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四 国 八 十 八 ヶ 所


弘 法 大 師 (真 魚・空 海)

 空海は774年(宝亀5年)6月15日に善通寺で、父佐伯真田公(さえきのあたいたぎみ)(地方長官)・ 母阿古屋(阿刀家出身)の間に誕生され、名を佐伯真魚(まお)とされました。 叔父は阿刀大足(あとのおおたる)という大学者で、 この叔父は、空海が幼少の時の学問の師匠でありました。
 15歳の時讃岐を出て、奈良(平城京)へ行きました。ここで大学に入りましたが、儒教を教えるばかりでやめました。
 ある出家者に会い虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじのほう)を教わります。虚空蔵求聞持法とは虚空蔵菩薩の真言を 百万遍唱えれば修行になるとのことです。
 19歳の時、室戸岬の洞窟(写真有:24番の前を参考に)で密教を100万編唱えられました。
 804年(延暦23年)20年間の契約で唐に行くことに成りました。難波港(現大阪港)から4隻の遣唐使船で行き、2隻目には最澄(比叡山)も一緒で 4隻目に乗りました。しかし、途中海が荒れまして遭難しました。着きましたところで、唐の官長に自分たちの使節団のことを書き表し 上陸許可を願ったのですがなかなか聞き入れてくれなかったようです。そこで、大師に書をしたためてもらいましたら、 すぐに許可が下りたそうです。
 福建省赤岸村の唐代青龍寺で恵果(けいか)から密教を教えてもらいました。 恵果曰く、なんじ来るのを待っておったとか。恵果は、空海に伝授した後2・3ヶ月で亡くなられた。 遣唐使として20年間の予定であったが、806年(大同元年)2年間で帰ってこられた。
 816年(弘仁7年)高野山に入られる。
 835年(承和2年)3月21日に入滅され、62歳の生涯を閉じられました。


巡 礼 の 旅

   平  成  14  年  (8月10日〜14日)

 昨年は急いで周りましたが、2年目は金毘羅さんもお参りをしながらゆっくりと行きました。 (金毘羅さんの階段で上がりばかりと思っている方、1段だけ下りがありますよ。)

第一日目--- 1番から12番まで (徳島県)
第二日目---13番から23番まで (徳島県)
第三日目---24番から29番までと(高知県の一部分)
        66番から67番まで (香川県)
第四日目---68番から79番まで (香川県)
第五日目---80番から88番まで (香川県)

 今回は久留米の方・高知の方・徳島の方・愛知の方・三重の方・岐阜の方・東京の方にお会いしました。
−−−−− 「ごりやく」  「ごりやく」

 歩き遍路の方は今年は去年より少なく感じました。


   平  成  13  年

 本四国を夫婦で、平成13年7月15日に阪急交通社のバスで名古屋駅新幹線ホーム前を午前7時に出発し、 5時間かけて第1番札所霊山寺へ、ここで納経張と地図を購入・昼食を食べ、5番までお参りしました。途中、蓮の花がきれいに咲いていました。またお寺は,あまり 離れていないせいか時間もかかりませんでした。帰りは、午後8時ごろ名古屋駅前に着きました。

 同年8月9日午後11時45分ごろ車で家を出発し、東名春日井インターから高速で西宮・明石海峡大橋を走り、途中 淡路SAで3時間ぐらい休憩し、第6番札所に向い ました。お盆休みの直前でしたのと、夜走ったので道路はすいていました。6番に着いたのが午前6時半ごろでした。

第一日目 第6番札所安楽寺から第20番鶴林寺まで
第二日目 第21番太龍寺から第28番大日寺まで
第三日目 第29番国分寺から第37番岩本寺まで
第四日目 第38番青龍寺から43番・第45番岩屋寺まで
第五日目 第44番大宝寺・第46番から第59番・第61番香園寺まで
第六日目 第60番横峰寺・第62番から第74番甲山寺まで
第七日目 第75番善通寺(弘法大師誕生の地)から第88番大窪寺まで

満願(1回目)、さらに同年9月15日に高野山(2回目) にお礼のお参りをさせていただきました。

注意 1.納経帳の朱印時間ですが午前7時から午後5時までです。
    2.朱印代は 1ヶ寺 一人 三百円でした。
    3.駐車料金が必要なところもあります。
    4.ロープウェイ・ケーブルカーを利用するところがあります。