アンコールワットの旅
H.13.03.15


 3月10日から、旅行社の企画した「世界遺産紀行」のツアーに加わりカンボジアのアンコールワットへ行ってきました。ついこの間まで内戦が続いていた国、事前に読んだ旅行記や「在カンボディア日本国大使館安全情報・海外危険情報」などから、まだ旅行環境が十分整っていないような気がして身体の弱い家内を連れて行くのは止め私一人で参加しました。
この旅行に参加するまで、私の世界三大仏教遺跡アンコールワットに関する知識は、以前訪れたインドネシアのボルブドール遺跡(これも世界三大仏教遺跡)を思い浮かべる程度のものでした。しかし、実際に訪れてみて、そのスケールの大きさに驚かされました。
今をさかのぼる事約千年、アンコールワットのあるシェムリアップは、インドシナ半島の大部分とマレー半島の一部までを領土とした一大帝国クメール王国の王都として栄え、その規模は東京23区にも匹敵する広大なもので、東南アジアの道は全てアンコール王都に通じていた言われるほどだったそうです。そして、このシェムリアップ地域には数百を超える大小様々な寺院が建立され、中でもアンコールワットは、都のシンボル的存在でもあったと言うことです。シェムリアップは、日本で言えば奈良の都に当たり、アンコールワットは東大寺というところでしょうか。
今回の旅では、あまりにも興味のある被写体が多く、600枚に近い写真を撮ってきました。しかし、今から私がお話しようとしている旅物語は、あくまでもカンボジアという国の現状について全く知識の無い私がシェムリアップという一地方観光地で見たり聞いたりした出来事であることを念頭においてお読みいただければと思います。

旅行々程(2001.03.10〜14)
名古屋 バンコク シェムリアップ (シェムリアップ泊)@  アンコールトム遺跡、アンコールワット遺跡 (シェムリアップ泊)A  アンコール遺跡小回コース(クラバン、スラ・スラン、バンテアイ・クディ、タ・ケウ)、アンコール遺跡大回コース(プリア・カーン、ニャックポアン、タ・ソム、東ヘポン、プレ・ループ)、プノンバケン (シェムリアップ泊)B   トンレサップ湖  シェムリアップ  バンコク バンコク市内観光 C バンコク  名古屋 

 バンコクでロシア製中型プロペラ機に乗り継ぎ約1時間、平成13年3月10日午後7時、シェリムアップ国際空港着。いよいよ私たちの「歴代の王がその力を競い合うかのように都城を築いた地、美しいばかりの田園と神秘的なまでに深い森に抱かれたシェムリアップ」(ガイドブックより)の旅が始まりました。

【シェリムアップへの第一歩】
 シェムリアップ空港は、観光と田園の町の名に相応しくこじんまりとした空港でした。ターミナルビルも平屋建で、到着ターミナルは小さな部屋が2部屋のみ。ビザの発行、入国手続きは、まだ行政組織が整備されていないのでしょうか Police のワッペンを付けた警察官が全てやっていました。荷物の受け取りもターンテーブル等というしゃれたものは無く、土間に並べられた荷物を係員に言ってもらって行く。税関も出口に立っている警察官に申告書を渡して行くだけ。とても簡単。国際空港特有の仰々しさは全くありませんでした。
 私たちは、迎えマイクロバスでホテルに向かいましたが、回りは真っ暗の闇、目に入るのは時々すれ違う車のヘッドライトのみ。
「この道は国道6号線です。」
とガイドが説明してくれましたが、街路灯の明かり一つ無く、何も見えません。
ガイドブックによると、シェムリアップの町は、半日もあればゆっくり歩いて一回りできるほどの広さで、国道沿いにはホテルやレストラン、ゲストハウスが並び人の姿も多いとありますが、それらしき様子は全くありません。電力事情はあまりよくない様子で、ホテルや店では発電機が必需品になっているようでした。
ガイドブックや大使館情報では、日没後は絶対に外出しないようにとくどいほど書かれていた理由が分かったような気がしてきました。


私たちの泊まったノコールプノンホテル


いつも笑顔のドア-ガール

 私たちの泊まったのは、一応高級ホテルにランク付けされたノコールプノンホテルで、写真のように異国情緒満点の建物でした。外国へ来たーという感じしませんか。
また、民俗衣装を身に付けた可愛い女の子に出迎えられ、雰囲気は満点。異国へ来たんだと言う実感が湧いてきました。ドアーサイドには、いつも写真の女の子が立っていて、私たちが出掛ける時や帰って来た時にしてくれる微笑ながら頭を少し下げ両手を合わせる合掌の挨拶はいやが上にも私たちの旅情をかき立ててくれるものでした。
滞在中、何度もこの幹線道路を通りましたが、シェムリアップには大都会で見るような高層ホテルは無く、全てが私たちが泊まったホテルと同じようにカンボジア風の屋根で、高いものでも4階建、殆どが2階建でした。ホテル以外の建物は全て2階建でした。
しかし、所変れば品変るではありませんが、一流ホテルと言えど、私たちの生活習慣とは相容れない面がどうしても出てきます。どのホテルもまだ新しく、観光客が大量に来始めたのも内戦が落ち着いた最近のことでしょうし、外国人馴れがしていないのかも知れません。
先ずは風呂をと言う事にしましたが、なかなか熱いお湯が出てきません。このことは、前もってガイドから聞かされていましたのでさほど気には止めませんでしたが、いざ風呂から出て水を抜こうと思ったところ、廃水栓につまみが付いていないではありませんか。ゴムの栓が配水管の中の方に確りと食い込んでしまいどうしても抜けません。持参していたサーバーイブツールを使ってやっと廃水に成功。日本人のようにどっぷり湯に浸かる習慣の無いこの国の人にとっては湯船の栓をすることなどまず無いのかも知れません。宿泊客の60%が日本人と言うこのホテル、今まで苦情が無かったのだろうかと不思議な気がしました。
次ぎに、床に付く前に窓の錠を確認したところうまくかえません。かえたと思って窓をがたがたと動かしてみるとはずってしまいます。何度も試しても駄目。私の部屋は1階、窓の外は庭になっていて、窓をまたいで簡単に部屋に入って来ることが出来ます。無用心この上も無い有様。
四苦八苦している時、偶然窓の外を通りかかったホテルの従業員が居たので呼び止め、状況を説明したところ
彼は、窓を跨いでひょいと部屋の中に入ってきました。
錠をがちゃがちゃいじっていましたが、
「OK.No problem.」
と言う。
私が窓をがたがたと揺するとまたはずってしまう。
「そんな風に揺すっては駄目。」
と彼は言う。
そんな馬鹿な、揺すってはずれるような錠で No problem のはずがない。
駄目なら部屋を換えてくれと強行に抗議すると修理担当の従業員が来て直して行った。
後のなって推測するに、この国(私が旅行中に見た範囲)では、最近建てられたと思われる洋風の建物は別として、民家の入り口にドアーのある家が少ない。部屋の中は丸見え。施錠に関する感覚が私たちと全く違うようです。
そう言えば、ホテルでは金銭を抜かれたり物を取られたりと言うこそ泥的な被害警告はあっても、強盗に進入され凶器を突きつけらて金を取られたとか、傷害事件が起きたとかの旅行情報は無かったような気がします。
施錠に関する感覚が私たちと全く違うような気がし、大使館情報ではセーフティボックスは必ずしも安全ではないとのことでしたが、取られるよりましと早速大事なものはホテルのセーフティボックスに預ることにしました。

【アンコール遺跡巡りに出発】
 朝8時半、迎えに来た中国製のマイクロバスに乗って私たちの遺跡訪問は始まりました。

電球の付いていない街路灯 ???

昨夜到着した時はもう夜、ヘッドライトに照らし出された道路脇の根元を白く塗った街路樹が見えるだけ、街路灯一つ無い真っ暗な道が延々とホテルまで続いており、回りの景色は全く見えませんでしたが夜が明けて街中を走ると、いろいろな物が見えてきました。
先ず第一に驚いたのは、昨夜真っ暗だった道路沿いに立派な街路灯がずらりと並んでいるではありませんか。よく見ると電球が付いていません。最初は、まだ工事中でこれから整備されるのだと勝手に判断していましたが、これは大間違い。ガイドの説明では、この街路灯は一年以上も前に作られたものですが、今までに使われたのは、昨年暮れに中国の国賓が来訪の時一度だけとのこと。電力事情の悪いこの国では無用の長物になってしまっているようでした。
電球は外して保存されているのかどうか分かりませんが、それにしてもところどころ思いついたようにぽつんと電球のついた街路灯があるのは何故でしょうか。
ひょっとすると誰かが外して持って行ってしまったのでは、などと考えながら前を走っている車を見ると、また驚いた。ナンバーが付いていない。その前を走っているバイクにもナンバーが付いていないで

車にナンバーが付いてない ???

はありませんか。人間の記憶などと言うものは全くいいかげんで、自動車にナンバーは付いているのが当り前という私の常識から、今まですれ違った車にナンバーが付いていたのかいなかったのか注意して見もしませんでしたし、全く思い出せません。近くに居たガイドに聞くと、
「税金を払っていない車はナンバーがありません。税金を払うと付けてもらえます。来年からは、全部税金を払わなければいけなくなりますが、現在は半々くらいです。」
と言う。
税金を払わないくらいですから、倍賞保険など言うに及ばず(私が勝手に判断するに)で、事故でも起こされたらやられ損ということでしょうか。保険制度がまだ普及していないのかも知れません。 聞いてみませんでしたが、私たちの乗っていたマイクロバスはどうだったのでしょう。無保険車の可能性が高いような気がします。
シェリムアップの街で見かける乗用車の数はまだ少なく、観光客が利用できるタクシーがどれくらいあるのか分かりませんが、バイクタクシーがたくさん走っていて結構繁盛しているようでした。路線バスが走っている様子はなく、ホテルから5キロから10キロも離れた広大な森林の中に点在する遺跡を見て回るためには乗り物に頼るより方法がありません。

観光はバイクタクシーに乗って

バイクタクシーの上客はどうもバッグパッカーと呼ばれる若い個人旅行客(女の子も結構たくさんいたし、半分以上は日本人)のようでした。治安が云々され危険が伴うかもしれないこの国まで一人で出掛けてくる連中、流石に旅なれたもので、彼らは一泊5米ドルくらいのゲストハウスと呼ばれる安宿に泊まり、「地球の歩き方」を片手に、バイクタクシーで飛び回っていました。
興味があり、途中で数人の若者に声をかけてみました。
一人は学生で、プノンペンで現地の大学と交流、アンコールワットには昨日着いて一週間ほど滞在とのこと。ゲストハウスには、こうした若者がたくさん泊まっていて、情報交換をしたり、気が合えば一緒に歩いたり楽しいですよと言う。
また一人は、IT関係の技術者で、一仕事終わったので3ヶ月の休暇をもらい、1月終り頃日本を出て東南アジアを回ってきたが、この後は、アメリカへ飛ぶと言っていました。
この他にも言葉を交わした若者はたくさんありましたが、度胸がいいと言うのか、自由奔放と言うのか私たちとは違う世界の人達のような気がする反面、彼らの生き方を羨ましく思う面もありました。こう

ガソリンはペットボトルで

した若者達の足は、殆どバイクタクシーで、1日のチャーター料は6米ドル前後で、気が向けば観光案内までやってくれるそうです。
車窓から見ていて、もう一つ大発見?をしました。
右の写真を見て下さい。これ、どう見てもジュース屋さんですよね。看板もCocaCola。
こうした店を道端のいたるところで見かけました。
「暑く湿気の多い国だからくれぐれも水分の補給には気をつけて下さい」と出発前に読んだどのガイドブックにも書いてあり、わざわざ日本からペットボトル6本のウーロン茶を持参した私、「やはり暑い国だからジュースがよく売れるんだなぁ。」と勝手に納得していました。
しかし、これは大間違い。
写真の CocaCola の看板の下にある赤いケースは、何か分かりませんがジュースだと思います。その横に並んでいる白いボトルはミネラルウオーター。其の横に二段になって並んでいるのが、これがガソリンです。この店は飲料と一緒にガソリンを売っていますが、ガソリンだけを売っている店もたくさんありました。
それでは、ガソリンスタンドが無いのかと言うと、街中では日本で見かけるのと同じような真新しい立派なガソリンスタンドを数軒見かけました。

アンコール遺跡公園入り口

街中の珍しい光景に見とれている間に目的地に到着です。
アンコールワット、アンコール・トムを中心とする遺跡群は、アンコール遺跡公園(Angkor Archaeologocal Park)と呼ばれる広大な地域に散在し、歩いて回ることなどは不可能に近く、観光客の殆どが自動車かバイクでやって来ます。そのため、入り口は、ちょうど高速道路の料金所のように道路を横切って幾つものドライブスルーのゲートが作られていました。
入場券は、長期滞在者が多いせいか、1日券(20米ドル)、3日券(40米ドル)、7日券(60米ドル)などいろいろな種類があり、入場券購入には顔写真が必要で、本人以外の人が使用できないよう日本の運転免許証のように顔写真を貼りラミネートがされていました。

切符切りは穴あけパンチで

このトールゲートで切符を買い中に入ると、たくさんの切符切りがいて、これがまた面白い。
切符切りたちは、入って来る車に近付いては切符を切っていましたが、切符を切る手に持っている物がどうも日頃私たちが見慣れている切符切鋏とは違うようで、何か違う道具で入場券に印を付けているのだと思っていました。
しかし、私たちの切符を切りに来た時に、手に持っていた物を見て、
「なーるほど」
と感心してしまいました。
それは、私たちが書類をフアイルするために穴を開ける時に使う事務用の穴あけパンチでした。これを使って入場券の角に穴を一つ開けてくれます。
この日は、面白い使い方を考えるものだと感心して終わりましたが、後になって考えると、何のために入場券に穴を開けるのかが分かりません。入場券には有効日数と有効期限が書いてあり、その間は何度でも出入りできるようになっています。そして、切符もトールゲートを通る度に切るわけではなく、有効期限の経過日数分だけ穴が開けられていました。有効期限や日数は入場券に書いてあるのですからわざわざ切符切りをするのには何か意味があると思いますが、いくら考えても分かりません。

【アンコールトム】
 私たちの遺跡訪問は、先ずアンコール・トムから始まりました。


アンコールトム南大門


宇宙の中心と言われるバイヨン寺院

アンコールトムとは、大きな町と言う意味で、広い外堀と高さ8メートル周囲12キロの城壁に囲まれた古代都市遺跡です。城壁内には、十字に主要道路が配置され、その中央にバイヨン寺院があり、少し北に王宮遺跡があります。
王宮の正門は、勝利の門とも呼ばれ、一段高くなった象のテラス及びライ王のテラスと呼ばれる謁見台につながっています。このテラスの前には広場があり、テラスの上から閲兵する王族達の前を戦地から凱旋してきた兵士達が行進し勝利の門を通って入城したということです。
私たちがテレビでよく目にする、中国の天安門前広場や旧ソ連の赤の広場と言ったところでしょうか。
また、この広場では、町の人々を集めて王の謁見式や、王国の全土から神仏像が集められ、王臨席の下で清める儀式も毎年行われたそうです。 バイヨン寺院回廊のレリーフ(後述)を見た後で、このテラスに立つと、行進する軍隊の様子やこの広場で繰り広げられた様々な行事の様子が瞼に浮かび、往時の様子を偲ばせてくれます。
クメール建築では、神の為の宮殿は耐久性のある砂岩やレンガで、人間である王の宮殿は自然の恵みを象徴する木造というように材料を使い分けていたということで、アンクルトムの王宮跡も屋根瓦や陶器の破片が散在しているのみで建築物の遺跡は全く残っていません。
アンコ−ルトムの中心に位置するのがバイヨン寺院で、観世音菩薩の四面仏塔が乱立するこのバイヨン寺院はアンコールワットと共にクメール建築美術を語る上で欠くことのできない二大遺跡といわれています。
大乗仏教に深く帰依していたジャヴアルマン7世の時代に建造されたバイヨン寺院は、メール山(弥勒山)を象徴化していて、古代インドの宇宙観によると神々の住む霊域で、また神が降臨する場所でもありました。東西南北に伸びる幹線道路は、弥勒山から世界に向かう道を象徴し、城域はヒマラヤの霊峰を、城壁を取り巻く環濠は大海を表したものだそうです。
二重の回廊の中に伽藍があり、中に入ると光が殆ど差し込まない地下の迷路のようで、神秘的な雰囲気をかもし出していますが、壁面に彫られた彫刻を眺めながら徘徊するのも一興かも知れません。
伽藍の外側には四方から階段があり上のテラスまで上ることができますが、階段は急で、上に上がって下を見ると、まさに崖の上に立っているような感じでした。上りはまだしも、下りはたいへん危険なので南側階段に金属パイプの手摺が取り付けてありました。

酒を酌み交わす二人


お産の様子

私が、このバイヨン寺院で最も興味を持ったのは、回廊に彫られたレリーフの数々でした。バイヨン寺院の回廊は、正に一大絵巻でした。東西160メートル、南北140メートルの第一回廊の壁面は、12世紀の人々の生活の様子がつぶさに描かれていて、たいへん興味深いものでした。
漁の有様、狩の有様、炊事の様子、闘鶏場面、将棋指す人、相撲の様子、酒を酌み交わし話しにふける人、出産の様子など当時の日常的な庶民や貴族のありとあらゆる生活の様子のみならず、戦場での光景なども詳細に描かれていて見飽きる事がありません。
戦場場面では、着ている服装や髪型などから、どこの国と戦ったのか、同盟国はどこだったのかなど戦に加わった人たちの国が分かり、武器などから当時の戦の様子を知ることもできます。
また、戦場の後方では女性や子供達が料理を作ったり運んだりしていて、家族ぐるみで戦場に移動していたことも分かります。
当時の人は、ユーモアの心も忘れてはいませんでした。寺院のレリーフとも思えない滑稽な場面も多々出てきます。
軍列の後ろを行く食料運搬部隊の行列の中で、運ばれている亀が前を行く人の尻に噛みつき、噛みつかれた人が後を向いて怒っている様子、座り込んで盗み酒をしている人たち、虎に追われて必死になって木の上に逃げるバラモンの僧たち。思わず笑いが込み上げてきます。
建築場面では、石材を運び、加工し、積み上げる工事の様子が詳細に描写されていて、建築現場の様子を彷彿とさせてくれます。
この浮き彫りレリーフを一こま一こま見ていると、あまりにも現在の私たちの生活に似ていて苦笑するものもたくさんありました。人の生活などと言うものは千年の歳月を経てもさほど変るものではないなとつくづく思いました。

カンボジア紙幣の絵柄にもなっている観世音菩薩の四面仏

バイヨン寺院にはたくさんの観世音菩薩の四面仏がありますが、其の中でも上の写真の微笑を浮かべた観音菩薩は最も有名で、カンボジアの200リエル紙幣の絵柄になっています。この観音菩薩が一番いい顔をしているそうです。

この国では、昼休みの習慣があり、公務員は11時から2時までが昼休み。1時間が食事の時間、2時間が昼寝の時間です。2時間の昼寝時間は当然の権利のようで、私たちのガイドも運転手もこの昼寝時間をとります。従って、私たちも滞在中は毎日2時間のお昼寝をさせられていました。
ワーカホリックの日本人から見たら、ゴールデンタイムの昼間に述べ3時間の昼休みなんて考えられない事ですが、この国の人たちはのんびりしたものであまりがつがつしません。店の売り子などもお客さんの前では必死の形相で売り込みをしますが、それは瞬間風速で、昼休みには店ほったらかしでころかっていました。

【アンコールワット】
カンボジアと言えばアンコールワットと言うくらい有名な世界文化遺産の一つアンコールワットは、今から130年くらい前までは密林の奥深く埋もれその存在を知る人すら居ませんでした。
内戦当時、ポルボト軍によってこの遺跡が破壊されたとのニュースを聞き残念に感じた記憶ががありますが、現在では、日仏が中心となって修復が進められており、アンコール遺跡群の中でもこのアンコールワットが一番修復が進んでいるようです。私が訪れた時も正面の参道が上智大学のチームによって修復されつつありました。


アンコールワット寺院正面

第一回廊の浮き彫りレリーフ


第一回廊にて修行僧と

バイヨン寺院が仏教寺院であったのと対照的に、アンコールワットは、ヒンドゥー教三大神の中のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、スールヤヴァルマン二世を埋葬した墳墓でもあります。
私が、アンコールワットを初めて目にした時の印象は、素晴らしいの一言でした。そのスケールの大きさには目を見張りました。幅数百メートルにも及ぶと思われる広い堀に囲まれた広大な敷地に建てられたアンコールワットのイメージは、写角の狭いカメラのレンズにはとても収まり切らず、ビデオカメラを持ってこなかったことを悔いた次第です。この景色を、私の感じたイメージの映像に収めようとすれば、ビデオカメラでの風景をなぞりながら撮影するより方法はないでしょう。
アンコールワットの第一回廊にも一大絵巻が描かれています。
西面南側にはインド古来の叙事詩「マハーバーラタ」、西面北側にはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」、南面にはスールヤヴァルマン二世の行軍と死後の世界を表した「天国と地獄」、東面にはヒンズー教の天地創造神話「乳海攪拌」とヴィシュヌ神と阿修羅の戦い。
私にこうした古典神話についての知識があればもっと楽しくこれらの絵巻を楽しめたのにとつくづく思いました。
絵を見ていて
「あれっ、孫悟空がいる」
と思ったのは、ラーマ王子に率いられた猿軍の将ハヌマーンだそうです。
でも、孫悟空の発想も案外こんなところにあったのではと勝手にほくそえんでいました。
この壁画を見ている時、一人の僧侶が私たちの側を通りかかりましたが、私たちが通路を塞いでいて通れず立ち止まって待っていました。
この僧侶と一緒に記念撮影をと何時もの私の悪い癖が出てきました。
修行中の僧侶にどう対応していいのか分からない私は、ガイドに其の由を伝えてくれるようお願いしました。ガイドは、一言二言僧侶に向かって言っていましたが、僧侶はにこっと笑みを見せただけで何も言いません。
「いいのですか。」
と念を押すように私が言うと
「いいと言ってますよ。」
との返事。
???です。
でも、ガイドがそう言うんだからいいのだろうと横に並んで写真を写させてもらいました。
「お布施を上げた方がいいのでしょうか。」
とガイドに聞くと、
「あげてもあげなくても。」
とガイド。
私は猛スピードでお布施の金額を頭の中で計算しました。いままで見てきたこの国の物価から判断すると・・・。ということで1米ドル紙幣をお坊さんに渡すとお坊さんは、にっこりと微笑んで合掌。
いい旅の思い出になりました。
この間、お坊さんは一言も声を出しませんでした。ひょっとするとこれは、物の本で読んだ事のある無言の行なのかもしれないと勝手に納得しておきました。

【石造建築物食い荒らす自然の猛威】
 アンコールトムとアンコールワットの二大遺跡以外のアンコール遺跡観光は、小回コースと大回コースの二つがあり、主だった遺跡を見て回る事ができるように道路の整備されています。
しかし、アンコールトムとアンコールワット以外の遺跡の修復は殆ど進んでおらず、自然の猛威にさらされたままのありさま。遺跡によっては、境内に巨木が林立し、まさに遺跡が熱帯樹林に呑込まれてしまっているかのように見えるものさえありました。一先ず樹木を切って破壊の進行を防ぐのに精一杯で、これらを修復するのには数百年の歳月を要するのではないかと思われるほどです。
中でも、タ・プローム寺院は、自然の威力を見ることができるように、樹木の除去や本格的な積み直しなど修復の手を加えずに据え置かれています。巨大に成長したスポアン(榕樹)に圧し潰されながらも、辛うじて寺院の体裁を保っている有様。熱帯で建造物を放置するとどうなるのか自然の猛威を痛感させられます。
小さな写真では、その迫力が分かりませんので、特に大きい写真を載せました。一緒に写っている人の大きさと比べてみると、いかに巨木であるかがよく分かっていただけると思います。

遺跡の破壊は、自然によるものばかりではありませんでした。内戦中、ポルボト派の野戦病院に使われていたという寺院は、砲撃戦の結果瓦礫の山となっていました。

【旅のスナップ】
 この国では、ほんとうに子供達がよく働きます。観光地のみやげ物売りは殆ど4歳くらいから10歳くらいの子供。それも女の子が多い。観光客に手を出してお金をせびる子供は一人も見かけませんでした。象使いも結構子供が居たましたし、農家の牛の見張りは皆子供がやっていいました。トレンサップ湖では、舳先にたっている船頭は皆子供でした。
物貰いは、全て大人たち。中でも手足を無くした人たちが多く、道路わきで座り込み物乞いをしていました。恐らく地雷に触れて手足を失ったのでしょう。カンボジアでは首都プノンペンと観光地シェリムアップ以外では、今でも地雷がたくさん埋まっていて、外国人の立ち入りには警告が出されています。

内戦が終わって間もない事から、国の経済は疲弊し切っているようで、物がないのでしょう。工業製品は殆ど外国製で、売られているものは手芸品が多かった。とにかく物価は安い。子供達が売りに来る物も殆ど1米ドル、高いもので3米ドルが普通。この国では、日本円は全く通用せず、米ドルが国内通貨と同じくらい通用していました。
「おじさん、1ドル、買って。」
と小さな女の子が真剣な目をしてみやげ物の手芸品を差出し近付いてくる。
5才前後の女の子が瞬きもせずこちらの眼をじっと見据え
「おじさん、1ドル、買って。」
を繰り返す様は、ほんとうに迫力がある。
この子供達は、なかなかの根性で、ちょっとやそっとでは開放してくれません。
私は、今までの旅の経験から、こう言う時のために、ポケットに飴玉をしのばせています。
飴を1個手に握らせてやると案外簡単に開放してくれます。
しかし、これも状況をよく見極めてやらないとたいへんな事になります。
たくさん子供が居る時にこんな事をすれば、瞬く間にポケットの中どころかカバンの中の飴まで全部召し上げられてしまいます。
品物の価格は、
椰子の葉で作ったケースに入れた竹笛、2本で1ドル。
腕輪10個1束、1ドル。
布製のポシェット(刺繍がして結構凝った作りがしてある)1つ、2ドル。
彫り物の小鳥が入った竹篭、2ドル。
等々。
中でも驚いたのは、
ガイドブック1冊、2ドル。2種類2冊で4ドル。
日本の一流出版社が出版したもので、定価780円と書いてある。これが、どうして2ドルで販売できるのだろうか。
絵葉書(もちろんカラー印刷の立派な物)は、10枚1ドル。
と言った調子。
私は、こういう情報を前もって聞いていましたので、1ドル紙幣で100ドル、10ドル紙幣で100ドル準備して行きました。1ドルと言えど封印をしたままの100枚、結構ボリュームがあり金持ちになった気分になります。
いろんな物を買ったつもりですが、帰国後残金を計算すると90ドルほど残っていましたから、滞在中の買物は110ドル、日本円換算1万3千円ほどで済んでしまいました。


[象のタクシー]
2箇所ほどで象のタクシーを見かけました。物珍しさもあってか結構流行っているようでした。
運転手?は、やっぱり子供。

Can you speek English? と近付いてきた女の子
アンコールワットやアンコールトムでは見かけませんでしたが、他の遺跡では個人観光客に遺跡の説明をしてはチップを貰っている子供達がいました。
私に近付いてきたこの子も大変流暢な英語を話すのに感心しました。
「団体か個人か」と聞くので団体だと答えると、私に付いて来るのを止めてしまいました。
10歳くらいでしょうか、感じのいい印象に残る子でした。

土産物屋と縄張り
大きな遺跡の前にはたいてい土産物屋が並んでいました。面白いのは、この土産物屋の前の地面には写真でも分かるように、縄が張ってあり、この店の売り子はこの縄から前へは絶対出てきません。
攻撃?を受けたら縄の外へ脱出?でOKです。
でも、縄の外で売っている子供が居る所もありましたから、文字通り縄張りが決めてあるのでしょう。

物売りの大襲撃
観光客が来ると、子供の売り子がどっと集まってきます。
団体から離れるとターゲットになってしまうようで、ちょうどサバンナでライオンに狙われたはぐれ牛のような状況になってしまいます。
この子達は皆こざっぱりした服装をしていて、垢で汚れたシャツを着ている子は全く見かけませんでした。案外土産物屋の二世が商売修行中なのかも知れません。

花で腕輪を作っていた少女
ニャック・ポアンの遺跡を訪ねた時、参道の木陰の切り株に腰掛けて、黙々と糸に花を通して腕輪を作っていた少女がいました。横に置かれた半紙の上には10個ほど出来上がった腕輪が並べてありました。
私たちが通りかかっても買ってくれと言うわけでもなく、黙々と腕輪作りを続けていました。何の花か分かりませんが黄色い小さないい香りのする花。
「売るのか」と聞くと「全部で1ドル」だと言う。
早速1ドル払い、同行の女性たちにプレゼントしました。
この子は、売るつもりで作っていたのか、それとも売るつもりが無いのに欲しいと言うから売ることにしたのか分かりませんが、物静かな長い髪のこの子、今度の旅で一番印象に残った子でした。

インコが落ちてきた
ニャック・ポアンの遺跡の参道で、わいわい騒ぎながら通りかかった私たちの上にインコが落ちてきました。
捕まえるとギャーギャー鳴き騒々しいこと。
ガイドがひっくり返したり押さえたりして調べていましたが、怪我をしている様子も無し。
まだ雛のようでした。
飛べないのに巣から飛び出し落ちてきたのでは・・・。
近くで働いていた人が持って行きましたが、どうしたのか。

【トンレサップ湖遊覧】
最後の日は、シェリムアップから15キロほど離れたトンレサップ湖へ出掛けました。琵琶湖の8倍と言われる広さ。乾季の今でも海の上にいるようで対岸は全く見えません。
豊な漁獲量を誇り、魚の扱いも雑なもの。トラックに積んだ魚は、最初砂利でも運んでいるのかと思ったほどでした。
トレンサップ湖の話しはまた機会があったら書くことにして、今回は写真のみ。


お出かけは小船に乗って


湖上の売店


水上に造られた学校


登下校は小船で

短い旅でしたが、この国を訪れて私が感じたのは、内戦が終わって間もなく豊ではありませんが、緑豊なこの国の貧しさは、昨年インドで見たあの貧しさとは違うような気がします。発展途上国と言う言葉がよく使われますが、今のカンボジアは、強いて言えば再建途上国と言う表現の方が合うのではないかと思います。

それでは又!!!

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