薪を仕入れに行ってきました
H.22.06.25

 鬱陶しい日が続いていますが皆さんお元気にお過ごしでしょうか。
去る6月13日から浅間山麓にある山荘へ行ってきました。出発の日は、日曜日、自動車道が上限1000円で走れる日です。以前から試してみようと思っていたことですが急ぐ旅でも無いしお徳料金を利用してと日本海経由で走ってみました。
走行経路は、自宅出発〜小牧IC〜一宮JCT〜(東海北陸自動車道)〜小矢部砺波JCT〜(北陸自動車道)〜上越JCT〜(上信越自動車道)〜須坂長野東IC〜菅平〜山荘着と総走行距離約550キロ。
北陸自動車道を日本海沿いに走るのは初めての経験。日本海の美しい眺めと爽やかな風の中を、SA・PAで休憩の一時を楽しみながらと期待に胸を膨らませて出発しましたが、期待と現実は全く異なっていました。日本海沿いの自動車道はトンネルの連続。沿線に景色を楽しむ場所などは皆無に等しい有様でした。これも体験してみなければ分からないこと。もっとも自動車道そのものは観光が目的で作られたものではありませんから日本海沿岸の諸条件を考えるとこう言う事になるのでしょう。
 夕方無事山荘着。先月初めに来たときには、まだ雪が残り木々の芽はやっと芽吹き始めたところでしたが、わずか一月ですっかり夏の様相を呈していました。山荘の庭にはレンゲツツジが植え込んでありますが、なかなか満開の時期に出会うことが出来ません。今年も、すでに峠を越し八割方散っていました。それでも、新緑の森の中に咲くつつじの花はひときわ映えて私の目に飛び込んできました。


庭のレンゲツツジ、もう大分散ってしまいました。なかなか満開のときに見ることが出来ません。

今年仕入れた薪材4トン。約1年分の量。これからの処理が大変。

 今回の目的は、薪の原木仕入れでした。冬に薪を使い棚が空くこの時期が私の薪仕入れの時期。今回はある程度の量をまとめて買うことにしていましたので南佐久の森林組合さんにお願いしました。薪には楢の木が一番いいと言うことなので数年前に楢の木四トンをお願いしたこともあり今回も楢の木をとお願いした所、楢の需要が増え、今年は注文を受けた分も不足している有様でとても集まらないとのこと。仕方がないので楢以外の薪用雑木を四トン届けてもらいました。
 薪の届いた翌日、早速玉切りを始めました。原木を約40センチの薪の長さにチェーンソーできる作業です。直径20センチから25センチある木を中腰で玉に切る作業は結構身体に応え、また切った玉を運んで積む作業も結構疲れる力仕事です。そんなこともあって今回は少し試しに切ってみた程度でした。ところがこの日から、私の下半身に異常が出てきたのです。お尻から太股の裏側の筋肉にかけて不快な鈍痛を感じ始めました。腰掛けていたり横になっている時は差ほどでもありませんが立っている時は我慢出来ないほどの痛み、そして時々太股から脹脛の筋肉に掛けて稲妻のような鋭い痛みが走るのです。その内に治まるだろうとシップを貼ったりマッサージ機で揉んだりしていましたが一向に治まる様子がありません。そうこうしている内に一週間が過ぎてしまいました。何か致命的な原因に繋がっていてはと不安になり始め、近くにある整形外科で診察を受けました。
脊椎が浮き出したように写っているレントゲン写真を見ながらドクターは、
「大分骨が変形していますね。当分治療を続けましょう。」
との診断。
日頃目耳にする年相応方程式通りの診断結果でした。
作家曽野綾子さんは、年寄りの境界線を七十五歳に線引きしておられるようで
今私が読んでいる、『晩年の美学を求めて』の中では、

若い時から、私はずいぶん老いを観察していた。
(中略)
一般的に言って大体の人が七十五歳までは心身の健康を保っている。それを過ぎると個人差が開いてくる。

と、
また、『貧困の僻地』の中では、

・・・人間の老年には七十五歳ラインと呼ぶべきものがはっきりとあるような気がしていた。もちろん人間には個体差があるから、七十五歳を過ぎても元気はつらつとしたお年寄もいる。しかし差がよくでるのが七十五歳からなのである。

と、書いておられます。七十五歳と言う年齢は、国の定める後期高齢者への編入年齢でもあり、本格的な年寄りとして計算される年齢なのでしょう。私も呼び年齢で七十五歳。長年使ってきた腰骨が磨り減り変形して来ても仕方のないことかも知れません。でも、その自然の法則を素直に受け入れることが出来ず目下毎日痛み止めの薬を飲みリハビリに通っています。

それでは、また!!!

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