Sun Trap
act.1
清香は玄関に腰を下ろして靴を履くのだが、ウズは立ったまま直接足を靴に入れる。
上手く履けず踵を潰してしまい、その度清香に注意され、やはり立ったまま直そうとする。
その時が危ないのだ。
頭が重いせいか片足立ちではバランスが取れず、しばしば後方へ倒れ込みそうになる。
転倒を防ぐためウズの頭を手で支えながら、清麿は子ども達に声を掛けた。
「ハンカチとティッシュは持ったな。忘れ物はないか?」
「大丈夫」
「うん!」
清香は座ったままこくんと頷き、ウズは靴を履き終えた足を踏ん張り、片手を上げ元気にお返事する。
「じゃあ、もうすぐバスが来るから、外で待ってような」
「ママ、」
「ん?」
ノブを手に取ると、ウズの小さな手が清麿のエプロンを引っ張り引き止めた。
何事かと清麿は屈み込みウズを目線を合わせる。
ウズは更に顔を寄せ、自分のまあるい頬を清麿に向けた。
「忘れ物。行ってらっしゃいのチュウ」
「…またか?」
「ううん。ずっと!」
ウズの期待に弾む声を裏切ることもできず、清麿は差し出された頬に掛かった金色の髪を掬い上げると、丸々とした頬にそっと唇を押し当てる。
ちゅ、と軽い音が立つのを待って、ウズは満面の笑みで清麿の側を離れた。
一連の行動を無言で眺めていた清香は、徐に立ち上がり、ウズの横を通り過ぎざま、ぽつりと声を洩らした。
「ウズって、いつまで経っても赤ちゃんみたい」
「清香、羨ましいんだ〜」
ウズはさっさと外へ出ようとノブに手を伸ばす清香に張り付くと、行ってらっしゃいのチュウを受けた頬を紅潮させ得意気に言った。
「そんなことあるわけ…」
「羨ましいに決まっているのだ」
「そう、羨ましいに決まって…はぁ?」
突然振って湧いた声に思わず同意しかけ、瞬後我に返る。
三者同時に背後を振り返ると、一家の主たる人物がそこに佇んでいた。本気で羨ましいとくっきりと刻まれている顔で。
「おい、ガッシュ。お前もそろそろ時間なんだから、さっさと用意しろ」
身支度途中で前ボタン全開の姿に清麿は顔を赤く染め、ガッシュのシャツに手を伸ばす。
ガッシュは伸ばされた手を取ると、己の元へ引き寄せた。
「私も、行ってらっしゃいのチュウをして貰いたいのだ!」
「アホかぁ!!」
行ってらっしゃいのチュウを求め迫り来るガッシュの顔を、清麿は両手と肘を使い全力で押し返す。
とは言え、両者の腕力の差は歴然であり、勝敗は時を要せず決せようとしていた。
だが、思わぬ闖入者があった。
ウズが清麿とガッシュの間に割って入り、ガッシュを力一杯突き飛ばしたのだ。
子どもとは言え父親の血を強く継いだウズは、魔物の子ども並の腕力を持つ。ガッシュを引っ繰り返すまではいかなかったが、数歩後退させた。
「ウヌウ。ウズ?」
可愛い盛りの娘に突き飛ばされ、ガッシュは事情を呑み込めぬまま、呆然とウズの名を呼ぶ。
清麿の前に立ったウズは、紅葉のように可愛らしい両手の内、左手を腰に、右手で鋭くガッシュを指差すと、厳然と言い放った。
「まだ行ってきますをしてない人は、行ってらっしゃいのチュウは貰えません!」
大層男前な顔での発言である。
両親は一言も返せず、ただ清麿はウズの手を掴み、親を指差すなと手を下ろさせた。
清香は自分でドアを開け、一人家外へ出た。ウズもそれに気付くと、いつもの顔に戻って清香に続く。
だが、閉まる間際に手でドアを押さえ、その隙間から半分顔を覗かせて付け足した。
「あと、行ってらっしゃいのチュウができるのは、玄関だけだからね」
言い残すとじゃあと手を振り、ドアはパタンと閉じられる。
ウズが消えた後も暫くドアを見詰めていた両親であったが、清麿は微苦笑を浮かべるとガッシュを引き寄せた。
「…だってよ。さっさと前留めて、魔界に行け」
「ウヌウ…」
がっくりと項垂れる馬鹿正直な亭主の第一ボタンを、清麿は笑いを噛み殺しながら留めてやった。
END
あとがき
ウズの偏った知識の仕入れ先は何処かってのが、両親にとって謎だったりする。