古希を迎えて

H.17.01.13

知らぬ間に古希と呼ばれる歳となり

  皆さん、お正月は如何でしたか。

父の祭壇
早いもので一月も既に半ば、父の三七日のお墓参りも終り、父が逝ってからもう少しで一ヶ月来が過ぎようとしています。
仏法では、人は、一つの生を終えると、四十九日間冥土を旅した後次の生を受けるということです。この冥土の旅の四十九日間が現世と来世の狭間であることから、中陰と呼ばれており、中陰の間、七日毎に審判が行われ死者の生前犯した罪の重さにより、来世、どの世界に生まれ変わるかが決められるそうです。この審判の間、家族が追善供養を勤めることにより、死者の罪が軽くなると言われています。この四十九日間の中陰の旅の完了を満中陰とよび、次の生を受け死者は仏となると言うことです。
これは、古来からインドに伝わる輪廻転生の思想の流れを汲んだものでしょう。輪廻転生を信じ怪奇な言動の多かった作家三島由紀夫の最後の作品「暁の寺」四部作も輪廻転生を扱ったもので記憶に残る作品でした。身近な人が突然居なくなってしまった時、目には見えないけれど、まだどこか身近なところで生きているのだと思い逝きし人の過去未来に想いを馳せることができた方が私たちの心の奥にある対象喪失の悲しみをより和らげてくれることだと思います。父は、元来細かいことを気にしないおおらかな人。七日毎の審判も「まあまあ一杯」などと審判員と仲良く杯を交わしすんなり楽しい旅を続けているような気がします。

父も母もいなくなりました。
父が居なくなり少し寂しくなりましたが、今年も恒例の家族写真を写しました。かっては三世代夫婦同居家族で市から表彰を受けた我家も2世代夫婦家族になってしまいました。
私も終に今年は古希を迎えました。古希と言えば70歳。70歳といえばもう年寄を通り越して年寄。しかし、不思議なことに自分のことになると自分自身が年寄であるという認識は全く無い。まだ20歳前後のみめ麗しき女性と大恋愛の一つもできるような気分で居る。 いままでは「おじいちゃん」と言えば、私の脳は文句なしに父のことをイメージしていました。しかし、父が居なくなった今では、「おじいちゃん」と言えば文句なしに私のこと。それでも未だ性懲りも無く私の大脳は自分が年寄りになったのだぞ、「おじいちゃん」とはお前のことだぞとは認識してくれません。
一世を風靡した100歳姉妹の金さん銀さんも、「老後」のためにとせっせと貯蓄に励んでいたそうですから。老いを感じないと言うことは健康な証拠かも知れません。
 皆さん、今年もまた一年宜しくお願い致します。

それでは、また!!!

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