タバコ記念日

H.16.11.16

誰にも言わず静かに別れたこの日だから11月16日はタバコ記念日
(俵万智のサラダ記念日を捩って)

  皆さんお元気ですか。暦の上ではすでに冬。北の国からはそろそろ雪の便りが届き始めました。父は、突然熱を出したり、血中酸素値が低下したりして時々私達の心臓に良からぬダメッジを与えながらも胃瘻手術後一応安定した日々を送っています。
父は、時代劇が大好き。都合のいいことにケーブルTVに時代劇専門チャンネルがあり、これさえ見

自分の部屋でTV観賞中の父
せておけば何時間でも見ています。しかし、何時間でもというわけには行かず、体調を見はからって午後2時間くらいリクライニングシートに腰掛けてTV鑑賞の時間です。
 余裕の無い多忙な毎日のせいか歳月がほんとうに早く過ぎてゆきます。庭の片隅にあるベンチに腰掛け、私の人生おける最後の一本になるかもしれないタバコを青い空を眺めながら静かに味わったのは昨年の11月16日のことでした。あれから1年、再びタバコに手を出すことなく無事過ぎてきました。この間、ニコチンの禁断症状を感じることも、強烈な喫煙への欲望を感じることも無く、タバコに別れを告げたときと同じように淡々と日々が過ぎ今日を迎えるに至ったという感じです。1年過ぎた今日を「断煙記念日」と呼ぶのが適切かも知れませんが、私の場合、それほど大袈裟な覚悟をして踏み切ったわけでもなくそれほど断煙の苦痛を味わったわけではありませんが、それでも50年間吸い続けてきたタバコを止めた事は、私の人生の中における大きな出来事であることには間違いありませんから、俵万智流に「タバコ記念日」と呼ぶことにしました。
 今になって、過ぎ去った1年間を振り返ってみるに、若い頃には両切ピースをぱかぱかと1日に50本も60本も吸っていた時期があり、また喫煙を止める前も軽いタバコとは言え一日に1箱以上吸っていた私が、この1年間ニコチンの禁断症状らしきものを感じることは一度もなかったことは不思議でした。しかし、50年間吸い続けてきた生活習慣はそう簡単に私の生活リズムから消えてはくれませんでした。過去形で「でした」と言うより「です」と現在形で表現した方が正確かも知れません。食事の後、喫茶店でコーヒーを注文した時、PCの前で考え事をしている時、何かしていてふっと一息入れた時等々、かってタバコを吸っていた当時の生活のリズムの節目節目に私の大脳は正確にそのタイミングを記憶していて、ふっとタバコが頭に浮かんできます。相当なヘビースモーカーで私と同じ頃タバコを止めた某大病院の若いドクターも、大脳に焼きついた生活習慣の記憶は一生消えないと思いますよと言っていました。
しかし、何と表現していいのか適切な言葉が見つかりませんが、大脳がタバコを思い出させてくれても不思議なことに、どうしも吸いたいという欲望に繋がるほどのことは無くふっと頭にタバコが浮かんできて知らない間にまたすーっと消えて行きます。目の前で誰かがタバコを吸い始めたとしても同じで、それほど我慢を必要とするほどの欲望は湧いてきません。
よくタバコを止めたらタバコの匂いが気になるとかタバコの匂いが嫌な匂いに感じるようになったとかいう言葉を聞きますが、私の場合は全く違い、タバコの匂いに一種の郷愁さえ感じるほどでさほど不快感を感じることはありません。それより、タバコの種類によってはむしろ香を焚いているような心地よい香りを感じることさえあります。タバコの匂いでも部屋や衣服に染着いた一種独特なニコチンとタールの匂いはいけません。あの匂いは愛煙家でもいい匂いとは感じないでしょう。特に閉め切ったヘビースモーカーの部屋や喫煙室へ足を踏み入れた時の匂いは誰にとってもこの上なく不快な匂いでしょう。私の部屋も1年前まではそうでした。
 煙草をやめて1年。私の部屋から煙草の匂いもほぼ消え、体調も問題なし。これで健康で長生きをと思ったのはやはり甘かった。50年間の喫煙の弊害は、はっきりと私の身体にその痕跡を残しておいてくれました。私たち夫婦は、毎年そろって人間ドックを受けていました。しかし、母が居なくなってからは夫婦そろって外出する機会がなかなか持てず人間ドックも3年ほど受けずに過ぎていました。私たちの市では、毎年誕生月に無料で基本検診をやってくれますが、今までは人間ドックを受けていたこともあり基本検診は受けたことがありませんでした。この基本検診は近くの開業医で受けることも出来るもので大変便利。人間ドックももう数年受けていないこともあって今年は初めて市の基本検診受けてみました。
検診結果説明の日。目の前の投影機に掛けられた私の胸部レントゲン写真を見ながらドクターは徐に口を開きました。
「たしか、タバコは、止められたんでしたね。」
「ええ」
「もし、吸ってみえるのでしたら止めていただかなければいけないところでした。」
一体何事かと目の前のレントゲン写真を改めて眺めてみましたが、私に何かが分かるはずがありません。
「肺気腫です。」
ドクターは、冷静に宣告しました。そして、
「まあ、今すぐ治療を必要とするほどのものではありませんから、あまり気にしないように。」
とのことでした。たいしたことは無いようで一安心しましたが、激しい運動をすると息切れがしたり血中酸素飽和度の値が他の人より低いのはやはり肺気腫のせいなのでしょうね。
 私の寿命がいくつまであるのか分かりませんが、もし私が元気に85歳を迎えることが出来たら、85歳のタバコ記念日には、もう一度あの最後の1本を吸った庭のベンチに腰掛けてのんびり青い空を見上げながらタバコをくゆらせてみたいなあと思っています。85歳という年齢は特に意味があるわけではなく85歳まで生きればもう十分だろうと思っただけです。
 私が成人してから約50年、ずっと苦しい時も楽しい時もそばに居てくれたタバコ君。事情があって分かれたにしても何時かまた会って昔を懐かしんでみたい気がします。
 また、寒い冬がやってきます。皆さんもお体には十分気をつけてお過ごし下さい。

それでは、また!!!

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