2009年12月例会 緒川駅~緒川城跡~刈谷城跡~境川~沓掛城跡~平手 22km | |||
一条会員からの報告 初雪の舞った朝は、厳しい寒さとなった。武豊線の車窓からは薄ら氷の張った田圃が見られたが、緒川駅を出発する頃になると弱い冬の日差しが差した。 家康公の生母於大の方の生誕地である緒川城跡(於大公園)を冬晴れの中散策してから境川の近くの刈谷城跡公園に向かった。 公園は、十数人の中学生の姿があるだけで閑散としていた。境大橋から境川の左岸を北上する。 豊明市の沓掛城跡に着く頃にはこの季節の冷たい風が吹いてきた。町の外れの公園は、静まり返っている。一説によると今川義元が桶狭間に出陣する前夜ここに泊まったという。どんな夢を見たのだろうか。 四時も近くなったので、二村山には入らず平手からバスを利用した。 参加者は六人。辻・岡・武藤・中嶋・三宅・一条 。●忘年会参加者:永田・池田・井上・柄崎・小川(順不同・敬称略) |
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2009年11月例会 多賀大社~西明寺~金剛輪寺~百済寺 22km | |||
一条会員からの報告 湖の国近江は、やはり雪国だ。つい先ほどまで晴れ間のあった空が早い流れの雲に覆われると時雨がさっと降りかかる。そんな空の下での一日となる。 秋気の中の多賀大社は少し遅れの七五三のおまいりの人も多い。ここから湖東の水田地帯や里山の道を歩き湖東三山を訪ねる。 西明寺の国宝三重の塔は鮮やかに染まり映える紅葉の向こうにあった。 金剛輪寺の長い石段の両側には紅色の風車を供えられた千体地蔵が木陰の中に置かれている。 また、日暮も近い百済寺の回遊庭園にしばし足を止める。春に来た時とは異なり秋には秋の趣があるものだ。 湖東三山はどこも『もみじがり』を楽しむ老若男女が境内に遅くまで続いていた。 (追伸)辻さんも元気に復帰して完歩しました。 参加者(順不同・敬称略)十一名。岡・池田・平子・武藤・加藤・三宅・岡部・辻・井上・小菅・一条 |
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2009年10月例会 中津川駅~川上~下広岡~岩村城跡~岩村駅 25km | |||
一条会員からの報告 中津川の町は、秋色を帯びて空気は冷たい。清流の中津川に沿う国道を歩くこと約2時間で川上に着き、昼食をとる。 ここから根の上高原への入口のある峠まで、きついきつい坂道が続き後先となりみんな頑張った。 奥美濃の山山の紅葉の色付きの具合は、私には満足のいくものではなかった。曇り空で日差しがなく映えないのか又、来る節が早かったのか。 阿木川の辺りは農作業の終わりを告げるようにそこここで、草などを燃やす煙が流れていた。 独りで城山の岩村城跡を訪ねる。八百万の急な石段に苦闘して三時半に本丸跡に着いた。周囲は、すでに晩秋の暮色が迫り眺望も定かでなかった。女城主の悲劇を偲んで城郭を巡る。 歴史を感じる岩村の町並みを歩くと心は自然に和らぎ、駅に向かった。 参加者:村田・岡・杉本・小川・三宅・岡部・加藤(功)・井上・小菅・一条(順不同・敬称略) |
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2009年 9月例会 関ヶ原駅~牧田川~多良峡~中里ダム~上相場~阿下喜駅 30km | |||
一条会員からの報告 暑さ寒さも彼岸まで、と言うが26日は残暑が厳しかった。ただ、牧田川の堤や畦道に咲く彼岸花に慰められた。 その昔、関ヶ原から島津軍の退路となった街道から離れて牧田川の左岸を歩いたので随分と遠回りとなり多良峠の入口の神社には11時30分頃となる。 幹の周りが5メートル余りもありそうなご神木の杉の三木を仰ぎ涼風に吹かれて昼食となる。多良峡に沿う旧街道を上る。眼下に見える渓谷は水音も聞こえてこない程の下を山間をうねって流れている。 下多良で再度旧道に入る。宮、三つ星や祢宜の集落を歩くうちに昭和56年11月にこのコースを永田・酒井の両氏と同行したときの記憶が甦った。腰を下ろした鎮守の社の森や飲料水を買った店屋がそのままの姿がそこにあったのだ。 3時頃には右側の木々の間から中里ダムの湖面がちらちらと見えた。1時間に1回の間隔で休憩をとったので、ペースが予想以上に遅れてしまい、上相場ではすでに4時となった。バス停で時刻表を見ると7分後に阿下喜行きが来るという「渡りに船」とばかりに一同嬉嬉として乗客となる。4時30分に駅に到着した。 参加者:村田・岡・池田・杉本・小川・武藤・加藤(功)・中嶋・三宅・一条(順不同・敬称略) |
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2009年 8月例会 野田城駅~豊川~牟呂用水~豊橋駅 21km | |||
一条会員からの報告 野田城駅を10時に出発して豊川に架かる海倉橋を渡る。左岸にある取水口のすぐ下流から用水路の側道を歩く。 用水は田園地帯のど真ん中を流れている。両側には、収穫を待つばかりに実って穂をたれている早稲の田もあれば、出穂の兆しもまだみれない青田では、夏風に吹かれてゆれていた。 数カ所の柿畑の柿の実はまだ小さく青かった。栗の実はまるまると大きくなっている。秋も近づいているのだ。 さまざまの景色を眺めながらも真夏の日差しを遮るものとてない炎天下の中を豊橋に向けて歩く。暑さに耐えながらふらふらと駅に到着した。4時頃だった。 参加者8名(順不同・敬称略):葛原・村田・岡・武藤・柄崎・杉本・池田・一条 |
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2009年 7月例会 木曽福島駅~王滝川~橋渡~才児~上松駅 22km | |||
一条会員からの報告 木曽谷の山々は、雲の中だが夜来の雨は止んでいた。水嵩を増した木曽川からの川風はいくぶん冷たい。 王滝川のダム湖には川霧が立っている。野猿が私らの前を奇声を上げて走りぬけた。 橋渡りから左への道を上る。両側から樹木が頭上を覆い、足下の渓流は音を響かせ、路上にはまだ青い「クルミ」の実がころがっている。東大天文台観測所に近い峠に12時過ぎに着いた。 才児から近道を選んだが、才児峠付近で道を間違えたらしく民家に行き当たりひき返す。結局遠回りとなってしまった。 この杉木立の中の小径は、弱い木漏れ日が差し、人影もなく、車も通らない。ただ、谷川の流れは、ヒグラシの声をかき消すほどだった。 焼笹から急流の小川に沿って下り、木曽の豊かな自然を五感に覚えた一日だった。 参加者(順不同・敬称略):葛原・岡・武藤・加藤功・金田・一条 |
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2009年 6月例会 飛騨金山駅~国道42号(飛騨街道)沿い~中山七里~焼石~下呂駅 25km | |||
一条会員からの報告 夏が来て奥飛騨の山々はいよいよ緑を濃くしている。 国道に沿って流れる益田川は灰色の奇岩を抱き真っ白な泡を立てる奔流だった。また、ダムは満々と水を堪え、周囲の山を水面に映して一層色を深くしていた。 中山七里の景観を存分に楽しめる飛騨街道だ。所々で旧街道に入ると案内板などから昔の名残を垣間見ることが出来た。 焼石駅近くの神社の木陰で雑談をしつつ昼食をとった。 緩い上りの国道を終日歩き午後3時30分下呂駅に着いた。暑かった。しかし同行者と8時間以上もの共有の時間を持てたのは、幸せなことだ。 参加者:10名 村田・葛原・岡・武藤・加藤・三宅・岡部・中嶋・池田・一条(順不同敬称略) |
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2009年 5月例会 近江八幡駅~武佐~観音正寺~北腰越~能登川駅 20km | |||
一条会員からの報告 新緑に映える四国遍路道を30余日歩き通し五月中旬に帰名したが、三・四日後に体の芯まで疲れ切ったことを感受させられた。 こんな体調で健歩会に参加するためには一抹の不安があった。今までになかったことだ。 こんな私に合わせたのか湖国近江八幡の空は、梅雨入りしたかのようだ。9時50分出発する。 中山道武佐の宿場には、あちこちに陣屋・本陣などの歴史の跡が残っていた。 西国三十二番観音正寺は山頂近くにある。登り口の土産物店で女主人と世間話をして一息入れる。 緑の樹木に覆われた急な傾斜の石段を一歩一歩踏みしめて登ること約40分、正午ごろに着く。 境内から湖東の田園地帯を一望しつつ昼食にする。 帰路は、反対側の桑実寺に下りる。考古博物館のある美しい公園を通り抜け、北腰越に出た。 右は里山も近く左の東海道線に沿う朝鮮人街道を北へ歩き、午後3時に能登川駅に到着した。 参加者8人:葛原・岡・武藤・加藤・三宅・岡部・中嶋・一条(順不同敬称略) |
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2009年 3月例会 本巣駅~石谷~三田洞~ふれあいの森~松尾池~長良川~岐阜駅 24km | |||
一条会員からの報告 午前9時40分、本巣駅を出発する。 季節が、2月下旬に逆戻りしたかのような冷たい風が終日吹いた。だが、道すがら眼にする桜は、もう五分咲きの風情だった。西濃は、花見どきを向かえているのだ。 午後1時30分頃に三田洞弘法に手を合わせ東海自然歩道にかかると急峻な上り坂が続き、息も切れぎれとなり、、山頂(370m)で休息をする。 少し下った展望台で後続を待った。広場から見る北アルプスの乗鞍や御岳の雪化粧したままの頂きあたりは、雲と見誤るほどのかすかな姿だった。 午後3時20分頃に山あいの松尾池に着く。鯉が泳ぎ、水面には合掌造りの建物と満開も近い桜が映っている。周囲は、静がだった。 途中からバスを利用して、午後5時前に岐阜駅に到着した。 参加者:14名 酒井、辻、村田、岡、葛原夫妻、池田、小川、加藤(功)、武藤、三宅、岡部、中嶋、一条(順不同敬称略) |
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2009年 2月例会 弥富~鍋田干拓~富吉 24km | |||
一条会員からの報告 快晴で暖かく穏やかな日和に恵まれた会だった。 木曽岬村の長い桜並木を南下する。23号線をす ぎて弥富町の中原に出る。旧海岸堤防道路から見え る鍋田干拓地は、50年前の伊勢湾台風で甚大な被 害を受けた地だが、今日は和かな早春の日差しの中 に広々としていた。南側は、その後新たに干拓され 、そこに工場が建ち、湾岸道路が東西に延びている 。 野鳥公園に12時30分に着き、昼の休息をとる。 季節が合わなかったのか野鳥の飛び遊ぶ姿は見られ ない。ただ、鵜の巣だけが木々の上方にあった。 ここから飛島・弥富地内の道辺の金魚の養殖地をの ぞき、のんびり二人、三人又四人と分かれ分かれに なって富吉に向かった。筏川・実川・善太川等の川 筋を越して、海部は水郷だなあと実感した。しかし 又「何もない春の干拓」だったとの思いが残ったの は私ひとりだったか。 <参加者>13名 永田・酒井・辻・葛原・村田・岡・杉本・池田・加 藤(功)・武藤・中嶋・三宅・一条(順不同敬称略) |
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2009年 1月例会 多気~伊勢本街道~田丸城址~内宮~外宮 22km | |||
一条会員からの報告 小雪の舞う多気駅を9時30分に出発する。ほどなく旧道の伊勢本街道にはいる。周囲は冬枯れの田園風景が広がっていた。雑木林の細い径を辿る。まさに、自然歩道と呼ぶにぴったりだ。 11時前に田丸城址につき、古城を訪ねた。天守閣址の石垣に登り眼下に展開する伊勢平野の眺めを楽しむ。地元の人の話だと、気象条件では渥美半島の向こう遙か彼方に富士山も見られるという。 玉丸駅舎で昼飯とする。2時頃に外宮に参拝してから古市町の築百年を経ている家屋の前を通って内宮に向かった。 「おかけ横丁」はまだ正月の余情に満ちていた。そんな雑踏の中をすぎて、3時頃に内宮におまいりする。 風は終始強く冷たかった。宇治山田駅近くで、冷え切った体を二時間ほど温めて、身も心も癒された。 参加者は、16名 永田・酒井・福田・辻・葛原夫妻・村田・岡・柄崎・池田・辻永・梅村・三宅・岡部・小川・一条(順不同敬称略) |
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2008年12月例会 上社・植田川~天白川~野並~緑高校前 16km | |||
一条会員からの報告 今年最後の健歩会は、好天候に恵まれた。 師走にはめずらしい、和かな日差しの中を高針川から天白川緑地を歩く。河川敷のベンチで鳩がパンくずを啄むを眺めて昼飯とする。 「今年の健歩会は雨に降られた日が多かった」とか「一月の伊勢神宮でのハプニング」などを思い起こしつつ午後二時、緑高校バス停に着いた。 早い時刻であったが、居酒屋「トミ」で、二年続きの忘年会を催し、一年間の健闘を祝って乾杯をする。 新しい年も楽しい健歩会にしましょう。 参加者:永田・酒井・村田・辻・葛原・岡・武藤・加藤(功)・中嶋・小川・三宅・池田・一条(順不同・敬称略) 葛原会員からの報告 葛原です。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 遅くなりましたが昨年末歩いた写真と歩行記録を添付します。予定では野並でしたが、早く着きすぎたので歩行距離を延ばして、昨年と同じ鳴海の会場で行いました。13名の参加でした。 |
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2008年11月例会 京都駅~鴨川~下鴨神社~鞍馬街道~貴船神社~鞍馬寺 22km | |||
一条会員からの報告 京都駅を朝9時40分出発し、まず七条大橋に向かった。 鴨川左岸の歩道の両側には、そめいよしの、しだれざくら、いろはもみじ、銀杏などの木々が植えられている。この並木も紅葉し散り始めていた。左下の清流に水鳥が浮かび、岸辺を散策する人たちの姿もあった。 下鴨神社に参拝してから賀茂川に沿って進み、上賀茂神社に12時過ぎに着く。境内の紅葉したいろは紅葉を眺めて昼食をとる。 鞍馬街道の緩やかな山路の途中では、何回も歩みを止めて紅葉を仰ぐ。 貴船口からは行き交う人々が多くなり、人混みの中で社に参拝する。ここから鞍馬寺への山越えの湿って険しい道は苦闘させられた。途中には、奥の院の祠などあった。本殿に3時30分ぐらいに着く。 岐路の階段は、るんるん気分で降りる。遠近の今が盛りの紅葉に入り日が差している、風情に気分が高揚した。 洛北の貴船・鞍馬は、紅葉のお祭りで大賑わいだった。 <参加者>池田・柄崎・村田・岡・武藤・岡部・三宅・中嶋・小川・一条 10名(順不同・敬称略) |
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2008年10月例会 江長岡駅~姉川~平野川~須賀谷温泉・・・河毛駅 20km | |||
一条会員からの報告 薄日が時折もれるものの終日くもり空だった。長岡駅前の商店街をすぎて田圃と畑の中の道を北へ歩く。 姉川に突き当たり、北側の相撲庭に渡る。狭い道は、村々を結び曲がりくねっている。この辺りは、姉川の古戦場だったと言う。 佐野にある市の公民館のベンチを借り、昼食をとる。(11:50~12:10)前庭には、古びた火の見櫓があり、田舎の原風景を眺める。 道端の家々の回りには、赤や黄色の菊が咲いていた。コスモスなど色とりどりの秋の草花に見とれた。畑には、熟れたアケビもあっり、葉を落とした柿の木には、たわわに実がなっていて枝が折れんばかりに垂れている。草野川の土手の桜並木も紅葉して散るのを待つばかりの様子だ。秋気を存分に吸うことができた。 谷坂トンネルの先の高畑にある波久奴神社の境内に樹齢は有に千年は超すだろうと推量されるケヤキの巨木が五本以上も見られた。歩みを止めて感嘆する。雪国の北近江の地でよく風雪に耐えたものだ。 今日、唯一の峠道を越して午後3時頃に須賀谷温泉に着く。ここは、小谷山の懐にあり、小谷の方や戦国武将も湯治したと伝えられている。私等も湯に入り手足を伸ばす。 参加者:葛原夫妻・岡・武藤・岡部・一条 6名(順不同・敬称略) 葛原会員からの報告 こんにちは、葛原です。10月25日歩いて来ました。 参加者は全部で6人でした。歩行図と写真が出来ましたので送ります。 須賀谷温泉は、又行きたくなるような感じのよい温泉でした。 |
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2008年9月例会 定光寺駅~東海自然歩道~上半田川~岩屋堂 21km | |||
一条会員からの報告 ここ数回は、雨の中の健歩会だったが、今日27日は快晴に恵まれ気分の好い一日をすごした。 午後八時四五分ごろ定光寺の城嶺橋から東海自然歩道にはいる。自然歩道はどのコースもアップダウンの繰り返しの続きだけど、今日も例外ではなかった。 午前11時半頃国道248号の上を横断する橋の手前で昼飯とする。近くのグランドから野球の練習する音が聞こえた。また、休んでいると9月の風としては涼しいほどだ。上半田川の手前で用事のため中止する永田さんと別れた。 白石から岩巣山(標高500m)への登山道は厳しく息を切らして上る。だが山頂近くの展望台から瀬戸・名古屋方面の遠望は疲れを癒してくれた。ここからの下りは、岩から岩への急な伝道で一歩一歩気配りを注いだ。気疲れとガクガクになった足で、午後3時岩屋堂に下りたった。 予定を変更しここから瀬戸駅に行くことにし、4時30分全員無事に到着できた。 20数年ぶりに杉本芳夫さんが参加して話題を提供し、中嶋さんの初参加もあって総勢一五名となる久しぶりのにぎやかな9月の例会となった。 参加者、永田・辻・平子・岡・葛原夫妻・加藤・武藤・三宅・中嶋・杉本・小川・池田・村田・一条(敬称略・順不同) |
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2008年8月例会 金谷駅~大井川左岸を上流へ~川根温泉~笹間渡駅 23km | |||
一条会員からの報告 30日(土)朝から雨は止んだかと思うと急に激しく降り出した。その繰り返しの一日だった。29日に各地に大きな被害をもたらした記録的な豪雨の余波だろうか。 九時に金谷駅前を出発し、大井川大橋を渡り左岸の河川敷を上る。河口の方から夕立の白いカーテンが吾々を追いかけてきて、包み込んだ。11時30分、神座の屋根のあまバス停で路面に勢いよくはねる雨足を見ながら昼飯とする。滑って不安定な新鍋島トンネルを抜け再び大井川沿いに出る。終点まで交通量は多かった。 じっとりと絞れる程にも濡れて重くなった着衣で2時30分、川根温泉に着いた。大勢の客に混じり野天風呂などに入る。悪天候に苦闘した疲れもとれたし、その後に飲んだビールは美味しかった。 笹間渡駅発四時一分のSLに乗車する。車窓から雨に煙る大井川の流れを眺めつつ、SLの観光用に高らかに何度も鳴らす汽笛を聞くと旅の気分に誘われた。 【参加者】辻・岡・一条(敬称略) |
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2008年7月例会 名張駅~青蓮寺ダム~伊勢本街道「御杖」~伊勢奥津駅 27km | |||
一条会員からの報告 26日の名古屋の気温は37.7度で、この夏最高だった。 午前9時、名張も夏の強烈な日差しとむしむしする照り返しで歩くのには最悪の条件だ。猛暑の中、岡、三宅両氏と共にまず青蓮寺ダムに向けて出発した。10時頃につき今日の第一回目の水分補給とする。ダムは満杯だが水面は黄色だ。小雨と連日の高温が原因だろう。 上り坂が続く。流れ落ちる汗を拭き希生に着く。時々涼しい風が吹く神社の境内で昼飯とする。(11時30分~12時) 杉の木立の間の小径を下り、名張川に沿った国道に出る。清流の瀬の中には、鮎釣りをしている人たちの涼し気な姿があった。 午後は、自販機の前、太郎生小学校の木陰、倶留尊山の登山口の売店等で休憩、午後三時頃に伊勢本街道の「道の駅」にふらふらとたどり着いた。 伊勢本街道の旧道を標識に従って奥津に下った。周囲の山からは「カナカナ」と鳴く蜩の甲高い声が熱気の澱む山間の空気を震わせていた。熊野古道以来、久しぶりに耳にした。 最高に厳しい健歩会だったが、4時35分三人ともに元気に無事に終えた。 <参加者>岡・三宅・一条(敬称略) |
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2008年6月例会 守山駅~琵琶湖大橋~坂本駅 21km | |||
一条会員からの報告 すぐにでも降り出しそうな守山駅を9時45分頃に出発する。旧中山道を横断し、鯉の遊ぶ小川に沿って西に向かう。田圃の広がる中のあぜ道から湖岸道に出る。琵琶湖も比叡の山並みまでもが湿気に満ち満ちた気配だ。 大橋の東詰に12時に着く。橋を上り一息入れると眼下に湖面には琵琶湖の風物詩になっている業法の1つ「えり」の仕掛けがあった。神社の境内で昼食とする。(12時30分~13時) 近江八景の1つ堅田の落雁で有名な浮御堂に合唱する。波にゆられているかと想像したが、御堂はどっかと湖に脚を据えていた。湖の風景に融和した姿を遠くから眺めるからこそ一層に際立つのだろうか。 雄琴の旧道に入り、JR比叡坂本駅に午後3時10分に着く。蒸し暑い一日だった。疲労の回復のため名駅地下で、一同元気回復の対策を施す。 【参加者】辻、葛原、岡、三宅、岡部、柄崎、一条(敬称略・順不同) |
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2008年5月例会 木曽福島駅~熊沢~幸沢~木曽福島駅 24km | |||
一条会員からの報告 気象情報は、雨になると繰り返して報じていた。参加者は、少数だなと予想していた。やはり木曽福島駅には岡さんと私の二人だけだった。道中寂しかったがコースは最高、今後、紅葉する季節にもう一度計画してみたい。 午前九時四〇分、薄日のもれる駅前を出発する。木曽の銘酒「七笑」酒造の前を通り、昔の中山道の雰囲気を留める家並みの一部に足を止め地元の人と立ち話をする。 熊沢川沿いに上ること約二時間、民家はまばらだ。採石を積んだダンプが三台と軽が三・四台通っただけである。最北の中幸沢は、三・四の集落で人影もなく静寂すぎた。今、上がってきた後方には、さまざまの模様の残雪を見せる木曽駒ヶ岳があった。こんな景色の中で、昼飯とする。 御岳山の頂上が右に見える峠を越し、午後一時過ぎに幸沢川の最上流に着く。弱い雨が降り出した。清流に沿って下り坂となる。国道三六一号線に合流するまでの二時間三〇分の間一台の車も通らなかった。 谷川の音は心地よく響く。左右から迫ってくる山々は、濃淡の緑一色で画かれた屏風絵のようだ。そのあちこちに薄赤色の「山つつじ」の花が咲いていた。川辺や厳しい崖の中程にも見られた。ひとりでに心が和む。 今日も完歩できたことに感謝し霧雨の降り続く駅に三時一〇分に戻った。 |
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2008年4月例会 上麻生駅~八百津~顔戸駅 28km | |||
辻会員からの報告 上麻生を10時20分出発。雨の中を標高差250mの登りはきつかったが、鶯の鳴き声にはげまされて正午過ぎに 楪に到着し昼食休憩をとった。 午後は雨もやみ、全国百選に選ばれた棚田をながめながら八百津迄下り八百橋から再び、登りにかかり足も重かったが下りは快調に飛ばし、16時30分顔戸に到着した。 参加者は、顔戸迄:池田、抦﨑、小川、辻榮、梅村、辻。八百津迄:加藤功、武藤。(敬称略順不同) |
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2008年3月例会 国府駅~五井山~名電長沢駅 16km | |||
一条会員からの報告 花冷えする国府駅前を9時30分に出発する。 風は幾分強いが春の空は快晴だ。参加は、15名あり終始大にぎわいとなった。 国坂峠下の熊野神社の境内で昼食をとる。 十一時半頃に峠から右の林道に入り、途中から厳しい登山道を巡り山頂を目指した。十二時三十分に到着する。 山頂から眼下の蒲郡市街地とその先に広がる三河湾に点々と浮かぶ小島の展望を満喫する。約三十分の休憩をとってから急傾斜の山道を注意を配り林道に出た。 名電長沢駅には二時五十分頃に着けた。お天気に恵まれ、また若い二人の新参加もあって楽しい一日でした。 【参加者】永田・福田・辻・葛原夫妻・村田・岡・池田・武藤・加藤・三宅・岡部・一条(順不同敬称略)初参加は梅村さん、辻榮さん |
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2008年2月例会 清水駅~清水港~羽衣の松~三保の松原~清水港~次郎長生家~清水駅 22km | |||
葛原会員からの報告 快晴の天気でした。清水駅を9時50分出発。予定では静岡駅まで歩くことになってい ましたが、羽衣の松にあった休憩所でラーメン、おでん手持ちの弁当等昼食を食べて休憩。 三保の松原から半島の先端まで行き、帰路は次郎長生家に挨拶して清水駅までの22k mを歩いて来ました。途中柄崎さんと離れ離れになり、清水駅へ15時50分に到着しました。 参加者は清水港集合写真の後列左より 辻、岡、一条、柄崎、村田、武藤前列左より葛 原、岡部の8名でした。 一条会員からの報告 2月23日は「富士山の日」だという。美しい姿を仰ぐのを楽しみに清水駅に下りた。だが、お山は春霞の彼方にかすかに見える。 10時に出発する。次第に風が強く吹く。気象の急変が心配になった。 11時前に三保の松原に着いた。広々とした太平洋を右に眺め、松風と波の音を心地よく聞きながら海岸道を北に向かう。 正午少し前に「羽衣の松」に着く。外での昼食は寒いので近くの売店にはいる。一同上機嫌となっていた。 空は黒い雲の覆われて、小雨がぱらついてきた。岬の松林の中や散歩道を廻る。待望していた三保の松原からの富士山は残念ながら仰げなかった。 老松や若松が海からの風に耐えている風景の中に、灯台、飛行場、大学の施設が点在していた。港が見える公園風の歩行者専用道を南下する。 次郎長親分にご挨拶をと生家を訪ねた。奥深い古い家屋の内部には種々の生活用具などが保存されていた。また、親分と子分衆が写っている写真をしみじみと見る、現在人との相の差違を感じたのは私だけだろうか。 4時前に清水駅に戻る頃には、雲は強風に払われて冨士のお山は夕空に表れていた。我らと一緒に写真に入ってもらう。感激だった。 |
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2008年 1月例会 新年会歩行 志摩磯部~伊勢道路を北上~伊勢神宮内宮~宇治山田 23km | |||
一条会員からの報告 新春の健歩会は無事に完歩したが、少々の反省と多くの話題を残した。 反省すべき事は、道路の交通状況を見誤ったことだ。伊勢道路は、幅員が非常に狭く、大型車両のすれ違いも困難なほどだ。それに歩道もない。特に志摩路と五十鈴川トンネルは、真っ暗で明かりもなく、危険があるので、これを避ける対策をとった。そして話題が生まれた。 【その1】 この道から外れ神路ダムの西側にある車両通行禁止の小道に入る。林の間の静かな、海からの風も当たらない遊歩するのに最高だった。途中、冬の陽を背中に受けてのんびりと昼飯とする。(11:30~12:00)再出発した。道は次第に淋しくなり、ついには消滅した。山仕事の人達の踏み跡を先頭いく元気なものは、それ行けそれ行けと突進する。 そのうちに進行方向が目標と反対方向になっていた。老体は、遅れ遅れで続く。急斜面の足場の悪い木立の間を腹這いになって、息の切れるのを我慢して、尾根にたどり着くも道は無し。今度は、恐ろしい下りに足が、ガクガクする。神宮域の山を右往左往すること約2時間を費やして、午後2時に志摩路トンネルの北口に着いた。 【その2】 内宮近くの五十鈴川トンネルも同じ条件だった。トンネルに入らず、入り口付近から下を流れる五十鈴川に降りた。堤防を歩くこと約20分して、内宮の拝殿がすぐそこに見える地点に着いた。 しかし、私達の眼の前には有刺鉄線で、電気を流している防護網があるのだ。今更戻ることも出来ず、入口を探してウロウロしてしまった。そこへ神宮の守衛が3人ほど駆けつけて来た。職務質問を受けることになった。冷や汗を流し事情を説明する。守衛の若者も大変好意的に対応してくれて、電気網に注意を促し、全員を拝殿前に誘導してくれた。京の健歩会の行動を説明し、住所・氏名などを申告して一件落着となった。 宇治山田駅近くでの新年会は、これらのことを話題にしながら話に花が咲く。また、F氏とM氏は『磯部』の駅名が読めずに三駅も乗り越したと自慢して大いに飲んでいた。 【参加者13名】福田・辻・村田・加藤・武藤・杉浦・池田・柄崎・岡・三宅・金田・小川・一条 (敬称略・順不同) |