いよいよ今年も終りですね

H.17.12.11

 皆さん、その後お元気ですか。
あれよあれよと言う間に12月も半ばに入り、もう直ぐお正月が来てしまいます。気は焦れども何も出来ない間に時間だけがどんどん過ぎてゆく感じです。

          少年易老学難成 (少年老い易く学なり難し)
          一寸光陰不可軽 (一寸の光陰軽んずべからず)
          未覚池塘春草夢 (未だ覚めず池塘春草の夢)
          階前梧葉已秋声 (階前の梧葉已に秋声)

これは、あまりにも有名な朱子の作と伝えられている詩で、若い人にとっては、「時間は、どんどん過ぎて行ってし

我家のクリスマスツリー
まうから一生懸命生きるんだぜ」と励まし、子を持つ親の立場から見れば「一生懸命頑張らんとあかんぞ」と子供達に対する叱咤の言葉に聞こえてくるのでしょうが、晩年に差し掛かり高齢者(これは、差別用語ではないのかなぁー)と呼ばれる身になった今、この詩の重点を第一行目では無く最後の行に移して読むと、この一行の意味するところが無性に気になります。日も短くなり晩秋の寒風に吹きさらされ今にもポロリと落ちそうな黄ばんだ桐の葉一葉。これがわが身かと思うと過ぎ行く時の意味は若者の感じる一寸の光陰の比ではありません。
 この近況報告を書き始めたのは高校同級生の有志で毎年行われている「自分探しの旅」に参加し新穂高温泉へ行って来た10月末でした。それなのに、時はどんどん過ぎ、もうクリスマスの季節。我家の居間にはクリスマスツリーが飾られ、クリスマスプレゼント忘れないでねと孫達の無言のメッセージが発信されています。
 時間の過ぎるのが早い早いと言うけれど、終日きりきり舞をして何かしているかと言えばそうでも無い。何となくすっすっと一日が過ぎていってしまう。縁側に置かれたリクライニングの椅子に腰掛けオットマンに足を伸ばすと心地よい冬の日差しについうとうと。椅子には、友人が以前オーストラリア旅行で土産に買って来てくれた羊の毛皮がかけてあり座り心地満点。探すのに苦労したと言っていただけに、椅子がすっぽりと被ってしまう大きな物で毛足は10センチ以上もあろうと思われる逸品だ。そう言えば、親父もこの椅子のリクライニングを倒して腰掛け一日中居眠りをしていた。こうして居眠りをしていると正に極楽。直ぐ夕方になってしまう。

穂高連峰を後ろに
 こんな調子だから何もしないうちに一日が過ぎて行ってしまう。よく「年をとると眠れない」と言うが、私の場合はどれだけでも眠れてしまう。当然、起きている時間が短くなるのでやることも進まない。
 こんなわけで、書き始めた「自分探しの旅」の報告も掲載のタイミングを逸してしまいました。この「自分探しの旅」は、私にとっては今回が初めての参加でしたが、既に第5回と回を重ね、同級生の間では楽しみな定例行事になっているようでした。
 この企画が誰の発案で始まったのかは知りませんが、定年を境に生活ががらりと変わり、日々をどう過ごせばいいのか自分を見失ってしまいがちな年代にとって正に当を得た企画であったと思います。
 数時間の立食パーティとは違い、一泊二日間顔を合わせての旅は、古き青春の思い出を蘇らせ新たな自分を見出すのに余りある物でした。もっとも、多くの同級生が既に鬼籍に入っているこの年代になっても元気に一泊のバスツアーに参加できた人たちは、健康に恵まれた一分の者であったのかも知れません。
 あれから既に一ヵ月半、飛騨の山々は雪に覆われ様変わりしていることでしょう。旅行で撮った全員写真がやっと今日届きました。
 親父の一周忌の法要も滞りなく済ませたし、いくつか声の掛かっている忘年会に出席するだけであとは特にやることも無し。粛々と除夜の鐘を待つのみ。おっと、忘れるところだった。年賀状が未だ全くの手付かず。あまりぎりぎりにならないようにしなければ。近況報告もこれが今年最後になると思います。皆さんもご家族揃ってよい年をお迎え下さい。

それでは、また!!!

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