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3月10日から、旅行社の企画した「世界遺産紀行」のツアーに加わりカンボジアのアンコールワットへ行ってきました。ついこの間まで内戦が続いていた国、事前に読んだ旅行記や「在カンボディア日本国大使館安全情報・海外危険情報」などから、まだ旅行環境が十分整っていないような気がして身体の弱い家内を連れて行くのは止め私一人で参加しました。 この旅行に参加するまで、私の世界三大仏教遺跡アンコールワットに関する知識は、以前訪れたインドネシアのボルブドール遺跡(これも世界三大仏教遺跡)を思い浮かべる程度のものでした。しかし、実際に訪れてみて、そのスケールの大きさに驚かされました。 今をさかのぼる事約千年、アンコールワットのあるシェムリアップは、インドシナ半島の大部分とマレー半島の一部までを領土とした一大帝国クメール王国の王都として栄え、その規模は東京23区にも匹敵する広大なもので、東南アジアの道は全てアンコール王都に通じていた言われるほどだったそうです。そして、このシェムリアップ地域には数百を超える大小様々な寺院が建立され、中でもアンコールワットは、都のシンボル的存在でもあったと言うことです。シェムリアップは、日本で言えば奈良の都に当たり、アンコールワットは東大寺というところでしょうか。 今回の旅では、あまりにも興味のある被写体が多く、600枚に近い写真を撮ってきました。しかし、今から私がお話しようとしている旅物語は、あくまでもカンボジアという国の現状について全く知識の無い私がシェムリアップという一地方観光地で見たり聞いたりした出来事であることを念頭においてお読みいただければと思います。
バンコクでロシア製中型プロペラ機に乗り継ぎ約1時間、平成13年3月10日午後7時、シェリムアップ国際空港着。いよいよ私たちの「歴代の王がその力を競い合うかのように都城を築いた地、美しいばかりの田園と神秘的なまでに深い森に抱かれたシェムリアップ」(ガイドブックより)の旅が始まりました。
【シェリムアップへの第一歩】
また、民俗衣装を身に付けた可愛い女の子に出迎えられ、雰囲気は満点。異国へ来たんだと言う実感が湧いてきました。ドアーサイドには、いつも写真の女の子が立っていて、私たちが出掛ける時や帰って来た時にしてくれる微笑ながら頭を少し下げ両手を合わせる合掌の挨拶はいやが上にも私たちの旅情をかき立ててくれるものでした。 滞在中、何度もこの幹線道路を通りましたが、シェムリアップには大都会で見るような高層ホテルは無く、全てが私たちが泊まったホテルと同じようにカンボジア風の屋根で、高いものでも4階建、殆どが2階建でした。ホテル以外の建物は全て2階建でした。 しかし、所変れば品変るではありませんが、一流ホテルと言えど、私たちの生活習慣とは相容れない面がどうしても出てきます。どのホテルもまだ新しく、観光客が大量に来始めたのも内戦が落ち着いた最近のことでしょうし、外国人馴れがしていないのかも知れません。 先ずは風呂をと言う事にしましたが、なかなか熱いお湯が出てきません。このことは、前もってガイドから聞かされていましたのでさほど気には止めませんでしたが、いざ風呂から出て水を抜こうと思ったところ、廃水栓につまみが付いていないではありませんか。ゴムの栓が配水管の中の方に確りと食い込んでしまいどうしても抜けません。持参していたサーバーイブツールを使ってやっと廃水に成功。日本人のようにどっぷり湯に浸かる習慣の無いこの国の人にとっては湯船の栓をすることなどまず無いのかも知れません。宿泊客の60%が日本人と言うこのホテル、今まで苦情が無かったのだろうかと不思議な気がしました。 次ぎに、床に付く前に窓の錠を確認したところうまくかえません。かえたと思って窓をがたがたと動かしてみるとはずってしまいます。何度も試しても駄目。私の部屋は1階、窓の外は庭になっていて、窓をまたいで簡単に部屋に入って来ることが出来ます。無用心この上も無い有様。 四苦八苦している時、偶然窓の外を通りかかったホテルの従業員が居たので呼び止め、状況を説明したところ 彼は、窓を跨いでひょいと部屋の中に入ってきました。 錠をがちゃがちゃいじっていましたが、 「OK.No problem.」 と言う。 私が窓をがたがたと揺するとまたはずってしまう。 「そんな風に揺すっては駄目。」 と彼は言う。 そんな馬鹿な、揺すってはずれるような錠で No problem のはずがない。 駄目なら部屋を換えてくれと強行に抗議すると修理担当の従業員が来て直して行った。 後のなって推測するに、この国(私が旅行中に見た範囲)では、最近建てられたと思われる洋風の建物は別として、民家の入り口にドアーのある家が少ない。部屋の中は丸見え。施錠に関する感覚が私たちと全く違うようです。 そう言えば、ホテルでは金銭を抜かれたり物を取られたりと言うこそ泥的な被害警告はあっても、強盗に進入され凶器を突きつけらて金を取られたとか、傷害事件が起きたとかの旅行情報は無かったような気がします。 施錠に関する感覚が私たちと全く違うような気がし、大使館情報ではセーフティボックスは必ずしも安全ではないとのことでしたが、取られるよりましと早速大事なものはホテルのセーフティボックスに預ることにしました。
【アンコール遺跡巡りに出発】
先ず第一に驚いたのは、昨夜真っ暗だった道路沿いに立派な街路灯がずらりと並んでいるではありませんか。よく見ると電球が付いていません。最初は、まだ工事中でこれから整備されるのだと勝手に判断していましたが、これは大間違い。ガイドの説明では、この街路灯は一年以上も前に作られたものですが、今までに使われたのは、昨年暮れに中国の国賓が来訪の時一度だけとのこと。電力事情の悪いこの国では無用の長物になってしまっているようでした。 電球は外して保存されているのかどうか分かりませんが、それにしてもところどころ思いついたようにぽつんと電球のついた街路灯があるのは何故でしょうか。 ひょっとすると誰かが外して持って行ってしまったのでは、などと考えながら前を走っている車を見ると、また驚いた。ナンバーが付いていない。その前を走っているバイクにもナンバーが付いていないで
「税金を払っていない車はナンバーがありません。税金を払うと付けてもらえます。来年からは、全部税金を払わなければいけなくなりますが、現在は半々くらいです。」 と言う。 税金を払わないくらいですから、倍賞保険など言うに及ばず(私が勝手に判断するに)で、事故でも起こされたらやられ損ということでしょうか。保険制度がまだ普及していないのかも知れません。 聞いてみませんでしたが、私たちの乗っていたマイクロバスはどうだったのでしょう。無保険車の可能性が高いような気がします。 シェリムアップの街で見かける乗用車の数はまだ少なく、観光客が利用できるタクシーがどれくらいあるのか分かりませんが、バイクタクシーがたくさん走っていて結構繁盛しているようでした。路線バスが走っている様子はなく、ホテルから5キロから10キロも離れた広大な森林の中に点在する遺跡を見て回るためには乗り物に頼るより方法がありません。
興味があり、途中で数人の若者に声をかけてみました。 一人は学生で、プノンペンで現地の大学と交流、アンコールワットには昨日着いて一週間ほど滞在とのこと。ゲストハウスには、こうした若者がたくさん泊まっていて、情報交換をしたり、気が合えば一緒に歩いたり楽しいですよと言う。 また一人は、IT関係の技術者で、一仕事終わったので3ヶ月の休暇をもらい、1月終り頃日本を出て東南アジアを回ってきたが、この後は、アメリカへ飛ぶと言っていました。 この他にも言葉を交わした若者はたくさんありましたが、度胸がいいと言うのか、自由奔放と言うのか私たちとは違う世界の人達のような気がする反面、彼らの生き方を羨ましく思う面もありました。こう
車窓から見ていて、もう一つ大発見?をしました。 右の写真を見て下さい。これ、どう見てもジュース屋さんですよね。看板もCocaCola。 こうした店を道端のいたるところで見かけました。 「暑く湿気の多い国だからくれぐれも水分の補給には気をつけて下さい」と出発前に読んだどのガイドブックにも書いてあり、わざわざ日本からペットボトル6本のウーロン茶を持参した私、「やはり暑い国だからジュースがよく売れるんだなぁ。」と勝手に納得していました。 しかし、これは大間違い。 写真の CocaCola の看板の下にある赤いケースは、何か分かりませんがジュースだと思います。その横に並んでいる白いボトルはミネラルウオーター。其の横に二段になって並んでいるのが、これがガソリンです。この店は飲料と一緒にガソリンを売っていますが、ガソリンだけを売っている店もたくさんありました。 それでは、ガソリンスタンドが無いのかと言うと、街中では日本で見かけるのと同じような真新しい立派なガソリンスタンドを数軒見かけました。
アンコールワット、アンコール・トムを中心とする遺跡群は、アンコール遺跡公園(Angkor Archaeologocal Park)と呼ばれる広大な地域に散在し、歩いて回ることなどは不可能に近く、観光客の殆どが自動車かバイクでやって来ます。そのため、入り口は、ちょうど高速道路の料金所のように道路を横切って幾つものドライブスルーのゲートが作られていました。 入場券は、長期滞在者が多いせいか、1日券(20米ドル)、3日券(40米ドル)、7日券(60米ドル)などいろいろな種類があり、入場券購入には顔写真が必要で、本人以外の人が使用できないよう日本の運転免許証のように顔写真を貼りラミネートがされていました。
切符切りたちは、入って来る車に近付いては切符を切っていましたが、切符を切る手に持っている物がどうも日頃私たちが見慣れている切符切鋏とは違うようで、何か違う道具で入場券に印を付けているのだと思っていました。 しかし、私たちの切符を切りに来た時に、手に持っていた物を見て、 「なーるほど」 と感心してしまいました。 それは、私たちが書類をフアイルするために穴を開ける時に使う事務用の穴あけパンチでした。これを使って入場券の角に穴を一つ開けてくれます。 この日は、面白い使い方を考えるものだと感心して終わりましたが、後になって考えると、何のために入場券に穴を開けるのかが分かりません。入場券には有効日数と有効期限が書いてあり、その間は何度でも出入りできるようになっています。そして、切符もトールゲートを通る度に切るわけではなく、有効期限の経過日数分だけ穴が開けられていました。有効期限や日数は入場券に書いてあるのですからわざわざ切符切りをするのには何か意味があると思いますが、いくら考えても分かりません。
【アンコールトム】
王宮の正門は、勝利の門とも呼ばれ、一段高くなった象のテラス及びライ王のテラスと呼ばれる謁見台につながっています。このテラスの前には広場があり、テラスの上から閲兵する王族達の前を戦地から凱旋してきた兵士達が行進し勝利の門を通って入城したということです。 私たちがテレビでよく目にする、中国の天安門前広場や旧ソ連の赤の広場と言ったところでしょうか。 また、この広場では、町の人々を集めて王の謁見式や、王国の全土から神仏像が集められ、王臨席の下で清める儀式も毎年行われたそうです。 バイヨン寺院回廊のレリーフ(後述)を見た後で、このテラスに立つと、行進する軍隊の様子やこの広場で繰り広げられた様々な行事の様子が瞼に浮かび、往時の様子を偲ばせてくれます。 クメール建築では、神の為の宮殿は耐久性のある砂岩やレンガで、人間である王の宮殿は自然の恵みを象徴する木造というように材料を使い分けていたということで、アンクルトムの王宮跡も屋根瓦や陶器の破片が散在しているのみで建築物の遺跡は全く残っていません。 アンコ−ルトムの中心に位置するのがバイヨン寺院で、観世音菩薩の四面仏塔が乱立するこのバイヨン寺院はアンコールワットと共にクメール建築美術を語る上で欠くことのできない二大遺跡といわれています。 大乗仏教に深く帰依していたジャヴアルマン7世の時代に建造されたバイヨン寺院は、メール山(弥勒山)を象徴化していて、古代インドの宇宙観によると神々の住む霊域で、また神が降臨する場所でもありました。東西南北に伸びる幹線道路は、弥勒山から世界に向かう道を象徴し、城域はヒマラヤの霊峰を、城壁を取り巻く環濠は大海を表したものだそうです。 二重の回廊の中に伽藍があり、中に入ると光が殆ど差し込まない地下の迷路のようで、神秘的な雰囲気をかもし出していますが、壁面に彫られた彫刻を眺めながら徘徊するのも一興かも知れません。 伽藍の外側には四方から階段があり上のテラスまで上ることができますが、階段は急で、上に上がって下を見ると、まさに崖の上に立っているような感じでした。上りはまだしも、下りはたいへん危険なので南側階段に金属パイプの手摺が取り付けてありました。
漁の有様、狩の有様、炊事の様子、闘鶏場面、将棋指す人、相撲の様子、酒を酌み交わし話しにふける人、出産の様子など当時の日常的な庶民や貴族のありとあらゆる生活の様子のみならず、戦場での光景なども詳細に描かれていて見飽きる事がありません。 戦場場面では、着ている服装や髪型などから、どこの国と戦ったのか、同盟国はどこだったのかなど戦に加わった人たちの国が分かり、武器などから当時の戦の様子を知ることもできます。 また、戦場の後方では女性や子供達が料理を作ったり運んだりしていて、家族ぐるみで戦場に移動していたことも分かります。 当時の人は、ユーモアの心も忘れてはいませんでした。寺院のレリーフとも思えない滑稽な場面も多々出てきます。 軍列の後ろを行く食料運搬部隊の行列の中で、運ばれている亀が前を行く人の尻に噛みつき、噛みつかれた人が後を向いて怒っている様子、座り込んで盗み酒をしている人たち、虎に追われて必死になって木の上に逃げるバラモンの僧たち。思わず笑いが込み上げてきます。 建築場面では、石材を運び、加工し、積み上げる工事の様子が詳細に描写されていて、建築現場の様子を彷彿とさせてくれます。 この浮き彫りレリーフを一こま一こま見ていると、あまりにも現在の私たちの生活に似ていて苦笑するものもたくさんありました。人の生活などと言うものは千年の歳月を経てもさほど変るものではないなとつくづく思いました。
この国では、昼休みの習慣があり、公務員は11時から2時までが昼休み。1時間が食事の時間、2時間が昼寝の時間です。2時間の昼寝時間は当然の権利のようで、私たちのガイドも運転手もこの昼寝時間をとります。従って、私たちも滞在中は毎日2時間のお昼寝をさせられていました。
【アンコールワット】
私が、アンコールワットを初めて目にした時の印象は、素晴らしいの一言でした。そのスケールの大きさには目を見張りました。幅数百メートルにも及ぶと思われる広い堀に囲まれた広大な敷地に建てられたアンコールワットのイメージは、写角の狭いカメラのレンズにはとても収まり切らず、ビデオカメラを持ってこなかったことを悔いた次第です。この景色を、私の感じたイメージの映像に収めようとすれば、ビデオカメラでの風景をなぞりながら撮影するより方法はないでしょう。 アンコールワットの第一回廊にも一大絵巻が描かれています。 西面南側にはインド古来の叙事詩「マハーバーラタ」、西面北側にはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」、南面にはスールヤヴァルマン二世の行軍と死後の世界を表した「天国と地獄」、東面にはヒンズー教の天地創造神話「乳海攪拌」とヴィシュヌ神と阿修羅の戦い。 私にこうした古典神話についての知識があればもっと楽しくこれらの絵巻を楽しめたのにとつくづく思いました。 絵を見ていて 「あれっ、孫悟空がいる」 と思ったのは、ラーマ王子に率いられた猿軍の将ハヌマーンだそうです。 でも、孫悟空の発想も案外こんなところにあったのではと勝手にほくそえんでいました。 この壁画を見ている時、一人の僧侶が私たちの側を通りかかりましたが、私たちが通路を塞いでいて通れず立ち止まって待っていました。 この僧侶と一緒に記念撮影をと何時もの私の悪い癖が出てきました。 修行中の僧侶にどう対応していいのか分からない私は、ガイドに其の由を伝えてくれるようお願いしました。ガイドは、一言二言僧侶に向かって言っていましたが、僧侶はにこっと笑みを見せただけで何も言いません。 「いいのですか。」 と念を押すように私が言うと 「いいと言ってますよ。」 との返事。 ???です。 でも、ガイドがそう言うんだからいいのだろうと横に並んで写真を写させてもらいました。 「お布施を上げた方がいいのでしょうか。」 とガイドに聞くと、 「あげてもあげなくても。」 とガイド。 私は猛スピードでお布施の金額を頭の中で計算しました。いままで見てきたこの国の物価から判断すると・・・。ということで1米ドル紙幣をお坊さんに渡すとお坊さんは、にっこりと微笑んで合掌。 いい旅の思い出になりました。 この間、お坊さんは一言も声を出しませんでした。ひょっとするとこれは、物の本で読んだ事のある無言の行なのかもしれないと勝手に納得しておきました。
【石造建築物食い荒らす自然の猛威】
【旅のスナップ】
内戦が終わって間もない事から、国の経済は疲弊し切っているようで、物がないのでしょう。工業製品は殆ど外国製で、売られているものは手芸品が多かった。とにかく物価は安い。子供達が売りに来る物も殆ど1米ドル、高いもので3米ドルが普通。この国では、日本円は全く通用せず、米ドルが国内通貨と同じくらい通用していました。
【トンレサップ湖遊覧】
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