Sun Trap
act.3
ガッシュは和風な扉(襖)に手を掛け、すらっと横に引いた。
蛍光灯の光が暗闇を一気に染め変え、その眩しさに少し目を細める。
すぐそこに家族はいないだろうが、己の帰宅を告げるためなるべく声を張り、言った。
「ただい…」
「待て、こら!…て、うお!?」
額を鈍い衝撃が襲い、脳天に星がチカチカ輝くイメージが起こる。
激痛が頭を伝い耳にまで響き、ガッシュは額を押さえその場に蹲った。
衝撃的な痛みから解放され、徐々にずきずきとした通常の感覚が戻って来る。
ガッシュは顔を上げると、目の前の、両手と膝を床に付いて痛みを堪えている清麿に声を掛けた。
「ウヌウ…清麿、何事なのだ…」
「お前、何だってこんなタイミングで帰って来るんだ…」
清麿は赤く腫れた額に手をやり押さえて見せた。呆れたと表現したいのか、純粋に痛いということか、判断に迷う。
とりあえず、清麿のダメージはガッシュよりも大きいようだ。ガッシュも自分の石頭は自覚している。
ある程度回復したガッシュは未だ立ち上がることもままならない清麿に手を差し伸べ、助け起こそうとする。
「あ!!」
押入れの下段から聞こえた物音に反応し、清麿はガッシュの手を振り払い押入れに飛び込んだ。
先程まで痛みに負けていた人間とは思えない俊敏な動きに、ガッシュは目を点にする。
清麿は両手で何かを掴むと、それを押入れから勢いよく引き摺り出した。何やらもぞもぞとうごめくそれは…。
「ウズ?」
「…パパ、おかえりぃ」
「ウヌ。ただいま」
清麿の両手に抱えられた次女のウズは、渋い表情と低い声ながらもガッシュに挨拶をした。清麿が躾に厳しい教育ママのため、こういうところはしっかりとしている。
「こいつが押入れに逃げ込むから」
腕の中でうごうごと控え目に抵抗するウズを、両腕でがっちりホールドしながら清麿は言った。
そこで、ガッシュは自分と清麿が正面衝突した訳を理解した。
ガッシュが魔界と人間界を行き来するための入り口は、高嶺家の押入れに存在する。
何故そんな場所に作ったのかと言えば、入り口を作るための細かい条件の数々を満たしたのが家中で押入れだけだったためだ。
それ故、毎晩ガッシュは政務を終えた後、押入れの上段に作られた入り口を通って帰宅している。あまり子どもたちに見せられない光景だと、清麿は語る。
その押入れに逃げ込んだウズを追って飛び込んだ清麿と、押入れから出ようとしたガッシュが頭突きし合う羽目になったということか。
「それで、何故ウズは逃げたのだ?」
ガッシュが声を掛けると、ウズは動きを止め、かちこちに固まったように表情を強張らせた。
「明日、病院…」
「たあっ!」
その言葉が終わるのを待たず、ウズは一瞬の隙を突いて清麿の腕の中から抜け出した。
清麿は手を伸ばすが指先がウズのスカートを掠めただけで、その手を逃れたウズはドアノブに手を掛けドアを開けようとする。
しかし、その手がドアノブ触れる直前、外開きのドアが急に開く。
「う、だっ」
ドアノブを頼った姿勢のウズは、バランスを崩し廊下にべちゃっと倒れた。
「え、何してるの、ウズ」
ドアを開けた清香は、突然倒れ込んできたウズに何事かと身を引いた。
「よくやった、清香」
「えぇ?あ、お父さん。おかえりなさい」
「ただいま、清香」
状況を今一呑み込めずに褒められて困惑しながらも、清香はガッシュに挨拶の言葉を掛ける。
清麿は大股で倒れ伏すウズに歩み寄ると、その身体をひょいと持ち上げ、先程にも増して強力にホールドを掛ける。
だが、今度はウズも大人しく捕まってはおらず、何とか逃れようとがむしゃらに暴れ出した。
「こら!ちゃんと注射しとかないと、重い病気に掛かってすごく痛かったり苦しくなったりするんだぞ!」
「注射?」
「あのね、この間幼稚園で予防接種があったの。ウズは熱出してて受けられなかったんだよ」
重い病気を想像したのか、ウズは抵抗を収め振り上げていた手を下ろす。口をへの字に曲げると、じっと床を睨み付ける。
「病気したら、長いこと遊べなくなるぞ」
ウズは握っていた拳を解くと、顔を完全に伏せた。
清麿が腕の力を弱めると、そこからするりと抜け出して、手近にあったクッションを両手に抱え込んだ。くまの顔の形をしたクッションに顔を埋める。
「だって、注射怖いんだもん」
「清香だって、ちゃんと我慢して受けたんだぞ」
「そうだよ、ウズ」
清香はウズの元へ歩み寄ると、金色の髪の毛を柔らかく撫で付けてやる。目を合わし、宥めるように優しい声で言った。
「ぶすって針が刺さってすごく痛いけど、すぐ終わるから。あ、でも、下手なお医者さんだと打つ場所間違えて何回か打つこともあるらしいけど。変な場所に打ったら、余計痛いんだよね。下手な場所に打って死んだりすることもあるのかな?今流行りの医療ミスで
「やっぱ、やだー!!」
「清香…」
「余計怖がらせてどうするんだよ…」
くまを抱き潰して泣き叫ぶウズの姿と、ガッシュと清麿の呆れた声に、清香は小首を傾げる。清香本人に悪気は全くない行為のために、怒るに怒れない。
ガッシュは詮方なくしている清香を抱き上げ、清麿に預けた。
腰を屈めウズの顔を覗き込むと、その小さな頭に手を置いた。清香の小さな手とは違い、大きな手で包み込むように撫でてやる。
「ウズ、明日行くお医者さんは名医さんだから、痛いのはちょっとだけなのだ」
泣き声が止む。
ウズはくまに押し付けていた顔をガッシュに向ける。ガッシュは頬を濡らす涙の跡を拭ってやった。
ウズの目線が真っ直ぐガッシュに据えられる。父親に向ける一途な信頼を示すような瞳で。
「証拠は?」
「は?」
「メイさんで痛くないって証拠」
ウズは両手で更にくまを抱き潰し、奇異な表情に変形させた。涙と鼻水に濡れ濃いブラウンに変色もしている。
「ウズ、メイさんじゃなくて名医さん。いいお医者さんって意味だ」
「メイさんじゃ人の名前だよね」
清麿と清香は関係のないところに、差し迫って必要のない訂正を入れている。
証拠を求められたガッシュは、重要参考人の取調べを行う刑事のような心持ちで、思考を働かせた。
明日行くであろう病院は子ども達の掛かり付けの病院で、二人がもっと幼い頃からお世話になっている信頼できる先生がいる。
それはウズもわかっているだろうが、注射が痛くないという証拠にはならない。
大体、ガッシュとて実際に先生の注射を受けたわけではないので、痛くないかどうかはわからなかったりする。
返答に詰まるガッシュを見遣ると、清麿はガッシュの横に立った。先程まで腕に抱いていた清香は既に床に下ろしている。
「よし」
清麿はガッシュの手をむんずと掴むと、袖を捲り上げて腕を露にした。
「明日、ガッシュが注射を受けるお手本を見せてやる!」
「ウヌウ!?」
己の生腕を掲げ高らかに宣言された内容に、ガッシュは思わず声を上げる。
「何本でも男らしく受けるガッシュを見たら、ウズも納得するだろ」
「な、何本も…」
すうっと血の気の引いて行く音を、ガッシュは確かに聞いた。
拒否したいのは山々だが、痛くないと明言した手前、注射は得意ではないという言い訳が通ろうはずもない。
おおっと感嘆の声を上げる子ども達を前にしては、尚更言い出せない。
清麿がガッシュを振り向く。半分まで目蓋を下ろした瞳を挑発的に向け、問うた。
「やるよな?」
「ウ…ヌ…」
「わー。パパ、すごい!」
ウズは泣いて赤く腫れた目をきらきら輝かせて、ガッシュに尊敬の眼差しを送る。腕に抱えていたくまのクッションを尊敬の証とばかりにガッシュに手渡した。
ウズの水分を吸い込んだくまの顔に、妙に気圧される。
もう後には引けない。ガッシュは首を縦に振るより仕方ない。
最後に注射を受けたのは随分前になるが、注射を進んで受けたことなどなく毎回抵抗していたなどと…父親となった今、言えるはずもない。
END
あとがき
清香がなんか予定外に出て来ました。
出すつもりはなかったはずが。