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皆さん、お元気ですか。 今月13日から4日間家内と韓国のソウルへ行ってきました。前回のインド旅行と前々回の中国旅行は、セットツアーであったこともあり、訪問先は盛り沢山でしたが眠る時間も無いほどの強行軍で家内がダウンしてしまいました。この経験を生かし、今回の旅は、のんびりとした気ままな旅にすることにしました。滞在地はソウルのみにして同じホテルを3泊予約しました。また、ホテルは、のんびり街を散策するのに都合がいいようにとソウルの中心街明洞の近くにあるロッテホテルを予約しました。元来、私の旅は、景色を見て歩くと言うより、街の中を歩き、人々の生活を見、そこに住んでいる人とのふれ合いを楽しむというもので、のんびりと当て所も無く歩き回るのが通例で、今回の旅も特に細かい計画は立てずに出発しました。
折角の旅、現地での滞在時間は出来るだけ長くと思い、出発は午前便、帰りは夜便とまるまる4日間滞在できるよう飛行機を選びました。私の家は、名古屋国際空港の国際線ロビーまで車で僅か15分のところにありますので、外国旅行には実に便利。7時に家を出、11月13日午前9時半名古屋空港発、午前11時半ソウル着の大韓航空に乗りました。
【久し振りに見たソウルの印象】
二番目に、街が大変きれいになり、路上に全くゴミが落ちていない事でした。かって、この国の人は日本人と同じようにタバコが好きで、路上のいたるところにタバコの吸殻が落ちていましたが、今は全く見かけません。街を行き交う人たちもくわえタバコで歩いている人は全く見かけませんでした。 禁煙が相当徹底しているようで、公共の建物の中では全て喫煙が禁止されていました。当然ホテルもロービーでの喫煙は禁止、ホテルの宿泊室も喫煙する場合はチェックインをする時に其の由申し出て、喫煙可能な部屋割りを貰わなければなりませんでした。 愛煙家である私は当然喫煙可能な部屋を申し出ました。割り当てられたのは31階のエクゼクティブフロアーでした。このエクゼクティブフロアーは、スイートルームの直ぐ下の31階と32階の2フロアーが当てられていて、ビジネスマン用に特別な配慮がされていました。例えば、この階には、コピー機やタイプライターが準備された特別室や会議室が用意されていて、インターネットが何時でも使えるように室内の電話はISDN回線になっていました。 この部屋は、一般の部屋よりも料金が高いという事でしたが、タバコを吸うからといって同じ料金で高い部屋に泊めてもらえた事は有難い事でしたが、やはり、ビジネスマンはどこの国でもストレスが溜まり喫煙者が多いのでしょうか。私の向かいの部屋の白人も、くわえタバコでパソコンに向かい何かを一生懸命打ち込んでいました(掃除中で偶然ドアーが開いていました)。
【明洞の坊さんとカーボーイ】
最初の明洞での食事は、どのガイドブックにも載っているビビンパで有名な全州屋へ行きました。ガイドブックに「この店へ行く路地の入り口には僧侶姿の名物おじさんが立っている」と書いてあったので、名物おじさんを探して徘徊。この店も、このおじさんが居なければ、何度も前を通り過ぎてしまいそうな場所でした。 早速、家内と記念撮影。このおじさんなかなかのプロ根性。後で気が付いたのですが、家内とのツーショット写真を見て下さい。店のパンフレットが写真の中央に写るように左手に持ってしっかり前へ差し出しています。 店には、韓国語,日本語,英語、それに写真つきのお品書きが壁に貼ってありました。もちろん値段もきちんと書いてありました。 観光客が出入りする店では、言葉は通じなくても殆どの店が日本語メニューを用意しているようで、 「日本語のメニューありますか。」 と聞けば、日本語メニューを持ってきてくれます。 二度目の明洞徘徊は私の最も苦手な夜でした。韓国名物骨付きカルビを食べに行こうと、これもガイドブックに出ていた明洞カルビ冷麺なる店を探して歩き回りましたがなかなか見つかりません。
そんな時、確かこの辺りだがと思う路地の入り口に置いた台に乗って呼び込みをしているカーボーイ姿の男性が目に止まりました。そこで、そのカーボーイに何時ものように地図を出しここへ行きたいのだがと聞くと、近くのショーウインドウの明かりのそばへ行き目を細めて食い入るように地図を見ていました(このおじさん見かけより大分年寄りのようで細かい字がよく読めなかったようでした)が、分かったと言うような素振りをすると暗い路地の方へ入って行き、こちらへ来い来いと手招きをする。このおっさん調子よさそうだしどこか自分の都合のいい店へ引っ張り込む気ではと一瞬不安が過ぎりましたが一先ずついて行きました。しばし歩くと薄暗い枝道があり、その奥の方を指差し 「ほら、あそこだ。ワン、ツー、スリー。」 と言う。 ガイドブックに載っているような有名な店がこんな怪しげな路地にあるものかと疑いながらカーボーイのおっさんが指差す方を見ると、店の行灯看板がぽつぽつと点いていて、ワン、ツー、スリー、三つ目の行灯に「明洞カルビ冷麺」と漢字で書いてあるのが見えました。
どうもこの店の常連客は日本人のようで、私達が入ってからもガイドブックを片手にした日本人観光客数組入ってきました。 この国で面白いのは,料理をお客さんに出してから目の前で鋏と火箸を使ってチョキチョキと細かく切ってくれることです。写真のように火箸で挟み、鋏で切ってくれます。これは肉料理に限ったことではなく、長いものはみなこの調子です。冷麺(日本で言ううどん)を食べた時もやはり鋏でチョキチョキ切ってくれました。 他の国では、テーブルに出した料理を鋏で切るのは見た事がありませんので、これは韓国特有の習慣なのかもしれません。以前来たときにはラシャ鋏を使っていたように記憶していますが、今回見たものは料理用に作られた専用の鋏のようでした。新しく考案されたのでしょう、小道具も時代と共に変わっていました。 食事を終わっての帰り、カーボーイのおっさんは、また台の上に乗って呼び込みをしていました。よく聞いていると、 「ミョンドンカルビネンミョン(明洞カルビ冷麺)」 と言っているではありませんか。何のことはない、このおっさん明洞カルビ冷麺の店の呼び込みでした。 私を憶えていて親指と人差し指で丸を作り 「美味かったか」 と言う。 記念写真をと言うとピストルを構えポーズをとってくれました。
【南大門市場】
大雑把な区分けをすれば、東大門市場では主に衣料品が、南大門市場では主に生鮮食料品や日常品が扱われていると言う事になるのでしょうが、そうとも言い切れないようです。 とにかくどう表現すれば説明できるのか分からないほどすごい。 東大門市場へ行く時に乗ったタクシーの運転手は、東大門市場はファッションを主にした若者の町と説明してくれましたが、女性の町と言った方がいいかも知れません。事実買物に来ている人は殆どが女性で、並んでいるものは最新デザインの既製服から生地に至るまで繊維・雑貨に関する物なら何でも売っていました。売り場も、商品が並べてあると言うより、通路まで足の踏み場もないほど並べられ、それも天上に届くほど積み上げられている有り様。 この市場は、夜通し開かれているとのことで、夜には地方からの仕入れ客で賑わい、一日中人を詰め込んだような混雑は今も昔も変わっていませんでした。 しかし、東大門市場は近代風に変貌し、建物は全てビル、外観は普通の町並みと変わらないものになっていて、私達旅人にとってはかってのような異国情緒を味わうことはできなくなっていました。 それに比べると、南大門市場には、私が以前訪れた当時のソウルが残っていました。
それほど広くない路地には人があふれるように流れているのに、夕方5時になると、これがまたすごい。市場の外に待機していた屋台が一斉に市場の路地へ流れ込み店を開き始めます。屋台を並べる順番が決められているのでしょう、各路地の入り口から入ってきた屋台は一番奥から順番にびっしり詰められてゆき、ただでさえ狭い道に屋台の商品が広げられ、上の写真でもお分かりになるように、路地も店の一部になってしまった観がします。 ごった返す人の波、雑然と並べられた商品、どこかの縁日へでも来たような、こんな雰囲気が私は大好きです。並んでいる商品も種種雑多。立ち食いの店もたくさんあり、食べ歩きをしてみるのも楽しい旅の思い出になります。店で売っているものは殆ど火を通したもので安心して口に出来ます。私が以前から一度挑戦してみたいと思っていてもいまだに出来ないのが豚の頭です。どのようにして買うのか知りませんが、以前読んだ本には、好きなところを切り取って売ってくれると書いてありました。次ぎにここを訪れる機会があったら、今度こそ食べてみようと思っています。この豚の頭の買い方食べ方、知っている方ぜひ教えて下さい。
【昔の面影を残す仁寺洞】
広い表通りを歩いているうちは良かったのですが、一本裏道へ入ったとたんにまた迷子になってしまいました。仁寺洞の近くへ来ているはずなのにそれらしい通りが見つかりません。それどころか、進むに従って人通りも少ない住宅街の裏通りのような場所へ来てしまいました。 こうなれば、もう誰かに道を尋ねるより方法はありません。運良く近くで立話をしていた30代位と思われる男性に近づきいつものように地図を見せながら道を聞くと、これがまた気のいい男で、伝統茶院まで案内してくれました。私達は大分方向違いの所へ来ていたようで広い道を渡り10分ほど歩いてやっと目的地に付いた次第です。折角案内してくれたのでお茶を御馳走してあげ別れました。 伝統茶院は、昔の屋敷後を利用したもののようで、広い庭を取り囲むように建物が建っていて、喫茶店の他に大きな画廊が3つ併設されていていました。庭の中央に実をいっぱい付けた大きな柿木が立っていたのが店構えによくマッチし印象的でした。
私達が上がったオンドル部屋の壁には一面に落書きがしてありました。この店は、観光のガイドブックなどにも広く紹介されているせいか外国人の客が多く、部屋の落書きも、日本語、英語、韓国語私の知らない外国語などさまざまでした。暇があれば、日本語だけでも拾い読みしてみると面白いかも知れません。 仁寺洞は、ソウルでも古い街並みの面影を残すの数少ない街の一つで、表通りにはずらりと書画骨董店が並び画や書の好きな方にはたまらない場所ではないでしょうか。また、骨董店も多く、思わぬ掘り出し物の骨董品を見つけ出す事も出来るかもしれません。
ガイドブックに載っている韓国の宮廷料理、伝統的な料理店は殆どこの界隈に集まっていました。 こう書くと、何か高級料理店街のように聞こえますが、昔ながらの瓦屋根の料理屋さんに混じって大衆食堂のような店もたくさんありました。表に立てられたお品書きを見ると日本円換算で350円から900円くらいの料理が多く、フルコースの宮廷料理でも4000円前後まで、私たちの予算内で結構食事が楽しめそうです。 私達は、これもガイドブックに載っていた迎賓ガーデンという店で昼食をとりました。名前は現代的ですが、実際は庭のある韓国家屋の店で、現在でも昔ながらの炭火で肉を焼いて食べさせてくれることで有名な店だそうですが、ここのところ肉ばかり食べていたので、ここでは冷麺を食べました。代金は一人日本円換算350円でした。
【ロッテワールドと民俗博物館】
ここは、韓国でも子供達に大人気の場所のようで、たくさんの幼稚園児や小学生が先生に引率されて遠足に来ている姿を見かけました。 こうした子供達を見ていて、私の孫娘達もここへ連れて来てやったらさぞ喜ぶだろうなあと思いましたが、そう簡単に実現できることではありません。土産話の材料にと思い、ロッテワールドのマスコット人形小熊のロッティを孫達に一つずつ買いました。 ロッテワールドには、マジックアイランドと名付けられた池の中に浮かんだ屋外遊園地もあり、中央には16世紀のドイツの城をそのまま再現したと言うマジックキャスルが立っていて、城を取り囲むようにいろいろなアトラクションが準備されていました。ここでも一番人気は、地上70メートルから急落下する絶叫マシンジャイロドロップでした。1時間も待たなければ乗れないほどの行列が出来ていました。 このロッテワールドには隣接してロッテワールド民俗博物館が作られていますが、これがまた素晴らしく、国立民俗
韓国の歴史や文化を知るのにたいへん役立ちました。
ロッテワールドを出たのは、もう太陽が沈みかける頃でした。
この日は今回の旅行の最後の夜。明洞で夕食をすることにしましたが、時間が少し早かったので、タクシーで南山タワーを回る事にしました。南山の上に立つ南山タワーからはソウル全市が一望でき、その夜景は正に絶景。
さて、いよいよ最後の晩餐。 出発前に、ソウルから帰って来たばかりのインターネットフレンドが、サムゲッタンがたいへん美味しかったとのメールをくれましたので、是非サムゲッタンをと思い、ガイドブックに載っていた明洞の百済サムゲッタンという店へ行きました。 まるまる一匹の若鶏にもち米と高麗人参やナツメなどの漢方を詰めじっくり煮込んだサムゲッタンは、この上も無く美味で、OBビール一本と共に十分味わってきました。このサムゲッタン(キムチ数種類と赤飯のようなご飯付き)、金9,000ウオン(約900円)也。値打ちだと思いませんか。
振り返ってみると、瞬く間に過ぎてしまった四日間でした。もっとも、無理のないようにと朝は8時起床、夜は8時にはホテルに帰るという年寄り夫婦ののんびり旅行ですから、それほど多くのところを回る事はできませんでした。ソウルをじっくり楽しもうと思えば1週間くらいの滞在が必要かも知れません。それでも、今回の旅では、それなりにたくさんの思い出ができました。
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