平成18年6月のことでした。定年後妻と二人で始めた古寺巡拝の総仕上げとして善光寺を訪れました。妻は、善光寺を訪れるのは初めてでしたが、私は、もう半世紀ちかくも昔のことになりますが、一度だけ友人達と訪れたことがありました。当時の私は、山歩きが好きでよくあちこちの山を歩き回ったものでした。初めて善光寺を訪れた時も、志賀高原から横手山を越え軽井沢まで歩いた時の出発地でした。
友人達とわいわいがやがやと騒ぎながら歩いた当時が懐かしく思い出され、折角善光寺まで行くのならと昔歩いたコースを辿ってみることにしました。三泊四日の日程で、最後の一泊は、北軽井沢にある弟の山荘に泊まることにしました。と言うのは、以前から何度も弟からこの山荘への誘いを受けていましたが、残念ながら一度もその機会がありませんでした。今回私達の計画を知った弟が当日山荘に来ているから是非と言うことで最後の日はゆっくり弟の山荘に泊めてもらうことにしました。
弟の山荘に初めて泊めてもらった一泊二日、これがそもそも私の「北軽物語」の始まりとなり事態は予想もしていなかった方向へと大きく急展開して行ったのでした。

軽井沢鳥瞰図、この地図を見ているだけでも素晴らしさが分かる気がします。
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私は、子どもの頃から、先祖代々住み続け、生まれてから一度も離れたことのない、尾張平野のど真ん中にあるこの地を何時かは離れ、遠い海の彼方の異国で暮らしてみたいというささやかな夢を持っていました。日々の食にも事欠く貧困の時代に少年期を過ごし、終戦後年々豊になってゆく日本と共に歳を重ね、今や日本は、世界有数の経済大国。日本人の生活文化も大き変化し、世界中の観光地は、日本人で溢れ、定年後を海外で過ごす人も日々増えているとのこと。私の夢を実現するための環境は逐次整ってきたかに思えました。
しかし、長男として家を継ぎ両親と共に暮らしていた私には定年退職後も果たさなければならない努めがあり、私の夢は日の目を見ることなく歳月だけが過ぎて行きました。
世の中、なかなかうまく行かないもの。務めを果たし、ふと吾が身を振り返った時、すでに古希を迎えた私の身体は、あちこちが傷み老体化し始めていました。とりわけ、循環器に疾患のある私には、海外での生活は言うに及ばず海外旅行でさえ不安を感ずるようになり、ずっと持ち続けた夢も消えることはありませんでしたが次第に色褪せて行くのを実感として認識していました。

お化粧直し中のログハウス
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私達が弟の山荘に滞在した二日間、私が目にした軽井沢は、私の記憶にある半世紀前の軽井沢とは大きく変わっていました。海外生活の夢が国内での別荘へとごく自然に切り替わり、ここに別荘を持とうと私が決断するのに然程の時間は必要としませんでした。一生に一度はお参りしないと極楽には行けないと言われた善光寺参りのご利益が早々に現れたのでしょうか、その気になり気に入る別荘が手に入るまでの全てが順調すぎるほど順調に進みました。
現代文明の利器インターネットを駆使して別荘物件の情報を収集したり、弟の現地人脈を通じて情報や資料の提供を受けたりし、奥軽井沢郷にあった居抜の物件に焦点を絞ったのは、弟の山荘を訪れてから僅2週間後のことでした。この別荘は、静かな森に囲まれた約350坪の敷地に築10年のログハウスと築45年の別棟が建てられていました。別棟は、年数こそ経っていましたが十分使用可能なワンルームの建物で、仲介者は、壊してはとのことでしたが、私は、西洋のお伽噺に出てくるような赤い尖り屋根のこの建物が大層気に入り、残すことにした。

お化粧直し中の赤い尖り屋根の離れ
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この小さな小屋、これでトイレ、風呂、炊事場まで付いていました。ロフトがあり寝室として使えるようになっていて、ここだけで生活できるように造られていました。しかし、私達が使うに当たって部屋を広く使った方がと思い炊事設備は撤去しました。
使用するに当たり、ある程度のリホームは必要で、早速リホームに取り掛かってもらいました。中でも屋根と外壁の塗装は一番の大仕事ですが、今年は生憎の雨続き。10日間の予定で取り掛かった仕事が1月以上掛かってしまいました。
時期は正に真夏の避暑シーズン。工事が終るのを待っていては夏が終ってしまいます。一先ず屋内の整理と家財道具を整えると、工事は工事で継続してもらいながら別荘生活を始めました。流石標高1,100メートルにある北軽井沢の気温は、下界に比べて10度は低く、曇った日や木陰に入ると薄ら寒いほどでした。軽井沢駅の近くに比べても標高は200メートルほど高く涼しさは大分違います。

お化粧直し完了
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リホームの完了は、結局9月末まで掛かってしまいましたが、いよいよ別荘の本格利用が始まります。取り合えずストーブの薪の準備や庭の掃除、木々の手入れをしなければいけません。避暑だけではなく四季を楽しめるリゾートとのことですので、車のタイヤもスタッドレスに替えることにしました。
今後、北軽井沢での生活の中で、いろいろな新しい出会いや体験があると思います。そんな出会いや体験をこの「北軽物語」に書き綴って行きたいと思います。