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今日は。皆さんお元気ですか。尾張平野は、冬盛り。琵琶湖を横切り伊吹山から吹き降ろす冷たい風が尾張平野に流れ込み一年の内でも今が一番寒さを感じる季節ではないでしょうか。年寄りには一番辛い季節。近くの年寄り仲間を誘ってコーヒーでも飲みに行くのが精一杯。後は、暖房機の前に陣取って、居眠りをしているか、あまり面白くないTV番組を観るでもなく眺めて時間を過ごしているだけ。以前、父の介護をしている時、何時もTVを見ている父を、主治医のヤング女医さんが「分かって見てるんでしょうかねぇ。」と独り言のように言った事があった。この言葉、今の私にぴったりの感じ。目の前にTVが点けてあると言うだけで、特にその番組が観たくて点けてあるわけでもなし、映っている番組のストーリーを追いかけているわけでも無し、ただ目の前で動いている映像をうとうとしながら眺めているだけ。でも、点いていないと寂しい。
芥川賞を受賞した『乳と卵』は、句点が極端に少なく、だらだらと半ページ以上に亘って読点のみの文章が続く独特な文体で、こう言う文章の書き方もあるのかと、文章の書き方には興味を持ったが、ストーリーそのものは、豊胸手術を受けに上京した母親と娘、それに在京の母親の妹の二泊三日間を書き綴った至極単調な内容で、私が興味を持つ内容では全く無かった。選者は、それぞれこの作品についての誉め言葉を捜して書いているが、石原慎太郎氏一人が、「受賞と決まってしまったこの作品を私は全く認めなかった。(中略)一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。」と、酷評である。 直木賞を受賞した『私の男』は、禁じられた世界である近親相姦を扱ったもので、ストーリーの展開も巧妙である。一気に読み終えた。しかし、こうした反道徳的な題材を取り上げた作品が直木賞の受賞作品として堂々と日の目を見ることについては、些か抵抗を感じる。 この本を読んでいる時に中学一年の孫娘が 「おじいちゃん、何読んでるの。」 と入ってきた。 「今年の直木賞受賞作品だよ。」 と言うと 「ふーん。」 と言って出て行ったが、しばらく経って本を一冊持って帰って来た。 「これも直木賞の本だけど、すごっく面白いから。」 と、第134回直木賞受賞作品東野圭吾著『容疑者Xの献身』を差し出した。 中学一年で、もうこんな本を読むんだと感心した。私の読んでいなかった本だったので借りることにしたが、今私が読んでいる『私の男』を、これ今年の直木賞作品だよ読むかいと孫娘に貸してやれるかと言うと、ちょっと二の足を踏む。私の判断回路が既に超オールドバージョンになってしまっているのかも知れないが、何時の時代になっても不道徳な題材であることには間違いないと思う。 是非皆さんの感想もお聞きしたいと思います。 昨日は、雪が降りました。今日も、午後雪との予報。身体にはくれぐれも気を付けお過ごし下さい。
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