犬山ソフトボール協会  会長 橋本辰彦
協会HPの開設について

この度、協会創立30周年記念事業の一環として協会HPを開設致しました。
これを機会に協会の活動をソフトボール関係者に迅速に発信していきたいと考えております。
是非、閲覧して活用下さるようお願い致します。

 
犬山ソフトボール協会のあゆみ

 昭和50年春、ソフトボール好きな仲間が集まり、スポーツに関して議論を交わす中で、その熱意が地域、団体を動かし「健全な精神は健全な肉体から」を合言葉に結成へのスタートが始まる。<協会設立準備会;本多、小島、伊藤氏他>
 結成時会員800名。以後、各種大会の開催、後援、お手伝いの完遂。対外的には積極的に大会参加を計り、輝かしい記録を残す。
 協会発足と同時に犬山市体育協会に加盟する。昭和56年にはソフトボール競技を正しく理解、普及させるため審判委員会を発足させる。以後、協会設立5周年行事、昭和62年に第33回全日本一般男子ソフトボール大会を運営、平成3年には協会設立15周年記念式典が行われ、記念誌を発行した。平成6年には第49回国民体育大会(愛知県わかしゃち国体)においてソフトボール成年男子の競技運営、平成18年には全国中学校総合体育大会ソフトボール競技男女大会など数々の大会開催に協力した実績を持つ。その後平成17年に記録委員会も発足し組織的な充実を図ってきた。
 昭和55年106チーム、平成3年60チーム、平成18年34チームと減少傾向にあるが、若年者から高齢者まで老若男女、誰もが楽しめる生涯スポーツとして、会員相互の親睦と技術のさらなる向上を目指し今日にいたる。   ・・・・・30周年記念誌より・・・・・

 
創立30周年を祝して

NPO犬山体育協会 会長 加藤武司

 犬山ソフトボール協会30周年を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
 貴協会は昭和53年に会員800名で発足されました。本多克郎会長を筆頭に800名からの大きな情熱の輪が犬山市内に広がり、今日まで着実な歩みを続けられてきました。
 ソフトボールの普及発展のみならず、私達の体育協会の活動にも多大なる協力を頂いています。21競技団体の内でも大きな協会でありますから、いつも最初にお願いを申し上げてしまいます。心より感謝を致しております。
ソフトボール協会には、現在34チームが加入されていますが、とてもすがすがしい会員の方ばかりで喜んでいます。気持ちのいい人たちの集まりは、やはり永続きしますよね。
 これからも会長をはじめ役員の方々も一層元気で、少年少女のソフトボールの指導育成や、生涯スポーツとして成年、壮年、熟年のためのソフトボール普及をよろしくお願いします。
 「健全な精神は健全な肉体から」を合言葉に、みなさんがみんなで30周年の歴史を作ってきたのですから、これから先も末永く協会が発展されることを確信しております。
 おわりに、30周年の祝いの言葉と犬山市民の健康維持のためにご協力を申し上げ、お祝いのことばといたします。   ・・・・・30周年記念誌より・・・・・

 
創立30周年を祝う

愛知県ソフトボール協会副会長 尾張支部長
全尾張ソフトボール連絡協議会      会長  岩田 満

 犬山ソフトボール協会が創立30周年を迎えられました。まことにおめでとうございます。
 1975年春、協会が創立され、以来30年を迎えられたことは、まさに貴協会が文化、歴史、伝統を持ち、さらに挟土仲間を愛するすばらしい協会に成長された証であります。
 多くの先人たちの業績がありますが、なかでも故本多逸郎さんの存在を忘れられません。ご承知のように本多さんは中日ドラゴンズで「パラさん」の愛称で親しまれた名プレーヤーであり、スーパースターでした。そんな彼が故郷を愛しソフトボールを理解され、このスポーツを犬山の地に定着するため涙ぐましい努力をされました。おかげでこの地にソフトボールは根付き、以来会長を始め多くの皆さんの努力、ご尽力でますます盛大になり本年を迎えられました。
 現在では犬山ソフトボール協会は愛知県ソフトボール協会の中でもきわめて重要な位置にあり、過去のすばらしい実績には愛知県協会も今後大いに期待すること大であります。
 貴協会は平成6年の第49回国民体育大会ソフトボール競技一般男子の大会を始め、全日本一般男子ソフトボール大会、日本ソフトボールリーグ男子大会、全国中学校ソフトボール大会、国民体育大会東海ブロック大会、県大会、尾張大会などなどの大会を開催され、すばらしい実績を残されました。また犬山市のスポーツ団体の中心となり市民の体位向上と地域のコミュニケーションつくりに多大な実績をあげられました。
 今後は犬山市の市民スポーツの向上に貢献され、さらに発展されることをご祈念申し上げお祝いの挨拶とします。    ・・・・・30周年記念誌より・・・・・