母を偲んで
H.14.04.15

母
入院直前の母、曾孫の七五三祝の日

 久しくご無沙汰していますが皆さんお元気にお過ごしでしょうか。
いつの間にか桜の季節も終わり、木々の緑も日々に深く初夏を思わせるような気候になってきました。年齢せいもあるのでしょうか毎日が飛ぶように速く過ぎ去って行きます。母が逝ったのは、つい先日のことのように思い出されますが、もう4ヶ月近くの月日が過ぎ去ってしまいました。昨日は百か日の法要、親族そろってお墓参りをしてきました。
 人の心の不思議というのでしょうか、いつまでも母が居なくなったのだという実感がわいてきません。いまだに母は私たちと一緒に暮らしているのです。家の中のいたる所で母の姿を見かけます。それも殆どが不治の病との戦いが始まってからの母の姿なのです。台所では自分は食べることも満足にできなくなってしまったのに父のために夕餉の支度をしている母、夕闇の庭に出てぼんやりと周りの景色をながめている母、テレビの前にある専用リクライニングシートに身を横たえ目を閉じている母。話しかければ静かに微笑みかけてくれます。ホスピスへ入る前の生活がいまだにずっと続いているかのように。
 振り返ってみれば、私がこの世に生を受けて以来母が亡くなるまで65年以上の間、私は一時として母から離れて生活したことは無く、ずっと家族としてひとつ屋根の下で暮らしてきました。母と顔を合わせて過ごした時間は父より長いかも知れません。65年間母の人生の喜怒哀楽を目にしてきた今突然母が私の前から姿を消してしまっても、私の心はそれを素直に受け入れてはくれないのでしょう。
 母の人生の幕引きは、実に潔く私に深い感銘を私に与えるものでした。そのことが私の母への思慕の情を一層掻き立てるのかも知れません。家族に大した世話をかけることもなく、未練がましい言葉も口にせず、着々と身辺の整理をすませ、残された者達への配慮も十分にして、すっと消えて行ってしまった母。
入院してからは毎日昼間の時間の大半を病室ですごしてゆく私に、母はいろいろな話をしてくれました。
中でも、過ぎし日々を懐かしむかのように
「ほんとうに楽しい人生だった。」
とぼんやりと遠くを眺めるようなうっとりした表情で話した母の言葉は強烈な印象を私の心に残しました。
幼い時から母の苦労は見て来ましたが、後に残される者への心遣いでしょうか愚痴や苦労話は一切しませんでした。母自身も自分の人生は幸せだったのだこれでよかったのだと自分自身に言い聞かせていたのかも知れません。
息を引き取る間際、手を握り声をかける私に母は微かに口を動かし何か話しかけてくれました。声にはなりませんでしたが口の動きから
「楽しかった。」
と言ったように思えました。
母の癌との戦いは終わりました。
94歳になる父は、一時落ち込んでいましたが、春の息吹とともに元気を取り戻し週2日デーサービスに通うようになりました。父にも一日も長く元気に過してほしいと思っています。

それでは又!!!

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