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第五十番

善光寺



巡礼日 平成二十一年六月六日
山号・寺名 定額山(じょうがくざん)善光寺
宗派 無宗派
所在地 長野市元善町491
 欽明天皇十三年(552)インドから百済そして日本に伝えられたとされる一光三尊阿弥陀如来を本尊とする。皇極天皇元年(672)創建。天台宗大勧進と浄土宗大本願で運営されているが、善光寺自体は無宗派という大変珍しい寺である。遠くとも一度は詣れ善光寺といわれている。



仁王門    
大正七年(1918)再建。仁王像は高村光雲と米原雲海の合作。
三門    
寛延三年(1750)竣工。最近の修復は平成14年10月着手平成19年12月竣工。現在内部の特別拝観をしており、三門楼上から門前の様子を見ることが出来ました。
三門扁額     
通称「鳩字の額」といわれ3文字の中に鳩が5羽隠れている。また善の字が牛の顔に見えて、牛に引かれて善光寺参りの信仰を表しているとか。
仲見世通り     
仁王門から三門までの間。浅草に負けないぐらい賑わっていた。
延命地蔵尊(旧如来堂跡)     
仲見世通り中ほど西側にあり創建から元禄13年(1700)までこの場所に如来堂(本堂)があった。
釈迦堂     
仲見世通り中ほど東側にあり鎌倉時代作の釈迦涅槃像(重文)を安置。
大本願     
仁王門前東側にある浄土宗大本願(尼寺)。代々の住職(上人)は皇室関係の出身で大勧進貫主とともに善光寺住職を兼ねる。
大勧進     
三門西側にある天台宗大勧進。貫主は比叡山延暦寺より推挙され大本願上人とともに善光寺住職を兼ねる。
本堂(国宝)     
現在のものは宝永四年(1707)再建。間口24メートル、奥行54メートルの撞木造りという珍しい造り。内部は外陣、内陣、内々陣に別れていて、仏像は他では見られない配置になってます。内陣券を購入すると、内陣への入場と瑠璃壇下の真っ暗闇(本当に真っ暗です)の中を行くお戒壇めぐりが出来るようになってました。本堂前に立っているのは数えで7年毎に行われる御開帳の回向柱。今回は5月31日までなので、前立本尊と繋がる綱はなく柱のみ。今月下旬に「お納め式」の後安置所へ移される。
本堂西面     
階段の右側が外陣、左側が内陣、内々陣。
経蔵     
宝暦九年(1759)建立。重文。
鐘楼     
嘉永六年(1853)再建。「南無阿弥陀仏」の六字名号にちなんで鐘楼としては珍しく六本柱となっている。平成十年二月七日の冬季オリンピックでは、この鐘の音が開会合図として鳴り響いた。
善光寺資料館(日本忠霊殿)     
戊辰戦争からの英霊を祀る。1階が善光寺資料館になっている。元三門上にあった江戸時代庶民が奉納した100羅漢が圧巻だった。
乳牛像     
本堂西北のバラ園にこんなものが。驚いたなー、モー。
雲上殿     
境内から北へ行った高台にある納骨堂。
雲上殿からの眺め     
手前に善光寺が見え、遠くにアルプスが望める。
北向観音(北向山常楽寺)     
善光寺から南へ約36キロの上田市別所温泉にある。名前の通り南向きの善光寺に相対し、古来両方を参詣しなければ、片詣りになるといわれているところなので行ってきました。芭蕉句碑や北原白秋歌碑が境内にある。
北向観音手水     
温泉地らしく出てくるのは水ではなく温泉でした。



御朱印



あとがき
 善光寺は2度目の参拝となった。前月で今回のお開帳が終わったとは思えないほど人手が多く賑わっていた。「遠くとも一度は詣いれ善光寺、助け賜うぞ弥陀の誓願」とあるように、おそらく全国から参拝者が来ているに違いない。この人波の中にいると、巡礼より観光気分のほうが強くなってきた。
(善光寺ホームページ)


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