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第七十七番
瑠璃光寺
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巡礼日 | 平成二十二年九月四日 |
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山号・寺名 | 保寧山瑠璃光寺 | |
宗派 | 曹洞宗 | |
所在地 | 山口市香山町7-1 | |
応永二年(2395)、25代大内義弘がこの地に建てた香積寺(こうしゃくじ)があり、義弘戦死後、弟の盛見(もりはる)が弔いのため立てたのが現在の五重塔である。大内氏が滅びた後毛利氏の領となったが、関ヶ原合戦で破れた毛利氏が萩へ移った際に、香積寺も萩へ移り五重塔も解体されそうになったが、町民の嘆願書を奉行所が了承し塔はこの地に残ったという。その後元禄三年(1690)仁保にあった瑠璃光寺が移ってきた。 |
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参道入り口
ここを入って右手の池の向こうに塔が見えてくる。 |
五重塔
法隆寺、醍醐寺と並び日本三名塔のひとつ。嘉吉二年(1442)創建。高さ31.2メートル。法隆寺の塔は力強かったが、この塔はとにかく優美。幾多の台風にも耐えて560年以上も立ち続けている事に驚く。国宝。 |
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サルスベリと塔
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山門
寺が後からできたからか、塔をみてから山門をくぐることになる。 |
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本堂
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司馬遼太郎文学碑
代表作「街道をゆく」、長州路の一節。 「(長州は、いい塔をもっている) と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。」 |
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若山牧水歌碑
明治40年牧水が21才のとき訪れて詠んだ歌。 「はつ夏の 山のなかなるふる寺の 古塔のもとに立てる旅人」 |
毛利家墓所
明治維新以降の13代敬親、14代元徳、15代元昭の墓所。 |
御朱印 | |
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あとがき |
瑠璃光寺はとにかく五重塔につきる。遠い山口まで来た甲斐があった、と思う。この寺が90寺目となったあと10寺、もう少しだ頑張ろう。 |
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