お多賀さんへ行って来ました

H.16.05.10

 皆さんお元気ですか。沖縄では入梅入りが宣言され、いよいよ鬱陶しい季節の到来です。

多賀大社正面鳥居
でも、この季節は沢山の水を必要とする田植えには欠くことのできない季節であり、また野菜の植え付け季節でもあります。一年中あらゆる野菜が店に並び、食生活の変化でお米が余り困っている現在、この季節の大切さが忘れられ鬱陶しさだけが気になる嫌な季節になってしまったのかもしれません。
当地方もそろそろ梅雨の走りでしょうか昨日も朝から雨。父がショートステイに入所する日でしたので朝一番に養護施設へ送って行き、後はやる事なし。思いつきで家内と二人多賀大社へ行って来ました。
私の家内の名前は多賀子。多賀大社に因んでつけた名前だと言うことですが、家内は多賀大社へ行ったことが一度も無いと言う。家内の両親がなぜ家内の名前に多賀大社の名前をつけることにしたのかその経緯は本人自身一度も聞いた事はないし知らないと言う。
まあ兎に角、家内も自分の名前の由来になっている多賀神社を一度くらいお参りしてもいいのではと以前から思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。多賀大社は通称お多賀さんと呼ばれていて、琵琶湖の畔彦根の近くにあり、古事記にもその名前が出てくる古い神社です。

多賀大社秘蔵三十六歌仙絵屏風の特別公開中でした。
多賀大社のご祭神は、天照大神の両親である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の命で、多賀大社の栞に「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」という歌が書かれていました。
伊邪那岐伊邪那美の男女二神が祭られていることから縁結び延命長寿の神様として古くから信仰を集めているそうです。
私達が訪れた日、大社秘蔵の「三十六歌仙絵屏風」の特別公開が奥書院で行われていました。
絵屏風もさることながら、私は、池のある庭園を眺める奥書院にたいへん興味を感じました。この奥書院の庭園は、太閤秀吉の生母大政所が延命祈願のお礼に一万石を寄進した際に造られたものと伝えられており、また、この奥書院は、彦根藩主到来の折や勅使到来の折にも使われたとのことで書院の周りの廊下は鴬張りがなされていました。
家内は、御朱印帳を買い、その第一ページに多賀大社の御朱印を押してもらいました。
多賀大社の名物は、延命蕎麦、糸切餅、お強にお多賀杓子。

門前町の街並み。お土産のメーンは糸切餅とお多賀杓子。
「お多賀杓子」は、あの「お玉杓子は蛙の子」の「お玉杓子」の語源であり、現在でも「お多賀杓子」と書いてもいいとのこと。早速広辞苑で調べてみたところ、間違いなく「お多賀杓子」とありました。多賀大社とお玉杓子の関係と思って調べたところ、養老年間、天正天皇の病気平癒のため、多賀社の神官らが強飯をたき、シデの木で作った杓子を添えて献上したところ、天皇は全快されたということから無病長寿のしるしとなったと言うことです。
鳥居前の土産屋で糸切餅を買い、遅めの昼食に延命蕎麦を食べました。
お参りも終わり時計を見ると1時少し過ぎ。来るときは小牧ICから彦根ICまで名神高速道路を一直線。約1時間少々で着いてしまいました。帰りも同じ道では面白くありません。
夕方までに家に着けばいいのですから時間はたっぷりあります。これもまた思いつきでお千代保稲荷に寄ることにしました。

霧に霞む養老山系の山々。一幅の水墨画を見るような素晴らしい眺めでした。
と言うのは、千代保稲荷で売っている金山寺味噌が独特の風味があり家内も私も大好き。機会あるごとに寄って買ってきます。今回もただそれだけの理由で千代保稲荷に寄ることにしました。多賀大社から千代保稲荷まで、地図の上では高速道路経由よりずっと近くみえますが、途中には鈴鹿山脈と養老山系と言う二つの山脈を越えなければなりません。
兎に角、行ってみようと出発しました。県道とはいえ細く曲がりくねった道、日曜日の雨の午後と言うこともあってかすれ違う車も殆どなく少し心細くさえなってきます。冬場は積雪のため閉鎖されるのでしょう途中で道路を塞ぐ鉄扉がありました。山の高度が上がるに従って雲の中に入ってしまうのでしょうか時には数メートル先まで位しか見えないこともありました。
峠の頂上近くまで上ると、時々開く雲間から見える峰々の眺めは正に絶景でした。立ち上る霧を通して幾重にも重なり遠くに霞んでゆく山の眺めは、丁度水墨画を見ているようで思わず何枚もカメラのシャッターを押してしまいました。
2時間少々で無事山越えを終わりお千代保稲荷着。金山寺味噌と野菜の収穫の時に都合のいい竹篭を買い、午後5時半無事帰宅しました。
気温の変わりやすいこの時期、皆さんもお体には十分気をつけお過ごし下さい。

それでは、また!!!

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