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今年も残すところ2日になりました。皆さん今年はどんな年だったでしょうか。私の場合、太平洋の真中で凪に会い漂う船のような1年でした。それでも、1年は本当に速く過ぎてしまいました。 暇はいくらでもある私、今年は、古くから伝わってきた作り方で門松を作ることにしました。しかし、時は、驚くほどの速さで人の記憶を消し去ってしまい、正確に門松の作り方を記憶している人が殆どいませんでした。我家の91歳になる父も、門松は何時も祖父が作っていましたので、薄らとした記憶しか残っていませんでした。 振り返ってみれば、終戦の年(1945年:昭和20年)以降、虚礼廃止で市役所から紙に印刷した門松が配られ、それを玄関に貼って済ませるようになっていました。近年、世の中が豊かになってきて門松を飾る家が増えてきましたが、みな市販の既製品門松で、伝統的な牛山の門松は全く見かけなくなってしまいました。終戦以来55年、伝統的な門松を見たこともない牛山町住民が殆どとなってしまいまいましたし、自分で作ったことのある人々も記憶も薄らいでしまいました。 それでも、いろいろ情報を集めて作ったのが写真の門松です。
高さ3メートル前後の青竹に梅の枝と松を副え、竹の中ほどにしめ縄を付けます。しめ縄にはタツクリを3匹挿みます。青竹は屋根の高さになるほどの物を使う場合もあり、将来への家運繁栄を願ったもので、タツクリは豊作を祈願したものとのことです。門松作りを始め、調べている間に、いろいろなことが分かりました。青竹を真っ直ぐ立てる門松は、牛山町でも郷中を中心としたごく一部の風習であること。また、郷中旧農家38戸のうちでも、家毎に門松が異なること。その例を列挙すると ・松だけを用いる門松 ・松と竹を用いる門松 ・松と竹と梅を用いる門松 ・同じ松竹梅を用いてもしめ縄の形式が違うもの 等々ですが、これは、家格や家系によって違ったようで、同じ家系の家は同じ門松になっていたようです。 また、作り方にもいろいろな仕来りがありました。 ・門松を結び付ける杭は松ノ木を使い三本立てる ・門松は3ヶ所杭に縛り、縛り方は・・・で ・竹は根本から切ったものを使う ・松は枝が3本に分かれた物を使う ・しめ縄は、左綯で(普通の反対になう)作る 等々。まだ他にいっぱいありそうです。 今回私が作った門松は、おおよそこんな物であろうと言う程度のもので、正確なものでは無いようです。今回の門松作り挑戦で、門松にたいへん興味をもちましたので、これから、いろいろ調べてみようと思っています。調べた結果は、私のホームページの「牛山なんでも事典」に載せたいと思っていますので、乞うご期待です。 核家族化が進み、年寄から古い伝統を引き継ぐことが少なくなったせいか、伝統行事が次第に消えてゆくのは寂しい気がします。こんな風に感じるのは私も年をとったせいでしょうか。皆さんの家では門松どうしましたか。
皆さんよいお年をお迎え下さい。
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