高野山参り

H.18.06.15

 皆さん、お元気ですか。四国八十八ヶ所霊場巡拝を終えてから、早くも1ヶ月近くが過ぎようとしています。田植も終り農家の仕事も一段落、四国を一緒に回ったお年寄り夫婦も手が空いたようなので、6月7日に待望の高野山へ行ってきました。同行のご夫婦は、高野山へ何度も行ったことがあるとのことですし、家内も若い頃行った事があると言うので、初めては、私だけ。
奥の院御廟橋、此処から奥は聖域。御大師さまがこの橋まで送迎して下さるとのこと。

どちらにしても、今回のお参りの目的は、四国霊場巡拝の締め括り、つまり、納経帳に奥の院の御朱印を戴くこと。道路事情もよくなったことだからと日帰りで行って来ることにしました。
 出発に当たり、カーナビをセット。目的地は、高野山奥の院。カーナビは、瞬く間に目的地までの行程をディスプレイに表示して、これでいいかと聞いてくる。OKをタッチすれば、ナビゲーションスタートである。ところがである、カーナビは、目的地と目的地までの行程は、寸分の狂いも無く正確に表示し案内してくれるが、行程の道路状況までは判断できない。四国を回っている時も、カーナビに頼りすぎて何度も失敗した。車幅ぎりぎりそれも崖っぷちの山道に入り、引き返すことも出来ず必死の思いで何十キロも走る羽目になってしまったこともあった。
 今回も、カーナビに頼りすぎたばかりにとんでもない大回りをする結果になったり、わざわざ危ない道を選んで走ることになってしまったり、何度もカーナビに裏切られてしまった。特に、高野山への上り口に当たる橋本からの道路は肝を冷やした。橋本橋を渡る手前に県道370号線と371号線の分岐点がある。道路標識は、370号線を九度山経由で進むように表示されている。しかし、カーナビは、371号線を進むよう表示している。地図を見ると370号線は相当大回りになる。何度も来た事のある同行者も、こちらの道の方がいいと371号線を指差す。カーナビもこちらを示していることだしと371号線を行くことにした。
織田信長の墓。名立たる武将大名の墓碑供養塔がずらり、その数20万とも言われる。

 ところが、暫し進むと「大型車通行禁止」の立看板があり、乗用車でもすれ違うことが無理な狭い道、その上深い谷に沿って岩山を削った急カーブの連続。時々すれ違うのは軽自動車ばかり。崩れたり落石があったりで絶えず保守が必要なのだろう、道幅一杯を占領してやってくる工事用のダンプカーと出合った時などは本当に苦労した。彼らは絶対にバックしてくれない。道幅一杯占領しているのだから少し間違えば谷底行きだ。すれ違える場所までこちらがバックするより仕方がない。それでも、県道だけあって殆んどの部分にガードレールが取り付けてあったのは気分的に安心だった。
 後日地図を見ていて分かったのだが、371号線は、奥の院参道の中の橋駐車場につながっているが、370号は正面の大門側から入り金剛峰寺前の駐車場につながっていた。中の橋駐車場は、丁度道の駅のように店や食道が駐車場を取り巻いて立ち並び、道を隔てた向い側に奥の院入り口があって、入り口の案内所(中の橋会館)でも納経帳に御朱印が貰える様になっていた。兎に角、カーナビは、目的地を見つけるのには便利であるが、行程については、ドライバーが適切な判断選択をしないと有効に使えないことを身に凍みて学習させられた。
 今回のお参りは、御朱印を貰うのが目的とは言え、私にとっては初めての高野山、一応は見て回ることにしました。一の橋から参道を歩くのが本筋だそうですが、今回は、車を停めた中の橋から奥の院へ向かいました。
御大師さまのお昼食。日々の食事が御供所で調理され御廟に運ばれる。

中の橋は、二つあり、一つは、一の橋から続く昔からの参道にある上流の中の橋、もう一つは、私達が車を停めた駐車場からの入り口にある下流の中の橋で、新しい参道がここから奥の院に向かって延びています。従って、参道は、一の橋から奥の院につながる古い参道と下流の中の橋から延びる新しい参道の二本があることになります。
 2キロ近く続くこの古い参道には、千数百年前からの名立たる武将や大名の墓碑供養塔がびっしりと立ち並び、その数20万とも言われています。新しい参道は、古い参道と全く様相が異なり、殆んどが大企業名をでかでかと書いたかくかくしかじの追悼碑だとか供養塔や記念碑ばかり、正に大きな石の看板がずらりと並んでいると言った感じで、私にとってはあまりいい印象ではありませんでした。また、古い参道が古木の生い茂る中に苔生す石塔が立ち並び荘厳な雰囲気を醸し出しているのに比べ、新しい参道は、立ち木も無く炎天下に立ち並ぶ石のモニュメントと言った感じで宗教的雰囲気はあまり無く、何故か白々しく感じるほどでした。こうした広告塔のような企業の碑を古い参道に混在させず新しい参道として切り離して造ったことは実に賢明な策であったのではないでしょうか。
 御廟橋でめずらしい行事を見ることが出来ました。丁度弘法大師の昼の生身供(食事)が運ばれるところでした。御廟に供えられる生身供は、御供所で日々調理され嘗試(あじみ)地蔵を経て御廟へとはこばれます。
高野山の鳩はお行儀がいい。夫婦揃って日向ぼっこ?

高野山の中で最も幽邃清浄なこの場所に大師は今も生き、人々を救い続けると信じられ、生前と同様のお給仕が日々行われているとのことです。
 御廟前の草むらに鳩が二羽日向ぼっこしていました。二羽とも尾と左の羽を広げ同じ姿勢で並んでいました。鳩がこんな格好をしているのを見るのは初めて。高野山の鳩特有の習性なのでしょうか。全く同じ格好と言うのがユーモラスだと思いませんか。特に面白いのは、時々帆掛け舟の帆のように広げた羽を真上に立てるのです。写真を撮り損ねたのが残念です。
 高野山には、高野山真言宗総本山金剛峰寺を中心に117の寺院があるとのこと。いろいろ調べて来れば、寄りたいところも沢山あったかも知れませんが、今回は、兎に角奥の院の御朱印が目的。それでも、高野山へ来て真言宗の総本山にも寄らずに帰るのではと思い金剛峰寺へ寄りました。ついでに西国巡拝の納経帳に金剛峰寺の御朱印も押してもらいました。
 最近は、お寺回り中心の旅が多くなってしまい、次は、善光寺へ行ってこようと思っています。若い頃、湯田中から志賀高原、横手山、白根山、草津を経て軽井沢まで歩いたことがあり、今度はこのルートを車で辿ってみようと思っています。都合よく、弟が北軽井沢に小さな別荘?を持っていますのでそこで一泊は浮かせるつもりです。帰ってきたらまた旅の報告を書く予定ですのでご来訪の程お待ちしています。

それでは、また!!!

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