鼻の修理顛末記
H.13.09.18

 9月7日から約10日間入院して鼻の修理をしてきました。正式(医学的)には、「鼻中隔湾曲症矯正術」並びに「両下鼻甲介切除手術」と言うのだそうですが、簡単に言えば、風通しの悪くなった鼻の穴を削って風通しを良くすると言うことでしょう。
人間という名の超精密機械も耐用年数が切れて老朽化が進んでくると、いろいろな誤作動や部品の変形が始まり正常に作動ができなくなるようです。傷んだ部品や個所については、早め早めの修理を心掛けてはきましたが、やはり老朽化の速度には勝てません。
事実、今回の入院中に、私は、満65歳の誕生日を迎えました。この65歳という年齢は、現在のわが国の法律では耐用年数が来た事を告知する年齢でもあります。誕生月を期して「国民年金保険老齢給付」開始、「介護保険被保険者証」が届き、正式に高齢者と呼ばれて市の諸施設の無料使用開始。長い間ご苦労さんでしたとお暇が出るわけです。
話が少し反れてしまいましたが、そもそも事の始まりは、4年ほど前に遡った春のある日、突然くしゃみが続発、くしゃみの度に大量の鼻水。ティッシュ一箱直ぐに無くなってしまうほど。
最初は、風邪でもひいたのかなと思っていましたが、どうも風邪とは様子が違うよう。いろいろ皆に聞いてみると、
「そりゃ、間違いなく花粉症だ。」
と診断してくれました。
自分でもそうかなとは思ってはいましたが、こんなにある日突然発症するものだとは知りませんでした。花粉症というのは、絶えずくしゃみや鼻水が出るものでは無く、鼻の粘膜に何か刺激が与えられると突然症状が現れます。
それでも、夏も盛りになる頃には治まり、花粉症のことは忘れていました。
しかし、秋が終り冬に入った頃、花粉症は忘れず私のところへ帰って来てくれたのです。くしゃみや鼻水はともかく、夜の鼻詰まりには悩まされました。寝苦しくてよく眠れず、絶えず睡眠不足の感じ。病院で診察を受けましたが、その時はいろいろな検査の結果点鼻薬を出してくれただけで当分様子を見るようにとの指示でした。
人間の感覚とは不思議なもので、最初は苦痛だった症状も慣れてしまうとそれが日常のことになり当初ほどの苦痛は感じなくなってしまいました。そんなことで、治療もせず2年程が過ぎてしまいましたが、症状は重くなる一方。今年は、夏になってもずっと鼻詰まりのまま。気温の変化にまで鼻は反応し、くしゃみの連発。気温だけならまだしも、埃、匂い、あらゆるものに敏感になってしまい、時には自分の吸っているタバコの匂いにまで反応してくしゃみが出だす始末。
ついに徹底的治療を決意し再度病院の門を叩く事にしました。
診断の結果、手術する事になり、手術の内容は、前掲の「鼻中隔湾曲症矯正術」並びに「両下鼻甲介切除手術」でした。

鼻断面図
「鼻中隔湾曲症」については、最初の診察の時に撮ったレントゲン写真でも指摘されていていましたが、その時には特に手術の必要は無いとの事でした。しかし、現在の状況を改善するためには鼻中隔の軟骨を摘出し、歪みを矯正する必要があるとのこと。
「下鼻甲介」については(これが、一番原因です)、長年の炎症で肥大化し鼻腔を塞いでしまっているので切除する必要があるとのことでした。また、鼻甲介の粘膜が一番アレルギーの症状を起こす場として重要な役割を果たしていると言うことで、切除によりアレルギーの改善もされるとのこと。
今まで、私は、鼻などというものは、肺へ空気を吸い込むためのパイプのような空洞の筒のように思っていましたが、何が何が実に複雑にできた精密機械であったのに驚かされました。
手術をすることに決まった以上は、少しでも予備知識をと思い、インターネットを駆使して関係情報を収集しました。あるはあるは、相談、体験談、治療経過の報告、専門的な医療情報から手術の段取まで、実にたくさんの情報がインターネット上に溢れていました。
私の一番の関心事は、痛いこと。昔から「身を切るような痛み」と言う表現があるように、手術などと言うものは実際に身を切るわけですから、痛かったらたまったものではありません。
私の読んだ殆どの記事は、この手術は簡単な手術で痛みも少なく、強いて言えば術後ガーゼを抜くときに少し痛みがある程度とのことでした。主治医の先生(女医先生)も、後のガーゼ抜きの方が痛いと皆さんおっしゃいますよとのことでした。私も今まで数度手術を受けた経験はあり、全て神経ブロックによる手術でしたので痛みは全く感じることなく、うとうと居眠りしている間に済んでしまったと言うのが実際でした。今回の手術は局部麻酔とのことでしたが、最近の麻酔技術の進歩には信頼を置いている私、大船に乗った気持ちで入院しました。
いよいよ手術。手術着に換え、手術前1時間頃から抗生物質の点滴が始まり、ストレッチャーに乗せられ手術室へ。手術室の入り口で病棟看護婦から手術棟看護婦へ引き継がれ手術室へ。出迎えた手術棟看護婦は3人、私の不安を和らげようとするのか、手術室への廊下を通る間中なんだかんだと話し掛けてきました。「麻酔注射の時には少し痛いかもしれませんが、我慢して下さい」とも言っていました。
ストレッチャ-で運ばれた経験のある方は、おそらく私と同じように感じられたと思いますが、ストレッチャーに横たわり運ばれるというのは実に快適で、特に微かに伝わってくる輪の振動は心地よく、ついうとうとししてしまいそうです。
手術室に入ると、ストレッチャーから手術台に移されると両腕は手術台に固定され、正にまな板の上の鯉そのものです。本当に目のまん前で行われる手術、どんな風に行われるのか見たい気もするが、少し怖いような気もするなあ等と考えていると、何のことは無い目は遮光テープでぴっちり塞がれ、口と鼻を除いて覆われてしまいました。
最初の作業として、鼻毛を剃り、消毒液をたっっぷり含ませた脱脂綿で口の周り鼻の穴の中の消毒が行われましたが、滴る消毒液が炎症を起こしている鼻腔内から咽に落ちる。その痛いこと、鼻が詰まっていて口で息をしているので多少は気管にも入り苦しいこと。でも看護婦は、全くお構いなしでどんどん作業を続ける。
続いて、鼻の数箇所に麻酔注射が打ち込まれる。目を塞がれているため、何がどのように行われているのか見るわけには行きませんが耳はしっかりと聞こえていますので、周りの状況は凡そ見当がつきます。看護婦が二人と執刀医女性医師の他に男性医師が二人いるようでした。
手術は、先ず鼻中隔の軟骨切除から始まりました。目を塞がれているのでどの様な道具を使ってどの様に進められているのか分かりませんが、耳から聞こえてくる医師たちの声と、肌に伝わってくる感触から判断するに、軟骨切除の手術は、簡単に言えば大工仕事の様なものなのでしょう。おそらく鑿のような道具で切除する骨を削り取っているのでしょうか、そうとう力を入れてぐっと切り取る感触が伝わってきます。硬い部分は鑿とハンマーを使ってコンコンと頭全体に振動が伝わり、時々ミシミシと骨が砕ける時の音が聞こえてきます。多少の痛みは感じましたが局部麻酔だから神経ブロックの時のようには行かないのだろう自分なりに納得していましたが、時々走る激痛は相当強烈でした。激痛は不思議なことに手術をしている場所ではなく上の歯の付け根とか、眉間や耳のあたりと言う全く関係なさそうな場所で走るのです。それでも痛みは瞬間的でしたのでまだ我慢できました。
これくらいの痛さで手術が進めばまあ我慢の範囲内だろうと思っていたのは大間違い。これは、私の大きな誤算でした。
続いて粘膜切除の手術が始まりました。
おそらく鋏のような器具で切り取るのでしょう。ざっくっざっくっと切り取る感覚がまともの伝わり、その痛さは、本当に麻酔が効いているのだろうかと思うほど。顔が覆われているため顔の表情で痛さを表現することもできず、両手は固定されていれ動かすことは不可能。それでも、ただ一つ自由に使用を認められていた口を使って痛さを訴えましたが無駄な努力。医師の説明では途中何度も麻酔を打ちながら進めていてもう限界の使用量になっているとのこと。そう言えば、点滴の中にも麻酔薬が注入され、私の頭は朦朧としていました。点滴に麻酔薬を注入する時、看護婦は、
「眠くなるかも知れませんが眠ってもらってもいいですよ。」
とのことでしたが、眠れるような状態ではありません。昏睡状態にあっても目が覚めるのではと思うほどの痛さ。
身を切ると言う表現がありますが、正に身を切る痛さとはこう言う事かと実感したしだいです。
もっと痛くない方法でと思い、
「神経ブロックはできませんか。」
と聞くと、
「顔面の場合、非常に複雑で、神経ブロックは使いません。全身麻酔の場合は、出血量が倍になりますから。」
との説明。
その間もどんどん手術は進み、
いよいよ、最後のオプション手術に取り掛かりました。
これは、最近始められたアレルギー性鼻炎の手術で、鼻の粘膜をレーザーで焼くと言うものです。
これがまた飛び上がるほど痛い。
ついに、ドクターストップならぬ患者ストップをかけオプション手術は中止。
傷口の保護と、軟骨を抜き取った鼻中隔を固定するために鼻腔内にぎっしりとガーゼを詰め込まれ予定より30分ほど遅れて手術完了。
ストレッチャアーに乗せられ病室へ無事帰還。
手術後一晩痛みがありましたが、鎮痛剤を入れた点滴のお陰で然程の苦痛はありませんでした。
しかし、問題は、まだ最後の難関が残っています。
皆が手術より痛いというガーゼ抜きです。
相当苦痛を伴うようで、両方を一度にやるのは無理なのか、手術後三日目と四日目の二日に分けて片方ずつ行われました。 やはり、皆さんのおっしゃる通りその痛さは並大抵のものではありませんでした。生皮を剥ぐとと言う感じ。ぎっしり詰めたガーゼは片方の鼻でこぶし大の大きさになるほどの量。ガーゼを抜いた後消毒し新しいガーゼを詰めるのがまた痛い。
でも、手術の時に詰めたガーゼを抜くのに比べれば、新しいガーゼの取替えは詰めるのではなくて傷口に貼り付けるだけなので、まだ耐えることのできる範囲でした。
関係有るのか無いのか分かりませんが、小泉総理大臣の言う、「痛みを伴う改革」と言う言葉がふと頭に浮かんで来ました。
まだ手術が終わって間もないので何とも言えませんが、期待通りの成果が出てくれることを願うのみです。
鼻の骨を抜いたので鼻っ柱は弱くなりましたが、鼻息は少し荒くなるかも知れません。

以下余談になりますが、
今回はPCを持参で入院しましたが、流石IT時代、大変便利でした。超小型のインターネット端末を今の携帯電話のように皆が持ち歩く日がそれほど遠くない事を実感しました。しかし、世の中の体制が今一、この病院の場合も回線接続できる公衆電話は、1階の外来ロビーの隅に1台あるのみ。夕方外来患者の居なくなったロビーへいちいち使いに行かなければならないのは実に不便なことでした。でも、携帯電話からの接続準備もして行きましたので、急ぐ場合は、ベランダに出て(院内は計帯電は使用禁止)携帯から飛ばして繋いでいました。
面白い出来事にも出会いました。
米国で大事件が起こった翌日の朝7時頃、突然私の入院している6階病棟の火災報知気が鳴り出した。看護婦や職員が走り回り警報機は何度も警告放送を流し鳴り続け、騒然たる雰囲気になりました。しかし、原因は、個室に入院していたばあさんが朝食のおかずに魚をやいた煙によるものでした。本当に人騒がせなばあさんでした。
   

病室からの展望
病棟ベランダから名古屋方面を見る

私の入院した小牧市民病院は、かって小牧長久手の合戦の折、徳川家康が本陣を構えた小牧山の近くにあり、尾張平野を一望できる絶景の場所にあります。病棟のベランダからは、名古屋国際空港を手前に名古屋全域を見渡すことができホテルの展望台から眺めているような感じです。
私がこの病院に入院するのは今回で4度目(いずれも10日前後の短期入院)になりますが、このベランダからの景色は大好きで心が休まります。

それでは又!!!


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