ベトナムの旅
H.13.07.10


 6月28日から、友人と二人で旅行社の企画ツアーに加わりヴェトナムのホーチミン市(旧サイゴン)へ行ってきました。一緒にと誘った家内からは「一人で行ってらっしゃい」と振られ、皆からは「真夏の、それも雨季のホーチミンへ、物好きな」と冷ややかな激励を受けての出発でした。でも、雨季だからこそ見ることの出来る満々と水をたたえたメコンデルタの壮大な眺めや、スコールに煙るかって小パリ(Petit Paris)と呼ばれたサイゴン(現ホーチミン市)の街々は私にとってたいへん魅惑的なものでした。
出発に当たって、ガイドブックやインターネットの旅行記などを読み漁り、この街に対する私の憧れはどんどん膨らんでゆきました。小パリの名に相応しい落ち着いた街並み、街の中を行き交うアオザイ姿の女性たち。椰子の葉を叩き滝のように降り注ぐスコール。南国情緒、異国情緒豊な世界への期待は際限なく広がってゆきました。
しかし、「見ると聞くでは大違い」と言う言葉がありますが、到着し目にした光景は、甘い幻想的なものでは無く、実に現実的なもので、物凄いスピードで流れている時代の変化を目の当たりにした思いがしました。それでも、所変われば品変わるで、珍しいものがいっぱい。私の好奇心を十分満足させてくれる旅でした。

旅行々程(2001.06.28〜7.02)
名古屋 ソウル ホーチミン (ホーチミン泊) @  統一会堂、戦争犯罪展示館、ベンタン市場、歴史博物館、ティエンハオ寺、チョロン地区、サイゴン大教会 (ホーチミン泊) A  メコン川クルーズ、タイソン島  ミト(ブィンチャン寺、スネークファーム、ハンボン市場) (ホーチミン泊) B   クチ地下トンネル  C ホーチミン  ソウル  名古屋 

【レディは月光仮面スタイルで】
 午後4時40分名古屋国際空港発、ソウル新国際空港経由のアシアナ航空でホーチミンに着いたのは、夜の11時50分、時差2時間を入れると夜中 の2時。ホテルで床に就いたのは、日本時間の午前4時頃でした。
なにせ年寄りのツアー、朝はゆっくりとと言う事でモーニングコールは8時。完全防音の部屋は快適で外の音は全く聞こえずぐっすり眠る事がで

バイクで溢れている道路

きました。モーニングコールで目を覚まし、眠い目をこすりながら窓のカーテンを開け外を見た私は、一瞬目をみはりました。ホテル前の片道3車線の道路が、びっしりバイクで埋まっているではありませんか。とにかくすごい数のバイク。
その時は、ホテルの前がメインストリートだから、通勤時間帯で混むのだろうとくらいに思っていましたが、旅を続ける間にこの街のバイクの多さに改めて驚きました。表通りだけではなく、裏通りに入ってもバイクの数は変わりません。この国の人は、全てバイクに乗って移動しているのではないかと思われるほど。事実、歩道を歩いている人はまばらで、車道を埋め尽くしたバイクが川の流れのように流れていると言った感じ。ガイドの説明では、ホーチミン市の人口は現在530万人、バイクの数は250万台とのこと。子供や年寄を除けば、殆ど全員がバイクを持っている勘定になる。
走っているバイクは殆どが HONDA や SUZUKI 等の日本ブランドを付けていますが、これは、全て Made in China のコピー商品。日本から輸入した本物は日本円換算20万円くらいしますが、中国製のコピー商品は5万円くらいで買えるとのこと。外観だけでは本物かコピーか区別がつかないほど精巧に作られていて全く分かりません。
バイクもこれだけ普及すると、それなりの文化が生まれてきて、乗り方からファッションに至るまで、眺めていても飽きることがありません。この国では4人まで乗ることが許可されているとのことで、乗り方も実に様々。
中でも、今流行のトップファッションは女性の月光仮面スタイルのようでした。深々と帽子を被り、黒のサングラスにマスク。そして、長袖の手

淑女は月光仮面スタイルで

袋。日焼けを防ぐということがあるかも知れませんが、男の人でもマスクをつけている人がけっこう居たことから、排気ガス対策のようでした。このマスクも専用に作られた物もありますが、殆どはハンカチを二つ折りにして鼻口を被い頭の後ろで縛っていました。見た感じは正に月光仮面そのもののスタイル。元来スタイルのいいこの国の女性たち、顔を隠してしまえば全員がファッションモデル並。スラックス(今は、パンツと言うのでしょうか)のはきかたが実に上手くかっこいい。
このバイクの流れは、決して止まる事がありません。大きな較差点にはロータリーや信号がありますが、殆どの交差点には信号は有りません。バイクや車、中には自転車も混じってどんどん交差点の中へ流れ込んで行きます。交差点には横断歩道もありますが、バイクや車は絶対に止まってくれません。私たちのように交差点毎に信号があり、歩行者優先の国からきた人が先ず戸惑うのは、道路の横断です。バイクの流れは留まることなく流れ、歩行者が待っていようが、横断中であろうが、絶対止まってはくれません。
歩行者は、バイクなど全く無視して渡り始めればいいのです。丁度水の流れている川を渡る要領です。バイクは、歩行者の速度と進行方向を計算しながら上手に避けて通り過ぎてくれます。渡り始めたら同じ速度で渡りきってしまうことがコツで、途中で止まるとオートバイも計算が狂ってぶつかって来る可能性があります。滞在中に交通事故を一つも見ませんでしたから、この国ではこれが最適の交通ルールなのかも知れません。
夜の街がまた壮観。エアコンの無い家の多いこの街では、夜になると涼を求めて皆外へ出てきます。そして街の中心部はアベックの乗ったバイクで埋め尽くされ、彼らは当て所も無くバイクの流れに乗って走り回っていました。中央分離帯や道路はしの縁石には、走りつかれたアベックがバイクを止め寄り添って腰掛けている姿が延々と続いていました。正に壮観の一言。

【幻のアオザイ娘】
ヴェトナム女性の伝統的衣装として有名なアオザイは、ヴェトナム特有の衣装で、他の東南アジア諸国のものとは全く違い、どちらかと言えば中

サイゴン・トレード・センターの最上階から見たホーチミン市の夜景

国の影響を強く受けた物のような気がします。
今回の旅で、私が期待していた楽しみの一つが、アオザイを着た女性たちが優雅に歩いている街の風景でした。「アオザイを着た女性はほんとうに綺麗だよ」と皆が言うし、ガイドブックや本などの写真でもアオザイを着た女性が街を歩いている姿やバイクに乗っている姿が必ず載っていました。
到着するまで、インドの女性が殆どサリーを着ていたように、ヴェトナム女性も日常的にアオザイを着ているものだと思っていました。しかし、ホテルの中でも、街に出ても、アオザイを着た女性は全く見かけません。
現地のガイドにたずねてみると
「今は学校が夏休みですから。」
と言う。 学校の夏休みとどういう関係があるのか直ぐには理解できず、もう一度たずねると、
「アオザイは高等学校の生徒が着ていて、登下校時には白いアオザイを着た女子高校生が町中に溢れ華やかですよ。」
と言う。
レストランや土産物屋のように観光客の出入する場所にはアオザイ姿の女性を見かけることもありました。しかし、皆、観光客用というか日常的ではないと言うか、私がイメージしていたようなアオザイ姿とは程遠いものでした。

アオザイを着た少女

最後の日の夜、ホーチミン市で一番見晴らしのいい場所があるとのことで、サイゴン・トレード・センターの最上階にあるラウンジレストランPANORAMA という店へ連れて行ってもらいました。ホーチミン市内にはあまり高い建物が無く、このビルが一番高い建物のようで、夜のホーチミン市全域を見渡せる絶景の場所でした。
このラウンジの受付カウンターにいた若いアオザイ姿の女性に目が止まりました。知的で清楚な感じのこの女性は、私がイメージしていたアオザイ娘そのもので、早速写真を撮らせてもらいました。最初は恥ずかしがっていましたが、なんとか応じてくれポーズをとってくれました。今回の旅では、アオザイ姿の女性の写真を写す機会は全く無く、この写真が唯一のアオザイ女性の写真でした。
この国では、写真を写すという習慣はあまり無いようで、この女性からも、ぜひ写した写真を送って欲しいと住所を書いてくれました。そう言えば街中でもカメラを持った人は全く見かけませんでした。そのかわり、街の所々にはカメラを持った写真屋さんがいて、皆その写真屋に写してもらっているようでした。
時代は刻々と変化していて、一地域の風俗や習慣もどんどん変わっているのでしょう、街で見かける若い女性は、ジーパンにティシャツ姿が多かったような気がします。

【ヴェトナムの歴史はヴェトナム戦争に始まりヴェトナム戦争で終わる】
ヴェトナム戦争が終わってから25年、全国土を焦土と化したこの戦の記憶が未だに生々しく国民の記憶に焼きついている事を実感とし味わった旅

サイゴンへ一番乗りした北ヴェトナムの戦車

でした。どこの国を訪れても、数千年に亘る過去の歴史の遺跡を誇らしげに見せてくれるのが普通ですが、紀元前から常に外国の侵略にさらされてきたこの街にはそうしたものは全くと言っていいほど無く、私たちの訪れた歴史に関わる場所は、殆どがヴェトナム戦争当時の記録や遺物でした。
先ず最初に訪れたのは、統一会堂と呼ばれるかっての南ヴェトナム大統領官邸でした。ここの庭には、サイゴン陥落の時、大統領官邸に一番乗りした戦車が二台ヴェトナム統一のシンボルとして置かれていました。
次に訪れたのは、戦争証跡博物館でした。 ここには、ヴェトナム戦争当時米軍が使った重火器や戦車、それに飛行機などの戦利品が屋外展示され、屋内展示場には、小火器類や、米軍や南ヴェトナム軍が行った残虐行為の写真がたくさん展示されていました。ベトコンの生首を手に下げて記念写真を撮る米兵、共産ゲリラに対する拷問等、正に目を被いたくなるような写真が部屋一杯に展示されていました。
戦争は、人を狂気にすると言いますが、本当にこんな事が行われたのだろうかと、戦争の恐ろしさ悲惨さを痛感した次第です。

戦争証跡博物館

ガイドは、
「アメリカは、日本に原爆を落とし、ヴェトナムに枯葉剤を撒いた。」
と端的に表現していましたが、
後世に至るまで人を苦悩の奈落に陥れた遺伝子異常を来たす兵器が使われたことは、正に悲劇でした。
戦争証跡博物館には、枯葉剤の影響を受けて生まれた奇形児の写真やアルコール漬け標本がたくさん陳列されていました。
こうしたことの二度と無いようこの事実を後世に伝えるのがこの博物館の目的で、最近では米国人の来訪者も多く、みな自分たちの行った行為を反省して帰って行くとガイドは説明してくれました。
ヴェトナム戦争の悲惨な有様を世界に報道し、自らもこの戦で命を落とした、日本人写真家沢田教一氏は、この国では知らない人がいないほど有名で、戦争証跡博物館にも彼のために一部屋を設けて展示室がつくられていました。
ヴェトナム戦争では、4人の日本人写真家が命を落としているとのことで、同じ部屋に影像写真とともに紹介が書かれていました(名前は控えてくるのを忘れてしまいました)。
ヴェトナム戦争の被害が余りにも甚大で記憶に新しいためか、この国では、外国の人に見てもらいたいものの殆どがヴェトナム戦争の悲惨な実証であったよな気がします。

【雨季のメコンデルタを行く】
いよいよ大望のメコン川クルーズの日がきました。乗船予定のミトー市は、ホーチミン市からバスで約2時間、農村地帯を行くバスの旅はのんびりとたいへん長閑。雨季とはいえ空は青く、水田の緑が眩しいほど。


延々と広がる水田の風景:お墓は自分の田の中に


焼酎はポリタンクで売っていた

出発前、雨季ということで雨合羽や傘を用意して来ましたが全く使う事がありません。日本人の私は、雨季といえば直ぐ梅雨を頭に浮かべますが、全く違っていました。 毎日午前中は晴、午後には薄い雲が出ますが、雨の降るのはほんの数回、それも5分か10分ザーッと降ってぴたりと止む。夏の夕立といった感じで実に爽やか。
ミトー市までの国道1号線沿いは、すでにメコンデルタの中なのか、延々と水田が広がっていました。水の絶える事の無いこの地域は、米の

ヴィンチャン寺

三毛作が行われていて、一年に三度米を収穫する事ができるそうです。
田園地帯に入った時から、私は、水田のあちこちに白いものが見えるが気になっていました。ガイドに聞くとお墓とのこと。この地域では、現在でも土葬が行われていて、ドイモイ政策(開放政策)になってからは土地の個人所有が認められたため、自分の田の中にお墓をつくているとのこと。家族を共同埋葬せず、一人に一つのお墓を作るとのことで、田の中にお墓がいっぱい散らばっています。
お米が豊富に採れるこの地域では焼酎の生産も盛んで、途中の村では、道路端でポリタンクに入れた焼酎をうっていました。写真のようなスタンドが数キロに亘って並んでいました。
メコン川クルーズのために訪れたミトー市は、現在は学都として栄えていますが、ヴェトナム戦争当時は、米軍の爆撃で徹底的に破壊されつくしたた街だそうです。このミトー市の外れにフランス植民地当時にフランスと中国の様式を取り入れて作られたヴィンチャン寺という古寺がありました。1849年建立ということですから歴史的建造物というほど古いものではありません。この寺が有名なのは、ヴェトナム戦争当時米軍に抗議 して僧侶が4人も焼身自殺をしていると言うことからでした。
やはりこの街にも、ヴェトナム戦争の記憶が一杯でした。
いよいよ今回の旅の本命メコン川クルーズです。ここを訪れる前に私が頭の中で描いていた光景は、雨季で増水したメコン川の濁流がメコンデルタの大地を覆いつくしスコールの中を濤濤と渦を巻いて流れる様でした。

メコン川の船着場で

雨季で増水したメコン川

しかし、カンボジア国境を越えたメコン川は、網の目のように幾筋もの流れに分かれてホーチミン市以南の広大な地域を扇情に覆いメコンデルタ

メコンデルタの水路を行く

と呼ばれる地域を形作っています。この広大なメコンデルタの情景を一本の支流クルーズで味わおうとしたのは間違いでした。飛行機で空から見たら、さぞ素晴らしい情景を眺めることが出来たのではと思います。
それでも、増水期のメコン川は満々と濁流をたたえ、私の期待を満足させてくれました。何度もこの地を訪れている添乗員のはなしでは、乾季の眺めとは全然違うとのこと。
一支流とは言え、大型フェリーが往来し、船舶が航行するこの川は、日本では見ることの出来ない広大なものでした。
日本流に言えば中州とでも言うのでしょうか、川の中にあるタイソン島に上陸し島のレストランで一服、トロピカルフルーツに舌鼓を打ち、次は増水で豊な水を湛えた島内の水路を小船で探索。
小船を漕いでいた女性にお願いし、漕がせてもらいました。でも、これはたいへんな重労働。汗は滝のように流れ、息は弾み、音を上げそうになりましたが、一旦引き受けた仕事、途中で投げ出すわけにはゆきません。数十分間の航路を漕ぎ切り陸上に上がった時には足はふらふら、呼吸を整えるのにしばし時間がかかったありさまでした。でも、旅の楽しい思い出になりました。

【解放戦線基地クチ】
 ホーチミン市から北西へ約70キロのカンボジア国境近くにクチの地下トンネルがあります。ヴェトナム戦争当時、この地域には解放戦線の拠点が置かれ、鉄の三角地帯と呼ばれた難攻不落の場所でした。米軍は度重なる爆撃と大量の枯葉剤を投下しましたが、解放勢力は地下にトンネルを掘ってゲリラ戦を続けました。


地下トンネルへの入口

ゲリラの兵士と

総距離250kmにも及ぶ手掘りのトンネルは現在も保存され、一部は観光客に公開されています。

破壊された米軍戦車

地下トンネルは狭く中腰で歩くのが精一杯ですが、内には、会議室、参謀室、台所、寝室、病院までありました。また、地下道は、敵が侵入した時のためにところどころ腹這いにならなければ通れないくらい狭く作られた場所や、またトンネル内に落とし穴まで作られ、枝分かれしたトンネルは正に迷路のようでした。とくに、照明の無い真っ暗なトンネル内では外部から進入した者があったとしても身動きができなかったことでしょう。
この地域には実に様々な仕掛けが作られていました。枯葉の間に張られたピアノ線に触れれば地雷が爆発したり竹槍が落ちてきたり、竹やりの一杯立てられたどんでん返しの落とし穴等々。恐怖心に駆られた南ヴェトナム側兵士は、一歩たりともこの地域に踏み込むことができなかったことでしょう。数台の戦車が危険を冒してこの地域に乗り込んだそうですが、すべで爆破されてしまったそうです。
枯葉剤によって全ての木が枯れてしまったこの地域では、今繁っている木は全て若い木ばかりでした。
この基地跡は現在も軍が管理しているのでしょうか、射撃場があり観光客にも銃を撃たせてくれる設備がありました。
クチへの途上、路端にヴェトナム国旗を掘り込んだ墓石がびっしりと建てられた墓地を数ヶ所見かけましたが、おそらくヴェトナム戦争で亡くなった兵士たちの墓ではないかと思います。


春巻用のライスペーパー作り

軒先に干されたライスペーパー

ヴェトナム料理では、生春巻が有名ですが、クチ村は、春巻用のライスペーパーが特産のようで、道路脇に延々とすのこに並べてライスペーパーが干してありました。同行の皆さんの希望もあり通りがかりの家に寄りライスペーパーを作っているところを見せてもらいました。
現在のクチ村は、かって死闘が繰り広げらた痕跡など全く無く、至極平和な農村の面影を漂わせていました。

【カラスは珍鳥だった】
東南アジアの国々を旅していて、ずっと不思議に思っていたことがありました。それは、街の中はもちろんのこと、郊外へ出てもカラスを見かけないことでした。

動物園の金網の中に飼われているカラス

今回の旅でも、旅の道中全くカラスを見かけませんでした。
しかし、一羽だけいました。
軍が管理しているというスネークファームへ寄った時、一羽だけいました。それも金網の中に。
このスネークファームは血清研究所があったところから察するに、毒蛇に噛まれた時のための血清を作っている施設のようで、園内にいろいろな毒蛇を飼っていましたが、小さな動物園もあり珍しい動物が幾種類か飼われていました。その中にカラスがいたのです。
写真で見るように、ちゃんと説明書きもありました。
ヴェトナム語で書いてあるので何と書いてあるのか分かりませんが、私が冗談で
「この鳥は、主に日本に生息し、カーカーと鳴く」と書いてあると言うと、
ガイドが、
「ヴェトナム語ではカラスをカーと言う」との説明。
そう言えば説明書きを見てください。QUA(カー)と書いてあります。
殆どの生物は食料の量に比例して繁殖しますが、カラスもその例外ではなく、東南アジアの国々では道路端に生塵を見たことがありません。日本のように街角に一杯カラスの餌が放置されているところでは、カラスも大繁殖するのでしょう。

【物価は日本の三分の一】
今回の旅では、幾つかの市場や百貨店、それにスーパー(ショッピングモール)を回りましたが、価格の安のに驚きました。均して日本の1/3から1/4と思えば間違いないでしょう。それに、ショッピングモールなどは、日本と全く同じ。あらゆる商品が棚に並び、カートを押しながら買物を

ホテルの前にあったショッピングモール

し、レジで支払う。自国通貨の不安定なこの国ではアメリカドルが自国通貨と同じように流通していて、レジでも現地通貨ドンとアメリカドルと両方の金額が表示され、どちらででも支払う事ができました。
まだ、自国での生産能力が無いのか、棚に並んでいる商品も外国製品が多く、日本の商品もたくさん並んでいました。
私は、今回の旅でも安全のため、日本から烏龍茶をペットボトル(500cc)6本、それにインスタント食品をたくさん持って出掛けましたが、余分な労力を費やしただけでした。私が持って行ったものと同じものが日本で飼う1/3位の価格でいくらでも手に入るのです。それも非常に衛生的な環境で。
例えば、
ミネラルウオーターの価格を比較してみると
ホテル 1リットルボトル 7米ドル(日本円換算約900円)
レストラン 500ミリリットルボトル 1米ドル(日本円換算約130円)
ショッピングセンター 1リットルボトル 5300ドン(日本円換算約53円)、500ミリリットルボトル 3000ドン(日本円換算約30円)
日本ではいくらするのでしょうか。(私は、日本で買ったことがありませんので)

1リットル入りのペプシコーラが25円

右の写真のように、ペプシコーラが1リットルボトルで2500ドン(日本円換算約25円)、セブンアップ1リットルボトルで3500ドン(日本円換算約35円)。全ての商品がこの有様です。衣料品などは並んでいる商品の殆どが350円〜500円くらい。
私が折角日本から持って行ったカップヌードルは1個25円、どんぶり型の中華蕎麦45円、缶ジュース類(オレンジ、レモン、コーラ、7アップ等々)25円〜40円。
こうなると、同行のご婦人連は、もう我慢できません。
買いまくりはじめました。それも調味料や日常用品をです。そして、ダンボール箱に詰めて別送。
兎に角、買物好きな人にはたまらない国です。
特に、この国では工賃が安いせいか、手芸品は安く豊富にありました。
同行のご婦人は、竹で編んだハンドバックを、日本で買えば1万円以上すると言って1000円で買っていました。
私は、こう言うものを見る目がありませんので何ともいえませんが、確かに竹の表皮を薄くして編んだ手の込んだものでした。私も、竹で編んだティッシュボックスをお土産に買いましたが、4個で5ドル。持って帰るのにかさばるのが唯一の難点。

【街でのスナップ】


道端の鳥売り
市場の外の道端で生きたままの鳥(鶏、アヒル、鳩等)を売っていました。どうのように縛ってあるのか全く動きません。こうした鳥売りが1キロほどの間ずらりと並んでいたのは正に壮観でした。メコンデルタが洪水で米作が出来なかった時、農民救済の目的で路上販売を許可したのが始まりだそうです。
熱帯のこの国では、生ものは腐敗が早いせいか、市場では、肉でも魚でも殆どが生きたまま売っていました。

小渕前総理も立ち寄ったシーフードレストラン「ソングー」
ホーチミン市で一番有名と言われるシーフードレストラン「ソングー」です。
かって小渕前総理大臣もここで食事をされたことがあるそうです。味も日本人に合い、古典音楽を聞きながらの食事はたいへん優雅でした。

ティエンハウ廟
中国人町チョロンにあるティエンハウ廟。1760年に建てられたと言う古い寺です。
門前で「1ドル1ドル」と言って鳥かごに数匹小鳥を入れて売っていました。私はてっきり小鳥売りかと思ったところ、この小鳥を供えてお参りし、後で放してやると、小鳥が穢れを全部持ち去ってくれるとのこと。早速鳥かごを一つ買い、お参りして来ました。

REXホテルの宮廷料理ロイヤルコート
5つ星ホテルREXに中にある宮廷料理ロイヤルコート。
民族舞踊を見ながらのヴェトナム伝統高級料理、私の口には今一の味でした。
でも、ショウは、私達に旅情を十分満喫させてくれました。

ずっとバスに付いて回っていた物売りの夫婦
みやげ物売りは、たいへん熱心。
私たちのバスにずっと付いて周り行く先々で手を変え品を変え売り込んできます。
不思議なもので、これだけずっと付いて回られると、情が湧き、けっこう皆が買っていたようでした。
このお姉さん、美人では無かった(人によって評価は違いますが)けれど、愛嬌万点、憎めないひとでした。

フレンドリーな売り子達
ベトナムの人は、たいへんフレンドリィで親しみやすい人たちばかりでした。
店の売り子たちも押し付けがましく売り込む事はなく、言葉は通じなくても、絵を書いたり身振り手振りでけっこう楽しく相手をしてくれました。この店でも、何も買わない私達に嫌な顔もせず楽しく付き合ってくれました。

【インターネット事情】
最近のインターネットの普及はすざましく、世界中の何処の国へ行っても、インターネットを使える環境は整備されてきているようです。今回私たちの泊まったホテルでも、最上階にエクゼクティブルームがあり、インターネットが常時接続されていて使えるようになっていました。料金は30分5米ドルでした。
早速、旅行報告のメールをと思いエクゼクティブルームへ出掛けました。日本語が使えると言うので、大喜びしたのもつかの間、日本語フォントがインストールされていたのみで、IMEがインストールしてありません。読むことは出来ても、日本語入力が出来ないのにはがっかりでした。何とかならないかと係員に聞くと、心得たもので、ローマ字で書いてはどうかと提案してくれた。今までもおそらく同じ質問をした日本人がいたのだと思います。
外国では、日本語プラウザまで用意していてくれるところは少ないと思います。最近モバイルのPCも性能がよくなって来ましたし、外国でのインターネット利用のために便利で安い国際回線も整備されてきていますので、自前のPC持参で出掛けた方が何かと便利なようです。

【旅を終えて】
今回ヴェトナムを訪れて(とは言ってもホーチミン市だけですが)、この国の旅の仕方がぼんやりと分かってきました。 この国を楽しむためには、観光と言うより、むしろ滞在を目的とした旅の方が楽しいような気がします。ショッピング、街の散策、地元の人たちとの交流、南十字星の輝く空の下でゆっくりと夕食を楽しむ。こんな旅がこの国を楽しむ旅ではないだろうかと感じました。 今回の旅でも、約500枚の写真を写してきましたが、全部お見せできないのが残念です。楽しい写真がいっぱいあります。機会がありましたらまた、お見せしたいと思っています。

それでは又!!!

近況報告目次へ