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第百番

羅漢寺



巡礼日 平成二十二年三月二十二日
山号・寺名 耆闍崛山羅漢寺(ぎしゃくつせんらかんじ)
宗派 曹洞宗
所在地 大分県中津市本耶馬渓町跡田1501
 大化元年(645)インドから渡来した法道仙人の開創したといわれている。後に中国の逆流建順が昭覚との協力で五百羅漢像や千体地蔵を安置。耶馬溪の崖っぷちに埋め込むようにして建てられている。



参道    
ここから本堂へと急な石段がつづく。この石段を少し登ったところから本堂に近くまでリフトが通じているので坂道が苦手な人はそちらで行けるようになっている。
曼陀羅石    
仁王門手前の広場中央にある四角く囲ったように敷かれた石。ここから山上は聖域となり、殿様もここでは籠をおりて寺に向かったという。青の洞門からこの場所へという旧参道が今も残っている。
老の坂(おいのさか)     
秩父宮殿下が参拝のおり通った道。一見通れそうもなく危険。通常は通らない。     
仁王門     
室町時代建立。「羅漢護国禅寺」の扁額は足利義満より送られた。
吽形仁王像(左側)     
石造りでどことなくユーモラス。形はだいぶ違うが沖縄のシーサーを思い出した。
阿形仁王像(右側)     
千体地蔵     
室町時代の僧が安置したという、納められている石仏の数は千百体以上。
山門     
室町時代、足利義満により建立。
五百羅漢(無漏窟)     
羅漢像     
無漏窟にはこれらが500体以上。
本堂     
元の本堂は昭和十八年焼失、現在のは昭和四十四年再建されたもの
鐘楼     
縁結び地蔵     
羅漢寺案内図     
拡大図



御朱印



あとがき
 耶馬渓にある羅漢寺はまさに岩窟の寺だった。お堂、山門、無漏窟は岩に食い込むように建てられている。禅海和上が一人で掘り始めた青の洞門は羅漢寺参拝者のためのだったと初めて知った。それまでの参道は断崖絶壁を鎖伝いに通る命がけの難所だったという。百寺巡礼本家の五木さんはここが100番目、平成十七年三月二日に満願となった、自分はあと17ヶ所、少し先が見えてきたような。(岩窟の古刹・羅漢寺)


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