トワイライトエクスプレス北海道の旅

H.18.02.28

 皆さん、その後お元気ですか。もう今日で2月も終り。何時までも寒いですね。私も最近は、少し寒くても寒さが身に凍みる歳になってきました。この寒さの中、去る2月15日から三泊四日でトラピックス企画のグループツアー
京都駅0番線ホーム 大阪発寝台特急トワイライトエクスプレスが滑るように入ってきた

「トワイライトエクスプレス冬の夢体験4日間」に参加し厳冬の北海道へ行ってきました。

〔 旅の足取概略 〕
名古屋駅 → (新幹線こだま533号) → 京都駅 → (トワイライトエクスプレス車中泊) → 札幌駅 → 旭山動物園 → 銀河・流星の滝 → 層雲峡(朝陽リゾートホテル泊) → 濤沸湖白鳥公園 → 網走港 → 天都山 → 網走駅 → (流氷のろっこ号) → 知床斜里駅 → オシンコシンの滝 → 知床ウトロ温泉(知床プリンスホテル泊) → 摩周湖 → 釧路湿原・鶴見台 → 釧路空港 → (JAL3132便) → 中部国際空港

 私には、今回の旅に参加するにあたって欠くことのできないキーポイントが二つありました。一つは、前回の近況報告にも書いたとおり豪華寝台特急トワイライトエクスプレスに乗ることであり、もう一つは、雪国への旅でした。
 一年に数度しか積雪がなく、積もっても翌日には溶けてしまう雪の少ない地方に生まれ育った私にとって、一面雪に覆われた雪国の景色は、正にロマンチックなおとぎの国の景色であり、
私達の乗ったBツィン個室車両の通路

私を幻想の世界へと誘ってくれるものでした。
 いよいよファンタスティックな旅への出発です。私たち夫婦は、集合場所である名古屋駅へと向かいました。参加者は22名、殆どが私たちと同じ世代の熟年夫婦でした。名古屋駅から京都駅まで新幹線で行き、京都駅で大阪発のトワイライトエクスプレスに乗車という段取りです。
 私達が新幹線で京都駅に着いたのは、11時40分。トワイライトエクスプレスの発車時刻は12時38分。京都駅での待ち時間が1時間近くあり、ちょうど昼食時間帯にあたるのですが昼食については旅行社の案内には何も書いてないし、添乗員からの説明もない。どうするのか添乗員にたずねると、
「列車の中でも売ってはいるが昼食時間過ぎなので売り切れで買えないかもしれません。途中で駅弁を買うにしても停車時間が短いので無理でしょう。京都駅での待ち時間に食べるか弁当を買って持ち込んで下さい。」
と言う。私が事前にインターネットで得た知識とは少し違うようだが、添乗員がそう言うのであればと私たちも、京都駅で弁当を買って持ち込むことにしました。添乗員が勧めたこともあって一階のコンビニで弁当を買っていた人が多かったが、
食堂車 Pleiades にてフランス料理の夕食

折角の旅行、それも豪華寝台特急と呼ばれる列車に乗りデナーはフルコースのフランス料理というのに昼食がコンビニ弁当では少し寂しい気がする。 せめて京都駅オリジナルの駅弁をと思い改札口近くの売店へ行ったところが、売切れてしまいこれしか残っていませんと小さなさば寿司の折を指差す。ホームでも売っているはずだとは思いましたが、それでももし無かったらと思いそのさば寿司を買いました。昔から、案ずるより生むが易しと言いますが、駅のホームには各種駅弁が全部揃っていました。お腹が空いていたこともあって、先ほどのさば寿司だけでは足りないような気がして買い足すことにしました。それも加茂川云々と言う一番量の多い幕の内弁当とお茶を買ったのです。このお弁当が後で災いの元になってしまいました。乗車してから分かったことですが、車内放送で食堂車 Pleiades の昼食案内を度々流していましたし、社内探訪をしてきた家内が、食堂車に売物のお弁当が山積みになっていたよと言う。何も持ち込むことはなかったのです。食堂車では、京都駅で乗り込んでくる私たちの分も当てにしていたのかもしれません。
 トワイライトエクスプレスの京都駅停車時間は1分。列車は、12時37分きっかりに0番ホームへ静かに滑り込んできた。1分停車(@@)と慌てたが、1分って結構余裕のある時間だということを改めて知りました。よく考えて決めてあるんだと納得した次第。
私が一番気に入ったのはこの展望車、外の景色を心行くまで堪能できた

 トワイライトエクスプレスには、スイート、ロイヤル、Bシングル個室、Bツイン個室、Bコンパートの5種類の部屋があり、 スイートは、シャワールームからTVまで備えられた完全な豪華ツインルームですが、1列車に2室しかなく万博の人気1館の予約を取る何十倍も難しく、正に夢の部屋。ロイヤルは、シングルルーム。私たちの部屋は、Bツイン個室でした。
 部屋で落ち着き、さあ昼食をと思った時にはもう2時近くになっていました。 なんかお腹空いていない感じと言いながらも家内はお弁当を全部食べてしまいました。これがいけませんでした。日の短い冬のこと Pleiades での夕食は5時半からの席。ここのディナーは、日本一値段が高いと言われるフランス料理で、今回の旅行の楽しみの一つでもありました。あまりお酒の飲めない私ですが折角のフランス料理、先ずグラスワインを一杯。食べ始めて少し経ったころ、家内が気持ちが悪くなったので食べるのを止めておくと言い出しました。元来食の細い家内、昼食を腹いっぱい食べて未だ3時間半しか過ぎていないし、揺れる列車の中での食事、それに食前に飲んだワインもいけなかったようでした。家内は、折角のディナーも前菜とデザートを食べただけで終わり。
旭山動物園名物ペンギンの行列

 食事の後、展望車でしばし時間を過ごしました。元来は、この列車の名前が示すよう日本海の夕日が素晴らしいのでしょうが私たちの乗った日は生憎の曇り空、遠望は全く望めませんでした。
 聞くと見るでは大違いとよく言いますが、車窓から見る雪景色も私が頭の中で想像していた様子とは全く違っていました。日々新聞やテレビのニュースで見聞きし私が頭の中で描いていた日本海側の眺めは、一面深い雪に覆われ、鉄道の線路も雪に埋まり時には運行できないこともあるのではと言うものでした。
 しかし、実際に私の目に映った車窓の景色が私の描いていた景色に近づいてきたのは北海道に入ってからでした。新潟辺りまでは、沿線の視界にはところどころに雪があるのみで東北に入ってやっと雪景色が見られるようになったと言う感じ。北海道の人は、本州を内地と呼ぶそうですが、内地と北海道では気候ががらりと変わるようです。
 朝9時7分、札幌駅着。トワイライトエクスプレスの旅はここで終りバスに乗り換えて次の目的地旭川の旭山動物園に向かいました。
 北海道まで来て今更なぜ動物園なのかと思いましたが、いろいろ話を聞いてみると
私達の部屋の窓から見た景色(層雲峡温泉朝陽リゾートホテル)

最近各地の動物園で入場者が激減しその存続さえ危ぶまれている中、この旭山動物園は、日本一の入場者数を誇りその様子がNHKでも紹介され一躍有名になったとのことでした。
 数年前には、この動物園も例外ではなく、入場者数の激減により閉園に追い込まれる寸前でしたが再起を期してのリニューアル後、入場者は急増し一躍有名になったとのこと。  動物の見せ方にいろいろな工夫がされてはいるものの動物園そのものはどこにでもある中規模地方動物園で、入場者の数もリニューアルオープンの一時的現象のような気がします。
 動物園での観光時間は2時間でしたが、1時間もあれば全部見て回れる広さ。園内の設備は不十分で休憩場所も少なく、厳しい寒さの中での2時間は、寒さに不慣れな私たちには些か辛い時間でした。風が無ければそれほど感じないかも知れませんが、吹雪の中で風の当たる場所を歩いていると体の芯まで寒さが差し込んでくる感じでした。この2時間、後から考えると旅行社の時間調整的な意味も有ったのではなかったかと言う気がしないでもありません。
 それにしても、流行とはたいしたもので、この酷寒の地の吹雪の中でも超ミニスカートの女性を時々見かけました。十分な暖房も衣類も無かった太古の氷河期を生き延び生命を繋いで来た人類は、
気温が低いため積もった雪は風の吹く度に埃のように舞い上がる

過酷な自然環境の中でも生き抜いてゆく逞しい潜在能力を身に備えているのかもしれません。
 明日の朝は出発が早いからと途中で銀河・流星の滝を見物し宿泊地の層雲峡温泉朝陽リゾートホテルへ早めに到着。
 途上宿泊の心得をバスガイドが説明してくれた。ホテルの部屋は暖房が効き過ぎ極度に乾燥している。そのため喉を痛める可能性がある。夜寝る時、風呂に水を張っておくとよい。また、暑くても窓は開けないように。開けると凍り付いて閉まらなくなってしまうとのことでした。
 部屋は、ガイドが説明してくれた通り真夏にエアコンを切った部屋にいるほどの暑さでした。暖房を全部切ってもまだ暑くて眠れず。窓を少し開けると外から吹雪混じりの風が吹き込んでくる。凍るような冷たい風が心地よく感じる。窓が氷りついて閉まらなくなると脅されていたので直ぐ閉めてしまった。喉を痛めないように風呂に水を張り床に就きましたが暑くて眠れず。部屋の戸を開け放ちバスルームの換気扇を回すと少し涼しくなった。
 この強烈暖房は、宿泊客の希望によるのかも知れません。ホテルのロビーにいると自分がどこか外国のホテルにいるのではないかと錯覚を起こすほどでした。周りで飛び交う言葉は、殆ど中国語。
網走国定公園濤沸湖白鳥公園

フロントの話では、この季節には台湾からのお客さんが多いとの事。常夏の国台湾からのお客さんが多ければ当然部屋の環境もお客さんに合わせざるを得ないのでしょう。廊下やロビーですれ違う人たちも台湾の人か日本人か外見だけでは殆ど分かりません。 しかし、大浴場へ行った時、私が今まで出会ったことの無い光景を見かけました。洗い場で立ってシャワーを浴びている一団の人たちがいました。話している言葉は日本語ではなかったのでおそらく台湾の人たちではなかったかと思います。
 日本の浴場にある洗い場の形状はほぼ一定しています。日本人は殆どの人が腰掛けて体を洗うため鏡やシャワーの位置そして洗い場の配置構造も腰掛けて使い易くできています。間仕切りのある場合も腰掛けて使う高さになっています。それなのに彼らはシャワーを手に持ち立って使っていたためシャワーの水が周り一面に飛び散り隣の人の足元にかかり放題でした。生活習慣の異なる外国の人たちの利用が増えるようになると留意しなければいけないことがいろいろ増えるようです。
 脱衣所の壁に貼ってあった注意書きも私の目には興味あるものでした。
私の後ろに広がる網走の海一面に流氷が漂っているはずであったが・・・

「水着を着て入らないで下さい。」
「バスタオルを体に巻いて入らないで下さい。」
などと絵入りの注意書きが日本語、英語、韓国語、中国語で書かれていました。
 最近、いろいろな職場へ女性の進出が著しく、 ホテルのフロントも例外ではなく若い女性の職場になりつつあります。このホテルも、20代半ばと思われる若い女性3人が担当していました。私がフロントの前を通りかかった時も耳に入ったのは流暢な外国語でした。彼女たちは、数カ国語を話すことができるのかも知れません。ホテルのフロントマンのイメージは、必要なこと以外は口にせず、冷静沈着、ロボットのように事務的に仕事を進め、やや冷たい感じを受けるというものでした。観光地ということもあるのか、ここのホテルは実にソフトだった。夕食後風呂から上がってきてロービーでくつろいでいると、先ほど頼みごとがあって顔見知りになったフロントの女性がやってきて30分ほど私たちの話相手になっていてくれた。実に聞き上手で印象もよく退屈させない。感心した。翌朝出発の時、見送りは、彼女一人で吹雪の中に立ち手を振っていた。黄色のレインコートと笑顔が印象的だった。
 第三日、今日は、流氷砕氷船「おーろら号」乗船や
妖精の舞を見せてくれるクリオネ

「流氷のろっこ号」乗車等時間の決められた行程が多いからと吹雪の中網走に向かって早朝の出発になった。
 層雲峡を出発して当分の間は、高所を走るため気温もそうとう低く、 バスの中はしっかり暖房されているのに窓の内側が氷る。拭いても拭いている間に氷ってくる。平地に出てからも外気温は低いようで路上の雪が埃のように風の吹くたびに舞い上がる。パウダースノウと呼ぶのだろうか。数十年前、厳冬のソウルを訪れた時に同じ様な光景をみたことがある。 あの時は−20度とかでホテルの中の階段まで氷り、滑らないようにとキャンバスが敷いてあった。
 「おーろら号」の乗船時間に遅れてはいけないからとバスは寄り道もせず網走に向かって走った。網走と言えば真っ先に私たちの頭に浮かぶのは網走番外地「網走監獄」と高倉健であり、遥か彼方にある陸の孤島というイメージではなかったでしょうか。私自身、網走と言えばこの二つ以外のことは何も知りませんでした。それが今では流氷見物の拠点として多くの観光客が訪れる定食コースになっています。私の近くにいた人が
「流氷を見に人が集まってくるなんて十年前には考えれなかったことだ。」
知床半島最先端の駅知床斜里駅

と大きな声で話していましたが、住んでいる人には、毎年起きるごく当たり前の自然現象であり何の珍しさも無いわけですからこれを見に遠から人が押しかけてくるなどと思いもしなかったのかも知れません。
 バスは、順調に網走に到着しましたが湾内を一面に埋めているはずの流氷は影も形もありません。前の日には、湾内をびっしりと流氷が埋めていたそうですがこの日は風の都合で沖に引いてしまっているとのことでした。流氷は、海の上を漂っていて簡単にあっちへ行ったりこっちへ行ったりあっちに固まってみたりこっちに固まってみたり大変気侭な存在のようです。流氷が全く無いこんな有様では、砕氷船も湾内遊覧に終わってしまうのでと欠航になってしまいました。
 砕氷船が駄目になってしまったので予定されていた網走国定公園濤沸湖白鳥公園の後に網走を一望できる天都山へ行くことになりました。
 網走国定公園濤沸湖白鳥公園、大袈裟な名前ですが観光客が投げる餌を目当てに人馴れした白鳥、カモメ、鴨が群がっているだけの場所でした。ここで印象に残ったのは、みやげ物店の軒先にガラスの空き瓶に入れて展示してあったクリオネでした。このクリオネは、流氷の妖精とよばれ流氷と共にオホーツク海にやってくる1センチほどの小動物で貝の一種だそうですが
雲間から射す夕日の中流氷に埋め尽くされたオホーツク海

殻は着けておらず立って両方に広げた羽のような鰭を動かして泳ぐ姿は正に幻想的で妖精の名に相応しいものでした。冷たい水の中で生息しているため持って帰るのは無理とのことでした。
 クリオネの横に、同じ様な瓶に入れたイクオネが展示してありました。これは、水中写真家の中村いくおさんが発見したクリオネの仲間でここにしか居ない貴重なものであるとの説明書きがありました。
 ここは、早々に引き上げ天都山に向かいました。網走市内とオホーツク海を一望でき、また有名な網走刑務所の全容が見える眺めのいい場所でしたが立っている事ができないほど強くつめたい風がオホーツク海から吹きつけ長居できる場所ではありませんだした。
 網走から知床斜里駅までは流氷のろっこ号で移動です。この列車は木の腰掛に石炭を燃やすだるまストーブ、それに一世代前風の売店まであり、ストーブではするめ焼いて食べることができるように金網が乗せてありました。古き時代を偲んでオホーツク海の流氷を眺めながらゆっくりと知床までと言う趣向のようでした。 しかし、残念なことに車窓からの流氷見物は空振りでした。それでも、列車が知床斜里駅に近づいた頃、遥か地平線の辺りに白く流氷が見え始めました。
蝦夷鹿がいたるところで姿を見せてくれた

 知床斜里駅でバスに乗換え本日の宿泊地ウトロ温泉に向かいました。ウトロに近づくにしたがって流氷は岸に迫ってきて、終に岸までびっしりと接岸している景色を目にすることができました。
 世界遺産に指定されている知床半島は、自然が十分保護されているようでいたるところで人を怖がることも無くすれ違う鳥や獣を見かけることができました。近くをかすめるように飛んでゆくオジロ鷲や大鷲、じゃれあっているキタキツネの番、特に目に付いたのは蝦夷鹿でした。蝦夷鹿は増えすぎて捕獲しているとのことで鹿の肉はよく食卓に出ていました。
 ホテルへの途上、オシンコシンの滝へ寄りました。オシンと言うので私はNHKの大河ドラマ「おしん」を連想してしまいましたが、これは、アイヌ語で「そこに蝦夷松が群生する所」と言う意味だそうで、高さ80メートルの滝が岩肌の斜面を流れ落ちていました。 しかし、厳冬の現在、滝は完全に氷っており、滝と言うより氷の滑り台といった方がいいような状況でした。それにしても寒かった。この滝は海岸にあり、日が沈みかけたこの時間には気温も下がり始め 海から漂流の上を這うように吹き付ける中で、バリバリに氷った雪の上に立っての見物は正に修行でした。家内は毛糸の帽子を被っていたにもかかわらずあまり冷たいので頭が痛くなってしまったと以後は帽子に携帯懐炉を貼り付けて被る始末。
皇太子ご夫妻も泊まられた知床プリンスホテル

 ここからの流氷の景色は素晴らしかった。雪のちらつく雲間から薄く洩れる夕日に照らされた流氷に一面覆われた海の眺めは正に絶景でした。
 この地にも中国語を話す人たちが沢山来ていました。そう言えば、のろっこ号の乗務員にも中国を話す人が居て中国人のお客と中国語で話していました。
 同じルーツの北東アジアの人を外見だけで判断することはむりなようです。私たちが泊まったのは、知床プリンスホテルといいかって皇太子殿下夫妻が泊まられたことのあるホテルだそうです。私は、ホテルのパンフレットが欲しくフロントへ行きました。 パンフレットは、いくつかの外国語で書かれたものがそれぞれ準備されていました。フロントは、その中から一つを取り渡してくれました。よく見もせず部屋に帰って見ると表紙に「知床太子大飯店」と書いてあるではありませんか。中国語のパンフレットでした。どうもフロントは、私を中国人と間違えたようでした。
 夜、オーロラショーを見に出かけました。港近くの岩に囲まれた大きな吹き溜まりに煙を棚引かせ、そこにレーザー光線で映像を映し出しオーロラのように見せかけるものでした。広い空全体を使うスケールの大きいショーは、本物のオーロラとは似ても似つかぬものではありましたがそれなりに楽しませてくれました。
昨日とは打って変わった晴天の下流氷をバックに

しかい、わずか1時間のショータイムでしたが、寒かったこと。並の寒さではありません。それに、足元が氷ってつるつる。風邪を引くといけないので出かける前に風呂に入らないでとのことでしたので風呂には入らず背中と腹に懐炉を貼り付けで万全の態勢で出掛けましたが、それでも知床の夜の寒さは半端ではありませんでした。
 いよいよ旅の最後の日です。今日の旅程は、摩周湖と釧路湿原を回り釧路空港から中部国際空港の予定です。今朝の空は、昨日とは打って変わり青い空が一面に広がり穏やかな出発になりました。
オホーツク海ともこれでお別れです。流氷のよく見える場所でバスを停めてもらい記念撮影。今日の流氷は、岸から少し離れ岸との間に海が見えていました。
 霧の摩周湖で有名な摩周湖は、透明度世界一と言われる湖水でも有名な湖です。霧も無く、湖水も見ることの出来ない氷の張り詰めた冬の摩周湖の魅力は何なのでしょう。滞在時間も短く、湖を背景に集合写真を撮りいそいそと次の観光地に向かいました。冬の摩周湖についての説明は何もありませんでした。
 いよいよ今回の旅最後の鶴居村鶴見台です。
一面氷に覆われた摩周湖

この鶴見台は約40年前に渡部トメさんがタンチョウ鶴の餌付けに成功しずっと給餌を続けてこられた場所とのこと。私有地を開放した給餌場に朝夕2回、一輪車に満載したトウモロコシをまいて餌付けしてきた功労者です。もう80歳を越えておられるとのことですが、元気一杯で観光客に話しかけておられました。
 毎日のことですから餌の量も大変なもの。鶴見台の入り口にソフトドリンクの自動販売機が置いてあり、この利益が鶴の餌代の足しになるので是非ご協力をとのバスガイドの話もありましたので私もミルクコーヒーを1本買いました。自販機の傍に立って買う人に「ありがとうございました。ありがとうございました。」とお礼を言っているゴム長に頬かむりのお婆さんがおられました。この人が渡部トメさんでした。
 特別天然記念物であるタンチョウは、北海道東部に留鳥として生息しており日本に生息する鳥の中では一番大型で全長1.6メートル、翼を広げると2メートルを超し体重は7〜12キログラムにもなります。この大きな鳥が群れをつくり頭上を通り過ぎて行く時はすごい迫力です。
 このタンチョウは、江戸時代には北海道の各地に生息し、冬には今の東京付近でも見ることができたそうですが明治なると生息地の湿地が開拓されたり乱獲が行なわれたために激減し、明治末には絶滅したといわれていました。
タンチョウの里鶴居村鶴見台

しかし、大正13(1924)年、釧路湿原にわずか十数羽ではありますが生き残っていることが発見されました。さっそく保護活動が始まり、昭和27年からは冬期間の給餌も行なわれるようになり、生息数は徐々に増え、今日では1000羽を超えて絶滅の危機からは脱したとのことでした。
 国外ではロシアのウスリー地方に200羽ほど、中国東北部で1000羽ほどが繁殖しているとのことです。
 釧路湿原を最後に私たちの旅は終わりました。帰途に着くべくバスは一路釧路空港へと向かいました。
 16時55分、無事中部国際空港着。開港当時数度見物に出かけたが何時も長蛇の列で入ることが出来なかった食堂街も今は殆どの店が待たずに入れ、ゆっくり夕食をして家路につきました。
 二人一組で申し込んでくださいとの条件付だった今回のツアー、夫婦単位での参加が殆どだったことは当然の結果でしょう。夫婦でこうしたツアーに初めて参加した私は、不思議なことに気付きました。名古屋駅で集まった10組22人の人達が三泊四日間ずっと行動を共にしてきて釧路空港で飛行機に搭乗別々の座席に座って再び別れて行く。旅行の間、お互いに言葉を交わすことは殆ど無く、お互いの名前も全く分からない。添乗員を入れて23人の集団が旅程にしたがって黙々と一つの集団になって移動してきた感じである。私が今まで経験してきた旅とは異質な印象を受けるものでした。
 プライバシーを重視すべきことは理解できますが、ツアーの責任者である添乗員までが、自己紹介で苗字を述べたのみ。名刺を所望したところ無いと言う。自由行動の時はぐれてはと思い携帯電話の番号を請求してはじめて教えてくれたありさまでした。
 どのツアーもこんな風なのでしょうか。それにしても、網走と摩周湖の二箇所で集合写真を撮りましたが、名前も分からない人達との集合写真。私のアルバムに初めての不思議な写真です。

それでは、また!!!

近況報告目次へ