ソウルの旅
H.12.11.23


皆さん、お元気ですか。
今月13日から4日間家内と韓国のソウルへ行ってきました。前回のインド旅行と前々回の中国旅行は、セットツアーであったこともあり、訪問先は盛り沢山でしたが眠る時間も無いほどの強行軍で家内がダウンしてしまいました。この経験を生かし、今回の旅は、のんびりとした気ままな旅にすることにしました。滞在地はソウルのみにして同じホテルを3泊予約しました。また、ホテルは、のんびり街を散策するのに都合がいいようにとソウルの中心街明洞の近くにあるロッテホテルを予約しました。元来、私の旅は、景色を見て歩くと言うより、街の中を歩き、人々の生活を見、そこに住んでいる人とのふれ合いを楽しむというもので、のんびりと当て所も無く歩き回るのが通例で、今回の旅も特に細かい計画は立てずに出発しました。

旅行々程(2000.11.13〜16)
名古屋 ソウル (景福宮、国立民俗博物館、南大門市場)(ソウル泊)@ (仁寺洞、東大門市場、ウオーカーヒル)(ソウル泊)A (ロッテワールド、ソウルタワー、明洞)(ソウル泊)B (徳寿宮)ソウル 名古屋 

折角の旅、現地での滞在時間は出来るだけ長くと思い、出発は午前便、帰りは夜便とまるまる4日間滞在できるよう飛行機を選びました。私の家は、名古屋国際空港の国際線ロビーまで車で僅か15分のところにありますので、外国旅行には実に便利。7時に家を出、11月13日午前9時半名古屋空港発、午前11時半ソウル着の大韓航空に乗りました。

【久し振りに見たソウルの印象】
金浦空港(ソウル国際空港)からホテルへの途上垣間見たソウルの街は、私の記憶に有るソウルの街とは大きく変貌していました。私が最後にこの街を訪れたのは1984年のことですから、かれこれ一昔半前の事、変わっていて当然なのかもしれません。

ロッテホテルの二階回廊にて
久し振りに見たソウルの街の印象は、先ず第一に、ソウルがとてつもなく広大な大都市になっていたことでした。市街化は郊外へ郊外へと広がり、かっては、畑や山だった所に隙間無く高層アパート郡が立ち並び、整備された道路が縦横に伸びていました。
二番目に、街が大変きれいになり、路上に全くゴミが落ちていない事でした。かって、この国の人は日本人と同じようにタバコが好きで、路上のいたるところにタバコの吸殻が落ちていましたが、今は全く見かけません。街を行き交う人たちもくわえタバコで歩いている人は全く見かけませんでした。
禁煙が相当徹底しているようで、公共の建物の中では全て喫煙が禁止されていました。当然ホテルもロービーでの喫煙は禁止、ホテルの宿泊室も喫煙する場合はチェックインをする時に其の由申し出て、喫煙可能な部屋割りを貰わなければなりませんでした。
愛煙家である私は当然喫煙可能な部屋を申し出ました。割り当てられたのは31階のエクゼクティブフロアーでした。このエクゼクティブフロアーは、スイートルームの直ぐ下の31階と32階の2フロアーが当てられていて、ビジネスマン用に特別な配慮がされていました。例えば、この階には、コピー機やタイプライターが準備された特別室や会議室が用意されていて、インターネットが何時でも使えるように室内の電話はISDN回線になっていました。
この部屋は、一般の部屋よりも料金が高いという事でしたが、タバコを吸うからといって同じ料金で高い部屋に泊めてもらえた事は有難い事でしたが、やはり、ビジネスマンはどこの国でもストレスが溜まり喫煙者が多いのでしょうか。私の向かいの部屋の白人も、くわえタバコでパソコンに向かい何かを一生懸命打ち込んでいました(掃除中で偶然ドアーが開いていました)。

【明洞の坊さんとカーボーイ】
外国を旅していていつも私を悩ませるのが食事です。メニューは読めても、それが一体どのような料理なのか全く見当もつきません。そこで、今回は、出発の時に大韓航空がくれた韓国の名物料理とそれを食べさせてくれる店の簡単なガイドブックに全て頼りっぱなしでした。しかし、ガイドブックの地図が大雑把なことと、生来の地理音痴の私、目指す店へ到着するのに一苦労しました。特に夜は全く駄目、自分が歩いている方向が全く分からなくなってしまいます。滞在中に3度明洞で食事をしましたが、いずれも歩き回ってやっとたどり着いたという有り様でした。
地図を見ながら歩いているのに、辻を一つ曲がると、もう現在居る場所が分からなくなってしまいます。そんな時には、回りを見回し、できるだけ親切そうな若い女の子の二三人連れを探します(私の経験では、こうしたグループが一番親切で時間の余裕もある。一人歩きの若い子は日本人のへんなおじいさんに声をかけられると警戒してしまい駄目)。
そして、地図の目的地を指差しながら
「すみません。ここへ行きたいのですが・・・」
と聞くと、たいていは親切に応じてくれます。
しかし、数度これを試した結果分かったことは、明洞辺りへ買物に来ている女の子のグループは、地元の子では無く明洞の詳しい地理などは全く知らないという事でした。
私の差し出した地図を食い入るように見ながら、女の子同士でああだこうだと議論が始まります。
しかし、なかなか結論が出ません。
結局、今居る所はこの辺りだということが分かる程度でした。

ビビンパの店全州屋の看板坊主
明洞も表通りは全く昔の面影を留めず、両脇に近代的なしゃれた建物にショーウインドーが並び名店街の様相を呈しています。食べ物も日本と同じようにファーストフードの店やレストラン、それに喫茶店があり、整然としていますが、私たちの探す店は、たいてい路地を一本も二本も裏に入った分かりにくい場所にありました。
最初の明洞での食事は、どのガイドブックにも載っているビビンパで有名な全州屋へ行きました。ガイドブックに「この店へ行く路地の入り口には僧侶姿の名物おじさんが立っている」と書いてあったので、名物おじさんを探して徘徊。この店も、このおじさんが居なければ、何度も前を通り過ぎてしまいそうな場所でした。
早速、家内と記念撮影。このおじさんなかなかのプロ根性。後で気が付いたのですが、家内とのツーショット写真を見て下さい。店のパンフレットが写真の中央に写るように左手に持ってしっかり前へ差し出しています。
店には、韓国語,日本語,英語、それに写真つきのお品書きが壁に貼ってありました。もちろん値段もきちんと書いてありました。
観光客が出入りする店では、言葉は通じなくても殆どの店が日本語メニューを用意しているようで、
「日本語のメニューありますか。」
と聞けば、日本語メニューを持ってきてくれます。
二度目の明洞徘徊は私の最も苦手な夜でした。韓国名物骨付きカルビを食べに行こうと、これもガイドブックに出ていた明洞カルビ冷麺なる店を探して歩き回りましたがなかなか見つかりません。

明洞カルビ冷麺の呼び込みカーボーイ
暗闇の路地に迷い込んだり、いつものように女の子のグループに道を尋ねたりしながら、確かこの辺のはずだがと思う場所を何度も行ったり来たりして探しましたがどうしても分かりません。
そんな時、確かこの辺りだがと思う路地の入り口に置いた台に乗って呼び込みをしているカーボーイ姿の男性が目に止まりました。そこで、そのカーボーイに何時ものように地図を出しここへ行きたいのだがと聞くと、近くのショーウインドウの明かりのそばへ行き目を細めて食い入るように地図を見ていました(このおじさん見かけより大分年寄りのようで細かい字がよく読めなかったようでした)が、分かったと言うような素振りをすると暗い路地の方へ入って行き、こちらへ来い来いと手招きをする。このおっさん調子よさそうだしどこか自分の都合のいい店へ引っ張り込む気ではと一瞬不安が過ぎりましたが一先ずついて行きました。しばし歩くと薄暗い枝道があり、その奥の方を指差し
「ほら、あそこだ。ワン、ツー、スリー。」
と言う。
ガイドブックに載っているような有名な店がこんな怪しげな路地にあるものかと疑いながらカーボーイのおっさんが指差す方を見ると、店の行灯看板がぽつぽつと点いていて、ワン、ツー、スリー、三つ目の行灯に「明洞カルビ冷麺」と漢字で書いてあるのが見えました。

料理は鋏と火箸でチョキチョキ
たとえ一瞬とは言え、この親切なおっさんを疑って本当に申し訳ない気がしてきました。世の中それほど悪い奴は居ないものなんだ。
どうもこの店の常連客は日本人のようで、私達が入ってからもガイドブックを片手にした日本人観光客数組入ってきました。
この国で面白いのは,料理をお客さんに出してから目の前で鋏と火箸を使ってチョキチョキと細かく切ってくれることです。写真のように火箸で挟み、鋏で切ってくれます。これは肉料理に限ったことではなく、長いものはみなこの調子です。冷麺(日本で言ううどん)を食べた時もやはり鋏でチョキチョキ切ってくれました。
他の国では、テーブルに出した料理を鋏で切るのは見た事がありませんので、これは韓国特有の習慣なのかもしれません。以前来たときにはラシャ鋏を使っていたように記憶していますが、今回見たものは料理用に作られた専用の鋏のようでした。新しく考案されたのでしょう、小道具も時代と共に変わっていました。
食事を終わっての帰り、カーボーイのおっさんは、また台の上に乗って呼び込みをしていました。よく聞いていると、
「ミョンドンカルビネンミョン(明洞カルビ冷麺)」
と言っているではありませんか。何のことはない、このおっさん明洞カルビ冷麺の店の呼び込みでした。
私を憶えていて親指と人差し指で丸を作り
「美味かったか」
と言う。
記念写真をと言うとピストルを構えポーズをとってくれました。

【南大門市場】
ソウルには、南大門市場と東大門市場という二つの巨大市場があり、その規模は、日本でわれわれが考える規模をは

南大門市場は夕方5時からが本番
るかに超える広大な地域で、店がびっしりと並びありとあらゆる品物が売られています。
大雑把な区分けをすれば、東大門市場では主に衣料品が、南大門市場では主に生鮮食料品や日常品が扱われていると言う事になるのでしょうが、そうとも言い切れないようです。
とにかくどう表現すれば説明できるのか分からないほどすごい。
東大門市場へ行く時に乗ったタクシーの運転手は、東大門市場はファッションを主にした若者の町と説明してくれましたが、女性の町と言った方がいいかも知れません。事実買物に来ている人は殆どが女性で、並んでいるものは最新デザインの既製服から生地に至るまで繊維・雑貨に関する物なら何でも売っていました。売り場も、商品が並べてあると言うより、通路まで足の踏み場もないほど並べられ、それも天上に届くほど積み上げられている有り様。
この市場は、夜通し開かれているとのことで、夜には地方からの仕入れ客で賑わい、一日中人を詰め込んだような混雑は今も昔も変わっていませんでした。
しかし、東大門市場は近代風に変貌し、建物は全てビル、外観は普通の町並みと変わらないものになっていて、私達旅人にとってはかってのような異国情緒を味わうことはできなくなっていました。
それに比べると、南大門市場には、私が以前訪れた当時のソウルが残っていました。

ゆでた豚の頭
縦横に走っている路地の両側に間口2間ほどの店がびっしりと並んでいて、路上にまで張り出して商品が並べられています。広い地域を生鮮食料品の店が占めていることもあってでしょうか、ここには庶民の息吹のようなものが感じられます。ここで見る人たちは、東大門市場へ衣料品を求めに来る人たちとはどこか違う雰囲気を感じます。
それほど広くない路地には人があふれるように流れているのに、夕方5時になると、これがまたすごい。市場の外に待機していた屋台が一斉に市場の路地へ流れ込み店を開き始めます。屋台を並べる順番が決められているのでしょう、各路地の入り口から入ってきた屋台は一番奥から順番にびっしり詰められてゆき、ただでさえ狭い道に屋台の商品が広げられ、上の写真でもお分かりになるように、路地も店の一部になってしまった観がします。
ごった返す人の波、雑然と並べられた商品、どこかの縁日へでも来たような、こんな雰囲気が私は大好きです。並んでいる商品も種種雑多。立ち食いの店もたくさんあり、食べ歩きをしてみるのも楽しい旅の思い出になります。店で売っているものは殆ど火を通したもので安心して口に出来ます。私が以前から一度挑戦してみたいと思っていてもいまだに出来ないのが豚の頭です。どのようにして買うのか知りませんが、以前読んだ本には、好きなところを切り取って売ってくれると書いてありました。次ぎにここを訪れる機会があったら、今度こそ食べてみようと思っています。この豚の頭の買い方食べ方、知っている方ぜひ教えて下さい。

【昔の面影を残す仁寺洞】
かって私が訪れたソウルには、茶房(ターバン)と呼ばれる喫茶店がいたるところにありました。店には、必ずチマチョゴリを着た若いママさんが居て、韓国のお茶を飲ませてくれました。しかし、街が近代的になりソウルの人た

伝統的な韓国家屋の伝統茶院
ちの生活様式も変わってきたのか、街中にある喫茶店は日本の喫茶店と同じコーヒーショップばかりでターバンを見つけるのは困難になっていました。初めて韓国へ来た家内に是非と思い、観光地図で探したところ、仁寺洞に数ヶ所伝統的な韓国のお茶を飲ませる店があり伝統茶院という店が有名だと書かれていましたので、早速歩いて出掛けました。
広い表通りを歩いているうちは良かったのですが、一本裏道へ入ったとたんにまた迷子になってしまいました。仁寺洞の近くへ来ているはずなのにそれらしい通りが見つかりません。それどころか、進むに従って人通りも少ない住宅街の裏通りのような場所へ来てしまいました。
こうなれば、もう誰かに道を尋ねるより方法はありません。運良く近くで立話をしていた30代位と思われる男性に近づきいつものように地図を見せながら道を聞くと、これがまた気のいい男で、伝統茶院まで案内してくれました。私達は大分方向違いの所へ来ていたようで広い道を渡り10分ほど歩いてやっと目的地に付いた次第です。折角案内してくれたのでお茶を御馳走してあげ別れました。
伝統茶院は、昔の屋敷後を利用したもののようで、広い庭を取り囲むように建物が建っていて、喫茶店の他に大きな画廊が3つ併設されていていました。庭の中央に実をいっぱい付けた大きな柿木が立っていたのが店構えによくマッチし印象的でした。

オンドルの小部屋で韓国茶を飲む
喫茶店の中は腰掛のテーブル席とオンドルの小部屋があり、異国情緒豊かな雰囲気を満喫させてくれるものでした。しかし、昔のようにチマチョゴリを着た女性店員やママはもう居なくなったようです。私達はオンドル部屋に上がることにしました。部屋に上がると店員が日本の団扇に日本語で書いたメニューをもってきました。メニューを見てもどのお茶がどんな味だったか私も忘れてしまい全く分かりません。とにかく、柚子茶とナツメ茶を注文しました。漢方薬でも飲むような個性的な風味の韓国茶は、慣れると癖になりそうな一種特有な味で、私は何時も韓国風喫茶店で韓国風のお茶を飲むときしみじみと韓国を旅している実感が湧いてくるような気がします。
私達が上がったオンドル部屋の壁には一面に落書きがしてありました。この店は、観光のガイドブックなどにも広く紹介されているせいか外国人の客が多く、部屋の落書きも、日本語、英語、韓国語私の知らない外国語などさまざまでした。暇があれば、日本語だけでも拾い読みしてみると面白いかも知れません。
仁寺洞は、ソウルでも古い街並みの面影を残すの数少ない街の一つで、表通りにはずらりと書画骨董店が並び画や書の好きな方にはたまらない場所ではないでしょうか。また、骨董店も多く、思わぬ掘り出し物の骨董品を見つけ出す事も出来るかもしれません。

韓国家屋の料理屋さんが並ぶ仁寺洞の裏通り
仁寺洞には、もう一つの顔がありました。裏通りへ一歩入ると韓国風の料理屋さんが昔ながらの面影でたくさん並んでいました。
ガイドブックに載っている韓国の宮廷料理、伝統的な料理店は殆どこの界隈に集まっていました。
こう書くと、何か高級料理店街のように聞こえますが、昔ながらの瓦屋根の料理屋さんに混じって大衆食堂のような店もたくさんありました。表に立てられたお品書きを見ると日本円換算で350円から900円くらいの料理が多く、フルコースの宮廷料理でも4000円前後まで、私たちの予算内で結構食事が楽しめそうです。
私達は、これもガイドブックに載っていた迎賓ガーデンという店で昼食をとりました。名前は現代的ですが、実際は庭のある韓国家屋の店で、現在でも昔ながらの炭火で肉を焼いて食べさせてくれることで有名な店だそうですが、ここのところ肉ばかり食べていたので、ここでは冷麺を食べました。代金は一人日本円換算350円でした。

【ロッテワールドと民俗博物館】
子供から大人まで楽しめるのキャッチフレーズで人気のあるロッテワールドは、世界一の屋内遊園地と言うだけに素

ロッテワールドへ遠足に来た子供達
晴らしく、デズニーランドとは一味違ったおとぎの国と言う雰囲気を感じさせてくれるところで、私達大人には幻想的な童心の世界へ、子供達には冒険と夢の世界へと誘ってくれます。
ここは、韓国でも子供達に大人気の場所のようで、たくさんの幼稚園児や小学生が先生に引率されて遠足に来ている姿を見かけました。
こうした子供達を見ていて、私の孫娘達もここへ連れて来てやったらさぞ喜ぶだろうなあと思いましたが、そう簡単に実現できることではありません。土産話の材料にと思い、ロッテワールドのマスコット人形小熊のロッティを孫達に一つずつ買いました。
ロッテワールドには、マジックアイランドと名付けられた池の中に浮かんだ屋外遊園地もあり、中央には16世紀のドイツの城をそのまま再現したと言うマジックキャスルが立っていて、城を取り囲むようにいろいろなアトラクションが準備されていました。ここでも一番人気は、地上70メートルから急落下する絶叫マシンジャイロドロップでした。1時間も待たなければ乗れないほどの行列が出来ていました。
このロッテワールドには隣接してロッテワールド民俗博物館が作られていますが、これがまた素晴らしく、国立民俗

ロッテ民俗博物館ミニチュア都市の一部
博物館を遥かに凌ぐ規模のもので、韓国の古代から現代にいたるまでのたくさんの資料や展示物が集められていました。また、体育館よりも広いと思われる広大なスペースに王宮を中心に遠く郊外の農村までを細密に作った昔の首都の面影をミニチュアで再現してあり、実に見ごたえのあるものでした。このセットは、ミニチュアとはいえ、街の中の人々や農村の庭で仕事をする農夫、遊んでいる子供達まで実物のように正確に作られていました。
韓国の歴史や文化を知るのにたいへん役立ちました。

ロッテワールドを出たのは、もう太陽が沈みかける頃でした。 この日は今回の旅行の最後の夜。明洞で夕食をすることにしましたが、時間が少し早かったので、タクシーで南山タワーを回る事にしました。南山の上に立つ南山タワーからはソウル全市が一望でき、その夜景は正に絶景。
ソウルの夜景を堪能して、帰りはケーブルカーで山を下り、歩いて街まで下りようかとも思いましたが、疲れていたので明洞までタクシー。
話が少し反れますが、この国で最初に気付いたのは乗り物がたいへん安い事でした。タクシー、地下鉄、バス、鉄道全てが安

伝統料理サムゲッタン
い。レンターカーも運転手付きで一日1万5千円程度、それもガソリン代込みでの値段。乗り物だけが特に安いようです。ちなみに、タクシーでロッテワールドから南山まで約15キロが日本円換算約1,800円。基本料金が1,300ウオン(約120円)から始まるので市内のちょい乗りならば、500円を越える事はまずありません。ですから、今回の旅では、移動は殆どタクシーを使いました。
さて、いよいよ最後の晩餐。
出発前に、ソウルから帰って来たばかりのインターネットフレンドが、サムゲッタンがたいへん美味しかったとのメールをくれましたので、是非サムゲッタンをと思い、ガイドブックに載っていた明洞の百済サムゲッタンという店へ行きました。
まるまる一匹の若鶏にもち米と高麗人参やナツメなどの漢方を詰めじっくり煮込んだサムゲッタンは、この上も無く美味で、OBビール一本と共に十分味わってきました。このサムゲッタン(キムチ数種類と赤飯のようなご飯付き)、金9,000ウオン(約900円)也。値打ちだと思いませんか。

振り返ってみると、瞬く間に過ぎてしまった四日間でした。もっとも、無理のないようにと朝は8時起床、夜は8時にはホテルに帰るという年寄り夫婦ののんびり旅行ですから、それほど多くのところを回る事はできませんでした。ソウルをじっくり楽しもうと思えば1週間くらいの滞在が必要かも知れません。それでも、今回の旅では、それなりにたくさんの思い出ができました。
私は、カジノの雰囲気が好きで、カジノのある都市へ行くと必ず寄ってみます。今回もウオーカーヒルでディナーショーを見てカジノに寄りました。私は、ルーレットが好きで、ルーレット以外のゲームはしません。カジノでの今までの私の実績は5勝5敗で、今回のウオーカーヒルでは勝(ほんの少し)でした。

それでは又!!!

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