道後温泉紀行

H.17.10.15

 皆さん、その後お元気ですか。偶然のチャンスがあって四国の道後温泉へ行ってきました。

名古屋空港JALカウンター

「道後温泉紀行」等と書くと大袈裟に見えてしまいますが、何時もの通りの一泊一日というか半日と言うか、昼頃出かけ一泊して次の日の昼頃帰ってくる旅行です。
 仕事で外国出張の多い弟が、今年中に使わないと無効になってしまうマイレッジクーポンがあるのでとJALのクーポンを持ってきてくれました。年内と言えば後数ヶ月しか残っていないし、このクーポンはJALでしか使えないのでJALの飛行機に乗るか、JALのホテルに泊まるか、JALの販売しているお土産品を買うかということしか使い道がありません。
 旧名古屋国際空港は、私の家から車で10分ほどの所にあり、飛行機で旅行をする時には大変便利でしたが、この春に中部国際空港が知多半島にオープンし国内線も国際線も全てそっくり引っ越してしまいました。飛行機で旅行するためには、名古屋を横切り知多半島の常滑まで行かなければなりません。車で行くにしても電車で行くにしても今までのようにはゆかなくなってしまいました。
 ところが、名古屋空港は、廃港かと思っていたところ、愛知県営の名古屋空港(小牧)として残ることになりました。そして、自家用機と、今まで広島に本拠を置いていたJALの子会社J−AIRが名古屋空港(小牧)に拠点を移し営業することになりました。


私たちの乗った飛行機ボンバルディアCRJ200

ボンバルディアCRJ200の客室

 J−AIRは、50人乗りの小型機ボンバルディアCRJ200で、名古屋空港(小牧)を基地に帯広、山形、新潟、松山、高知、熊本と九州から北海道まで路線を持ち、ダイレクトのフライトが無くても乗り継げば国内旅行の便利さは残されました。それに、利用客は一週間まで駐車料が無料と言うのもありがたいことです。

瀬戸内海上空を飛行中

 というような訳で、名古屋空港へ搭乗券を買いに出かけました。J−AIRはJALの100%子会社で、当然弟がくれたマイレッジクーポンが使えます。旅行のために国内線に乗るのは、新婚旅行以来二度目(国際線への乗り継ぎのため成田までの搭乗は数度有りますが)。バスや電車には乗車券が一種類しかありませんが、飛行機には実にいろいろな割引があるのに驚きました。名古屋から松山の普通片道運賃は\20,500で、往復買うと片道\18,450、しかし、60歳以上の人は(いろいろ使用条件はありますが)一般シルバー割引(今回私が利用した)があり37%割引の\12,600でした。シルバー割引には別に季節や路線ごとに設定される種々割引があり、年末年始シルバー割引は松山まで51%引きの\9,800と実にお値打ち。割引は、数十種類があり、単身赴任割引なんてのもあります。大変勉強になりました。宿泊予定の道後温泉の旅館もインターネットで予約しました。
 出発当日、出発時間は10時05分。国内線は、国際線のように搭乗手続きに然程の時間は掛からないので時間的な余裕は十分あります。それでも、途中で何かあってはと少し早めに家を出ました。駐車場は、以前の国内線駐車場をそのまま使っているので余裕たっぷり。

松山市内のメインストリート

 国内線とは言え、持ち物検査は結構厳しかった。靴に付いていた金具でブザーが鳴り、スリッパに履き替えて靴の精密検査?をされてしまいました。靴の底や踵に麻薬を潜ませたりプラスチック爆弾を仕掛けたりと言う話を新聞で読んだことがありますが、乗務員の少ないこの飛行機(パイロット2名、客室乗務員1〜2名)、フライト中にトラブルがあっては困るので特に厳しいのかも知れません。
 食事だお茶だと国際線のような機内サービスは全くありませんので極端なことを言えば客室乗務員は無くても済んでしまうかもしれません。パイロットの場合は、一人ではちょっと危険ですから、やっぱり二人必要でしょう。国内線はフライト時間も短いので副操縦士が客室に気を配っていればいいわけで、その内にワンマンバスのように客室乗務員無しのフライトが出現するかも知れません。
 客室は結構快適。機体が小さいので天井は少し低めでしたが、通路の両側に2席づつある座席は、足が十分伸ばせる広さがあり国際線のエコノミークラスよりずっと広く、シートの座り心地も満足でした。
 1時間弱のフライトで松山空港着。家を出てから約1時間半、本当に世の中便利になりました。空港には食事のできる店が沢山あるので、最初は空港で昼食をと思っていましたが未だ11時。

松山城のお茶屋さんにて

松山市内で食事をすることにしタクシーで市の中心にある松山市駅に向かいました。この松山市駅は、道後温泉へ向かう「坊ちゃん列車」の始発駅にもなっています。地図を見ていると、この松山市は、市の輪郭がどこか名古屋に似ているような気がしました。松山市駅は、高島屋百貨店の地下にあり丁度名古屋駅に似ています。そして高島屋から松山城に向かって延びる繁華街の突き当たりに三越百貨店がありました。名古屋で言えば、名古屋駅からメインストリート広小路を通り終点の栄に三越百貨店があるのに似ています。
 高島屋の最上階にはレストラン街があり、そこで讃岐うどんの昼食。荷物をコインロッカーに預かり、街中の散策に出発。家内が伊予絣を買いたいと言っていたので絣を求めて高島屋から三越まで歩きましたが、水曜日が定休日との事で呉服屋さんは全てお休み。百貨店には、伊予絣は並んでおらず、家内は些かご機嫌斜め。最後に寄った三越百貨店の呉服売り場で「どの呉服屋さんも伊予絣は置いていないと思います。道後温泉の商店街には並んでいると思いますから、そちらで探された方が」と親切に教えてくれた。
 三越百貨店の迎い側から松山城へ登るケーブルカーの乗り口へ通じる道が延びていたので松山城へ行ってみることにした。ケーブルカー乗場は、明治19年に四国で初めてのキリスト教系女学校として設立された東雲学園の校舎の一部のような感じで建っていた。天守閣は工事中で見ることが出来なかったが、二の丸公園の茶店で食べた「坊ちゃん団子」は実に美味しかった。


坊ちゃん列車の方向転換は全て人力

方向転換完了

 道後温泉へは3時少し過ぎの「坊ちゃん列車」に乗ってゆく予定をしていたので時間に合わせて松山市駅向かったが、お城へ登ったのが祟って足が痛くなってしまった。止む終えず三越百貨店の前から市街電車で松山市駅に向かった。以前、広島市へ行った時にそうだったが、この松山市の市街電車も各地からの寄せ集めのようでいろんな種類の電車が走っているようだ。調べてみたら面白いかもしれない。

客室に掛けてあった

 「坊ちゃん列車」は、明治27年に伊予鉄道が開設した蒸気機関の列車で夏目漱石の小説「坊ちゃん」の中に出てくるため「坊ちゃん列車」と呼ばれ当時の列車を忠実に復元し松山市のシンボル的存在になっている。もっとも現在ではジーゼル機関で走っているが警笛などは正にSLの音そのもので懐かしい響きを聞くことが出来た。
 坊ちゃん列車を待っている間、線路を見ていて、不思議に思ったことがあった。一生懸命考えてみたが分からなかった。坊ちゃん列車は、市街電車と同じ線路を使っていて、松山市駅が終点になっている。当然線路も袋小路のように行き止まりだ。市街電車は、前後ろが同じ形になっていて前後両方に運転席があり方向を変えるときは反対側の線路へスイッチバックし運転手が反対側の運転席へ移動すれば済んでしまう。
 ところが、坊ちゃん列車は、機関車の形が一方向向きにしか作られていないのにバックで牽引している姿は見たことが無く、何時も前向きに走っている。どのようにして方向を変えるのだろうか。線路をよく見てもターンテーブルがある様子もない。結局私の頭では、答えは出なかった。
 しかし、列車が入ってきて方向転換が始まった。乗務員が二人降りてきて写真のように押して回転させているではありませんか。驚きました。先ほど線路をよく見た時にはターンテーブルなど無かったのに。作業が完了したところで乗務員に聞いてみました。なーるほど、了解。ターンテーブルは、機関車の下側についていたのでした。つまり機関車の重心でジャッキアップし、機関車を持ち上げ、押して回転させる。ジャッキの軸がフリーになっていて回転すると言う仕組みだった。丁度陶器の轆轤と同じ原理だ。答えを聞いてしまえば、なーんだこんなことかと言うことですが、蒸気機関車当時からこう言う仕組みだったのでしょうか。昔、操車場で機関車の方向を変えるための大きなターンテーブルを見たことがあります。


坊ちゃん列車乗車券(表)

坊ちゃん列車乗車券(裏)一連番号が打ってある

 松山と言う街は、どこか遊び心のある街で、街の中心を明治時代と同じ形をした汽車が定期的に走っているし、当時を忠実に再現しようと乗車券もレトロ調、往時の乗車券がこのようであったかどうかは分かりませんが、なぜか心がほのぼのとしてきます。街の中を歩いている人たちもどこかゆったりしていて、気忙しく早足でちょこちょこと行き交う大都会の人たちとは違うように思えました。坊ちゃん列車に乗り往時の風情を楽しみながら道後温泉に向かいました。

道後温泉商店街

 坊ちゃん列車(列車と言っても一両編成)の終着駅である道後温泉駅は、道後温泉商店街の入り口にあり、列車を降り、商店街を取り抜けるとホテルが立ち並ぶ道後温泉中心部へ到着です。商店街は結構賑やかで三越の店員が教えてくれた通り伊予絣の並んでいる店も多く、中でも伊予絣を専門に並べている大きな店もありました。昔は普段着であった絣も、今では特産品として特別な店でしか買えなくなってしまったようです。現在では、手織りの職人は一人だけになってしまい、松山市内の民芸伊予かすり会館で後継者の養成が行われているとのことでした。
 私が道後温泉を訪れるのは今回で二度目、とは言っても前に来たのは学生時代、もう50年近く昔のことです。誰とどんな機会に来たのか全く記憶にありませんが、道後温泉本館と坊ちゃん列車を見たことだけは記憶しています。もっともこの二つは、絶えず雑誌や旅行案内に写真が載っていますので私の記憶を風化させずに何時までも頭の中に残しておいてくれたのでしょう。
 道後温泉本館は、私の記憶の通りの姿で(と言うより何時も見ている写真と同じ姿で言った方が正しいかも知れません)建っていました。

道後温泉本館

 この道後温泉本館は、道後温泉のシンボル的存在で、ここを訪れる殆んどの人がこの建物の前で記念撮影をするのでは無いでしょうか。私も早速一枚撮りました。
 道後温泉商店街は、道後温泉駅から真っ直ぐ北に向かい突き当たりを直角に右に折れ道後温泉本館の真正面に出ます。この商店街は、正に道後温泉駅から道後温泉本館へ通じる門前町のような感じです。
 私たちの泊まったホテル宝荘は、高層ホテルが集まっている中心部にありまあまあ感じのいいホテルでした。このホテルを選んだ理由は、インターネットで探していて、希望の日に部屋が空いていたこと、立地条件がよかったこと、風呂の設備が気に入ったこと(宝荘のホームページで見て)の三点くらいでしょうか。インターネットで簡単に宿泊予約が出来るようになった現在、ホテルのホームページの出来具合が集客力に繋がってくる時代になったのかも知れません。
 最近旅行をして何時も感じるのは、歳をとったせいか食べる量が減り、出てくる食事を食べきれません。多い時は、半分も残してしまうようになってしまいました。観光地のホテルでは、殆んどが夕朝食が込みになっていますので料金に応じて一律出てきます。量を減らして質を上げる年寄食メニューがあるといいんですが、なかなかそういうところは無いですね。

私たちが泊まったホテル宝荘

 おみやげを買って、温泉に入って、美味しいものを食べ、ぐっすり眠って一泊半日旅行の終わりです。私は、温泉へ来ると何時も三度お湯に入ります。ホテルにチェックインして部屋に入ると先ず一回目の入浴に出かけます。そして夕食後しばらくくつろいだ後二回目。三回目は、翌朝目覚めた直後に入ります。最近では、殆んどの温泉ホテルが大浴場の外に野天風呂だとか岩風呂だとか三種類くらいの浴場を作っていますので丁度一巡できます。
 朝風呂に入り朝食を済ませれば後は帰途につくのみ。フライトは、11時35分でまだ時間的余裕は十分にあったのでホテルの近くにある一遍上人誕生の地宝巌寺と江戸初期に松平定長が建立した伊佐爾波神社を見に行くことにしました。
 見ることはできませんでしたが、宝巌寺の本堂に安置されている一遍上人立像は、室町期の肖像彫刻の中でも秀作と言われ、国の重要文化財に指定されています。また、伊佐爾波神社は、日本を代表する八幡造りの神殿で国の重要文化財に指定されています。
 松山は、正岡子規や夏目漱石など著名な文人、俳人を数多く輩出していて、現在でもその名残を色濃く残しています。それらの縁の地や縁の品を訪ね歩くのも楽しいかもしれませんが、今回の旅は、坊ちゃん列車に乗って道後温泉で終わりでした。

伊佐爾波神社


宝巌寺


 55分間のフライトで12時半きっかりに無事名古屋空港着。かくして私たち夫婦の道後温泉旅行は無事終了しました。
 ここのところ朝夕はめっきり涼しくなり過ごしやすくなりました。食欲の秋、スポーツの秋、行楽の秋、そして読書の秋、皆さんも大いに素晴らしいこの秋を満喫してください。

それでは、また!!!

近況報告目次へ