第7話  北軽井沢別荘地マップ



 北軽井沢別荘地マップを作ってみました。主だった別荘地はほぼ入っていると思います。これらの別荘地は、それぞれ管理会社や管理組合などの組織団体によって管理されており別荘を持つ人はその別荘地を管理している管理会社や組織と管理契約を結ぶことが必要になります。私の別荘売買契約書にも管理会社に関する1項が設けられており管理会社と管理契約を締結すべきことが明記されていました。
 当初、私は、「管理契約を結ばなければならない」理由がよく分かりませんでした。普通、戸建の家を買う場合、管理会社と管理契約を結ぶ必要などまずありません。しかし、契約を進める中で分かってきたことは、別荘は、あくまで別荘であるということでした。私たち別荘の所有者は、別荘での生活者ではあっても住人ではなく行政から受けるサービスにも自ずから制約が生まれてきます。これをカバーしているのが管理会社でした。別荘地の開発分譲後、別荘地内での生活に必要なサービスの提供は当然のことであり、主だったものとして、別荘地内の上水道の設営管理給水、道路の整備管理、生活ゴミの回収、別荘地内の防犯などで、一般には市町村等地方自治体の行う行政サービスに類することです。別荘地は、一つの独立した自治体のようなもので住民税の代わりに管理費を払い生活に関するサービスを受けるということになるのでしょうか。
 現在、北軽井沢だけでも沢山の別荘地があり、開発者が別荘地を分譲し、分譲後も管理者として管理しているのが一般的なようですが、開発された経緯や時代、開発者や管理者の考え方、地形や法的規制などによって、別荘地の雰囲気、管理内容や体制に大きな違いがあります。

【北軽井沢の別荘地MAP】

 北軽井沢の別荘地としての歴史は意外と古く、明治15年に北白川能久親王が現在の浅間牧場の地に軍馬育成のための牧場を開設しました。この当時から軍関係者の居住が始まったのでしょうか、明治40年この地に軍人が別荘をもったとの記録が残されています。
 北軽井沢の本格的な別荘地としての開発は、草津軽便鉄道の開業により始まりました。大正12年(1923)に東京大学(当時の帝大)関係者により一匡村(いっきょうむら)が、昭和3年(1928)には、法政大学の関係者により大学村が作られました。当時の北軽井沢には、これらの別荘地と草軽鉄道の北軽井沢駅の周辺にしか人家はなかったということですから、北軽井沢はまさに別荘地として生まれ育ってきた土地といえるかもしれません。
 現在、北軽井沢地区の別荘は9,000戸越え、北軽井沢独自の個性を持ちながらまだまだ増加の一途をたどっています。平成18年度のデータによれば北軽井沢別荘地の属する嬬恋村と長野原町住民の合計総戸数は6,141戸(嬬恋村=3,728戸、長野原町=2,413戸)であり、北軽井沢の別荘地としての発展の様子が窺えるのではないかと思います。
参考値として、新旧軽井沢及び中軽井沢等が含まれる軽井沢町の平成18年1月現在総世帯数は8,084世帯、別荘戸数は14,233戸となっています。


2007/02/05
Revised 2007/03/20

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