すぐに起き上がった。怒り心頭に発している清麿とティオに爽やかな笑顔を向ける。さすが普段はイタリアで俳優業を行っているだけあって、魅力的なスマイルである。だが、そんなものに誤魔化される相手ではなかった。
「お・ま・え・は」
「い・い・か・げ・ん・に」
 ゆらり、とフォルゴレの前に立ち塞がる。怒らせてはならない天使ベスト3にランクインしているだけあって、かの魔王を上回る鬼の形相である。
『しやがれ――!!!』
 最終必殺技・そりでぶん殴る(原始的だけ強力)が炸裂し、フォルゴレは完全に沈黙した。キャンチョメはがたがたと震え、様子を見守っている。
「もう、いい加減次に行かないと、子ども達にプレゼントを配りきれなくなるじゃないの」
「そうだな。じゃあ、これ」
 清麿は背中に生えた羽を使って、ガッシュの元へ舞い降りた。包装されたブリをガッシュに手渡そうとする。
 ガッシュはその手を強く掴んだ。温かい、子どもの手のひら。
 きらきらと輝く子どもの瞳が、至近距離にある清麿の瞳をひたと見詰める。
「お主は、清麿というのだな?」
 特別でないその言葉に、妙に心臓が圧迫された。
 ガッシュの紅潮した頬を見て、そう言えば、この子どもはこんなに長く外気に当たって、風邪など引きはしないか心配になった。
 ガッシュの言葉にひとつ頷いて、清麿はティオ達のいるガッシュの家の隣の屋根に戻る。飛び立とうとする清麿の手を、ガッシュは無理に引き止めようとはしなかった。
「じゃあ、また来年」
 来年来るのは、自分ではないだろうけど。
 空飛ぶそりに乗り込み、その場を去ろうとする。ティオが次の行き先を、愛用の手帳で確認している。そう言えば、昏倒しているフォルゴレをそりに乗せなければ。
 そう思い屋根に目を遣るが、倒れていたはずの場所に、フォルゴレの姿はない。疑問に思い辺りを見回せば、すぐ後ろ、そりの上にフォルゴレは仁王立ちになっていた。
「お、お前。今回はまた回復が早かったな。スキルが上がったのか?」
「どこへ行くんだい、君達」
 清麿の言葉に応えず、フォルゴレは珍しく真剣な面持ちを呈していた。その顔に多少戸惑いながらも、ティオが呆れた溜息を零す。
「どこへって、次の子どもにプレゼントを渡しに行くに決まってるじゃない」
「まだ、ガッシュにプレゼントを渡してないだろう」
「だから、さっきブリを…」
「彼のいちばん欲しいものは、違うんじゃないのかい?」
「それは…」
 ティオは言葉を失い、未だ窓から顔を出しているガッシュを見遣る。確かに、ガッシュのいちばん欲しいものは、短い遣り取りの後、変わってしまったのかもしれない。だが、
「天界の者が、人間界に残る訳にはいかないだろう」
「天界の者でなければいいんだな?」
「ちょっと、フォルゴレ!」
 ティオの制止の声に、フォルゴレはウィンクひとつで応えた。
「私には、子どものいちばんの望みが見える。だが、見えるはそれだけじゃない」
 清麿の肩に手を置き、ガッシュの方へと向き直らせた。ガッシュの真っ直ぐな瞳と出会い、清麿は一瞬硬直する。理由はわからない。だが、悲しくて嬉しい感情がその瞬間駆けて行った。
 フォルゴレは清麿の背中に手を置いた。
「未来が見えるんだ。勿論、君の幸せな未来もね!」
 押し当てられてサンタクロースの手のひらに反応して、清麿の翼はただの羽根の塊になった。
 抜け落ちた純白の羽根は、ぱあ、と夜空に大きく散りばめられ、やがては雪のように舞い落ちる。
 清麿の背中には、ただの人間と同じように、何も残らない。
 振り返ろうとした人間の背中を、フォルゴレは力一杯押した。人間と同じ清麿は為す術もなく、落下に身を任せるしかない。サンタクロースの力によって、重力を操られた随分緩やかな落下であったが。
 下を見れば、ガッシュが今まででいちばんきれいな色で瞳を輝かせ、両手を広げていた。
 その手に掴まれたら、まずは部屋に戻して、温かくしろと言い聞かせよう。清麿はそう思った。







えんど







あとがき
 クリスマスイブには間に合わないでしょう。間に合ってもぎりぎりでしょう。取り合えず、いまからビデオを返しに行って来ます。(某ハムアニメ)
 ビデオを返しに行ってきました。ぎりぎり間に合うと思います。


イロモノ部屋