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皆さんお元気ですか。
父は先週退院し私たちの生活も何とか元に戻りましたが、95歳の父のこと気候の変化の激しいこの時期油断はできません。今回のことでつくづく痛感したのは、私自身の体力の衰えでした。いくら気分や外見が若くても寄る年波には勝てず、かってのように家族のことは俺が支えて行ってやるんだと言う気概に陰りが出てきました。 いろいろ起きた中でも家の改修は順調に進み4月上旬にやっと完了にこぎ着けました。12月初めの着工以来まる四ヶ月、白蟻に食い荒らされ、真っ直ぐに立っている柱は皆無といった方がいいほどのこの古屋の修理、大工さんも大変だったと思います。 でも、四ヶ月の日数と大工さんの苦労の甲斐があり、我が家のダイニングキッチンは見事によみがえってくれました。
そして、家の南側は壁の全く無い開放的な造りであるのと対照的に北側にある土間は出入り口を除いて土壁で囲まれた暗い部屋になっていました。竈の煤で部屋全体が黒くなったこの土間は、トトロのまっくろくろすけが出てきそうな雰囲気十分なものでした。 今年で築134年になる我が家も例外ではなく、世代が代わる度に其の時代の様式に改装したり修理したりして住んできましたが、いざこうして過去の改修箇所を剥がし裸にしてみると、建てた当時の姿が現れまっくろくろすけの住家そのもの。 そこで、できるだけ古い箇所はそのまま残し、
そこで思いついたのがただ単なる吹き抜けの天井というだけではなく、広いロフト(屋根裏部屋)と一体化させることにより上部からの明かりを取り入れると同時により開放的な広い空間を作るということでした。 麦藁の入手が困難になった終戦直後(昭和25年頃)、それまで麦藁葺であった屋根を瓦屋根に替えました。其の時、物置に使えるようにと屋根裏部屋は南に側に窓を付け天井を高くしてありました。それが今回の改修に大変有効に利用できました。 天井は台所からロフトにかけて無垢の木を張り一枚の続いた天井として一体化しました。その結果、下から見上げた眺めは広々とし開放的な印象を受けます。 ロフトの縁には、危険防止も兼ねて手すりをつけました。
天井には扇風機をつけました。これで夏は涼しく、冬は暖気を攪拌してくれて暖かいと言う予定でいますが、この扇風機が予定通り働いてくれるかどうかは1年経ってみないと分かりません。 当初は、手摺と階段を梁と同じように黒く塗る予定でしたが、白木のままの方が圧迫感が無く、またロフトとのカラーバランスも良いということで白木のままにすることにしました。結果は、思惑通りで柱の色とのコントラストもよくなかなかいい雰囲気に出来上がりました。 部屋周りは、以前からの土壁の上に白壁を塗り焼き杉の腰板を貼りました。
高齢者の年代に入った私たち夫婦が使う台所、火の始末が一番の心配です。母はガス台の横に大きな字で「ガス ガス ガス 火を点けたらハナレルナ」と書いて貼っていました。 そこで、火は使わなくてもいいようにとシステムキッチンにIHを組み込みました。家内は電気代よりガス代の方が安いからと言いますが火事になるよりはと説得しIHにしてしまいました。 これで一応器は出来上がりましたが中身はまだ何もありません。 この部屋に合う家具も揃えたいし、キッチンも今まで使っていた調理器具は全てIHでは使えないものばかり。IH用の調理器具を揃えないことにはお茶も沸かせません。 いつからこのこの部屋で作った料理をこの部屋で食べることができるのか、まだまだ時間がかかりそうです。 一先ずホームセンターの時計売り場で見つけた柱時計を買ってきて取り付けてみました。今流のプラスチック製クオーツですが、振り子は昔と同じようにコッチコッチと音を出して動いてくれますし、部屋にそれなりの雰囲気が出てきました。子供の頃、振り子ケースの戸を開け錠を取り出し柱時計のぜんまいを巻くのが私の日課であったことを思い出します。
さあ、いよいよ春野菜の植え付け時期が来ました。忙しくなります。今日は、買物に行ったついでにナスの苗を5本買ってきました。
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