第25話 弟よ



 それは、あまりにも悲しい出来事でした。一番親しく交流していた弟が、三ヶ月の闘病生活の末、去る9月7日黄泉の国へと旅立って行ってしまいました。享年65歳、まだまだこれからと言う時に残念でなりません。一昨年、初めて弟の山荘を訪れた時、二年後にこのような結末が待っていようとは想像することも出来ませんでした。本当に数えるほどの回数でしたが北軽井沢で弟と過ごした日々が走馬灯のように目蓋を過って行きます。

私が、初めて弟の山荘を訪れた日、弟夫婦と私の家内

弟の告別式

山荘を買った時弟が記念に贈ってくれた山鳥の剥製と弟の遺影を山荘のリビングに飾りました

 弟の山荘での初めての滞在は実に印象的でした。夕闇迫る森の中にたたずむ山荘の眺めは正に幻想的でしたし、弟の歓待も私を感動させるものでした。弟は、大の料理自慢、「美味いだろう。」が口癖で、この日もわざわざ家から持って来た材料を使い腕を振るって持成してくれました。以前から別荘を持ちたいと思っていた私、こんなに楽しい交流をしながら老後を過ごせるのならと北軽井沢に別荘を持つことを決断。弟の山荘の近くに私も山荘を手に入れたのは、この日から一月も経っていませんでした。山荘の入手に当たっても弟は骨身を惜しまず飛び回ってくれました。
 近場の温泉へ一緒に出かけたり、食事に呼んだり呼ばれたり。楽しい日々でした。でも、楽しい弟との交流も長くは続きませんでした。昨年の夏頃から、弟の体調は優れず食も進まなくなってきました。北軽井沢へ来る回数も次第に減り、昨年暮に落ち葉掃除に来たのが最後になってしまいました。弟は、3年前に胃癌で胃の摘出手術を受けており、弟の体調不良はその所為だと私は思っていました。ところが、とんでもない落とし穴が待っていました。胃癌手術の予後検診に行った折、検査結果が異常なため緊急に検査入院。入院検査の結果は、実に残酷なもので、末期肝硬変、治る見込みは120%無しとの宣告でした。検査入院から一週間も経たない間に、黄疸、腹水、食道静脈瘤破裂に寄る吐血、脳症による昏睡、と瞬く間に最悪の状態に落ち込んでしまいました。医師の努力により、意識も戻り病状はすこしずつ改善されたように見えましたが病魔には勝てず、ついに帰らぬ人となってしまいました。
 弟は、倒れてからも、もう一度北軽井沢へ来たいとの夢を持っていましたし、私も連れてきてやることの出来る日が来ることを切に願っていました。そのため、肝硬変患者のケアーが出来る近隣の医療機関をいろいろ調べていましたが、その願いを果たす日は遂に来ませんんでした。私にとって、弟の居ない北軽井沢、これほど寂しいことはありません。何時も見える居間に弟の遺影とこの山荘を買った時弟が記念にくれた山鳥の剥製を飾りました。目を閉じれば、その辺からおいと声を掛けてきそうな気がします。


2008/09/25