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横にいた家内が、 「確か4WAYの裏にあったはずだよ」 と言う。流石、いつも助手席に座り周りの観察に専念しているだけによく知っていました。この場所なら北軽を訪れた時には必ず何度も通る道で私の目にも入っていたはずでした。しかし、4WAYの陰に隠れ鬱蒼と茂った木に囲まれたこの古びた建物は、私の眼には単なる路傍の廃屋にしか映っていなかったのでしょう。「見る」と「見える」ではこれほど違う物なのでしょうか。脳は、容量の関係からか必要な情報のみを収録し、単に見えているだけの情報は、即廃棄、その痕跡も残してくれません。 興味を持つと少しずつではありますがいろんなことが分かってきました。この北軽井沢ミュージックホールは、オーケストラの練習ができる数少ないミュージックホールとして過去多くの音楽家を輩出した伝統ある練習の場であると同時に、古くから桐朋学園が夏の合宿場所として使っていて、小澤征爾さんも桐朋学園大学短期大学(現在の桐朋学園大学音楽部)に在学中ここで練習したという記念碑的な建物でした。 この建物は、桐朋学園の所有であったようで、近年同学園より長野原町に寄付されましたが雨漏りなど傷みも激しく一時解体する計画が持ち上がったこともあったそうです。しかし、現在では、クラリネット奏者大島文子さんたちによる「北軽井沢ミュージックホール改修費用チャリティーコンサート」など改修費用支援の動きもあり、町もその重要性を考え、改修のための予算を付け少しずつ改修が進められているそうです。また、平成19年11月には、有志による「北軽井沢ミュージックホールサポーターズ」というグループが設立され、北軽井沢活性化のための活動を開始したそうです。 このミュージックホールの設立や歴史については、未だ何の資料も入手できず全く闇の中の存在ですが、今後分かった部分から加筆してゆきたいと思います。こうして調べていますと、今まで全く私の意識の外にあって無関心だった北軽井沢ミュージックホールも結構いろいろな催し物が行われていました。天空に輝く星空の下、森に囲まれたミュージックホールでクラシック音楽を楽しむ、この上もない贅沢ではありませんか。北軽ライフの楽しみがまた一つ増えました。聞きに行った折には、また報告いたします。 |