鬱陶しい日が続いていますが皆さんお元気でお過ごしでしょうか。
梅雨らしい梅雨の季節は何年振りでしょうか。畑の野菜たちは元気一杯ですが、私たちにとっては鬱陶しいこの季節、どうにも過ごしづらく気が滅入ってきます。昔は、水の豊富なこの季節は農家にとって大切な田植の季節であり、田植が終われば田の草取りまでのんびり出来る休養の季節でもありました。しかし、経済構造の変化や世の中の変化は、人の生活様式や季節感まで大きく変えてしまいました。かっては、生きて行く上で無くてはならない大切なこの季節も、今では、鬱陶しく、どちらかと言えば無い方がいいと思われるような季節になってしまいました。
時の流れと共に、世の中は着実に変わって行くのですね。短い期間ではなかなか時代の流れが見えませんが、一定の期間を置いて眺めてみると、時には激しく、時には緩やかに留まることなく流れているのが見えてきます。人の一生もまたこれと同じで、若い時の出来事は、単なる出会いにしか過ぎませんが、高齢者と呼ばれるこの歳になって過去を振り返って見る時、過ぎし出来事の数々が流れとして鮮やかに蘇り見えてきます。
過日、読売新聞社から取材の申し入れがあり、ノンフィクション作家の加藤仁氏が取材に来訪されました。加藤氏はシニアの生

私の記事が掲載された「Yomiuri Weekly」
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き方を主題に沢山の出版物を出しておられ、今回の取材も私のシニアとしての人間像を氏の執筆で「Yomiuri Weekly」に掲載したいということでした。そして、6月第2週発売の「Yomiuri Weekly」に私の記事が掲載されました。
文章となって表現された自分自身の過ぎし日の出来事を読みながら私の頭に浮かんできたのは、下に記した「方丈記」の冒頭の文章でした。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。或は去年(こぞ)焼けて、今年作れり。或は大家(おほいへ)亡びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)に、わづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。
人が亡くなることを英語では”Pass away”と表現します。世の中の変化もさることながら、深く私の心に残るのは、人との別れでした。中でも生活を共にした家族との別れは、悲しく寂しく筆舌に尽しがたいものがあります。
私のサイトには、「全員集合シルバー世代」と名付けた還暦過ぎの方々の作られたサイトのリンク集があり、現在約400のサイトがリンクしてあります。私は、一年に一度全サイトに目を通しアップデートしていますが、読んでいると一人一人の方の人生ドラマが見えてきます。中でも寂しいのは、Pass awayにより消えてしまったサイトに出会った時です。中には故人の意思を継いだり意を酌んでサイトを継続しておられるものも少なくありません。
67歳になる今日、過ぎし日々を振り返ってみる時本当に沢山の方々が私と出会い、そして通り過ぎて行かれました。平均寿命が80歳を越えた今日、まだまだ沢山の出会いと別れが私を待っていることでしょう。
母が亡くなった時94歳であった父は、母の没後半年ほど口数が減り物思いに耽る日が続いていました。そして、「夢か現か幻か区別がつかなくなってしまった。」と言い、断片的にではありますが幼い子供時代の出来事からいろいろな話をしてくれました。この半年の間、おそらく父の頭の中では、90余年の人生ドラマが恰も現在目の前で起きていることのように鮮明に蘇っていたのでしょう。
人の心とは、不思議なもので、過ぎし日々の悲しみや苦しみが時を経て振り返る時、懐かしく時には楽しい思い出として蘇ってきます。まだ残されている私の人生、母のように「楽しかった。幸せな人生だった。」と言ってPass away したいと思います。
吾もまた母にならいて美しき言葉残して逝きたく思う
それでは、また!!!