紅葉の飛騨路を走ってきました
H.21.10.26

 秋の行楽シーズンも最中、皆さんお元気にお過ごしでしょうか。
 一昨年秋には、紅葉の時期を選んで、海野宿から松本を経て木曽路を南下しましたが、今年は東海北陸道の清美インターから高山を経て木曽街道から野麦街道に入り松本へと飛騨路を走ってみました。早くも頂上に雪を頂いた乗鞍岳と御嶽山を北と南に垣間見ながら五色に彩られた山々に囲まれて走る野麦街道のドライブは、感動の連続でした。
 高山も近くなりました。朝7時10分に家を出、8時半には飛騨の里へ着いてしまいました。早すぎて開園しているのかどうか心配でしたが既に改札口はオープン。観光バスの団体さんも次々到着。平日の早朝と言うのに結構な賑わい。飛騨の里で1時間ほど過ごし、いよいよ野麦峠に向かって出発。
 現在、安房峠に中部縦貫自動車道が出来、高山から松本へ抜けるメインルートは、安房峠経由になってしまいましたが、かっては、野麦峠越えの道が飛騨国と信濃国を結ぶ主街道でした。鎌倉街道・江戸街道と呼ばれ古くからあった街道ですが、この野麦峠を一躍有名にしたのは、山本茂実著のノンフィクション小説『あゝ野麦峠』でした。
 私の今回の旅は、紅葉の野麦街道もさることながら、吹雪の中危険を冒して野麦峠を越え諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た飛騨の農家の娘(多くは10代)たちの物語『あゝ野麦峠』を実際にこの目で見たいというのが主な動機でした。
 峠にある資料館「野麦峠の館」では、『あゝ野麦峠』の中に出て来る娘達や当時の記録写真を見せながらの係員の説明は野麦峠を越えて行った娘達の姿を彷彿とさせる物がありました。中でも『あゝ飛騨が見える』と言い残して死亡した政井みねと兄の物語にはしんみりさせられました。


東海北陸自動車道を清美ICで出て、飛騨の里に寄り、野麦峠を経て松本まで、紅葉の街道を横断。


飛騨の里にて。


野麦街道の紅葉。後ろに乗鞍岳が見える。


野麦峠。『あゝ飛騨が見える』と言い残して死亡した政井みねと兄の像。


奈川渡ダム湖

 目下、新型インフルエンザ大流行。上の孫娘は、学年閉鎖中。下の孫娘は感染し、学級閉鎖。孫の症状は、二日ほど高熱が出ましたが、リゼンザを処方され自分の部屋に隔離中、TVゲームに没頭しています。方程式通り快方に向かっているようです。これからが本格的流行との事ですから皆様もお身体には十分気を付けてお過ごし下さい。

それでは、また!!!

近況報告目次へ