思い出の写真集

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2011年12月例会 愛・地球博記念公園駅→名商大→天白川沿いに→名二環沿いに→相原 21km
 一条会員からの報告
   前日の16日夜に名古屋に初雪が舞ったという。やはり、長久手の万博会場跡の公園も冷気で肌も痛いほどだった。
   九時四〇分に駅前を出発したが、計画したコースを当初から大きく外れる結果となってしまった。今回は全体が平坦だからどこからでも予定の地点に行けるだろうと予想したが、それらの方角への道路がなかった。
   結局は東に遠回りした。過去の健歩会では幾度となく経験したことだったが、体験のないものには不思議に思ったであろう。
   県道215を南へ歩き名商大の東を経て県道58に出た。東名高速道路を潜ってから天白川の最上流の堤防道を平針まで西進する。ここから名二環の側道に沿って緑区の相原に四時前に着けた。
   真冬の少し強い風が吹き、昼飯も例年の如く震えながらとなる。
   忘年会は、四時から六時半まで、雨に苦しめられた一年の思いを酒と歌にのせて盛り上がった。
   参加者10名:岡・武藤・中嶋・柄崎・三宅・鈴木・高木・小川・一条・池田(忘年会のみ)

忘年会会場で記念写真
2011年9例会 本長篠駅→黄柳川沿いに上る→田沢→井伊谷→龍潭寺→気賀高校前駅 22km
  ◆一条会員からの報告
  富士山に初冠雪の便りが届いた二十四日の朝は長袖が必要だった。十時過ぎに本長篠を出発し深い谷底から水音を響かせる黄柳川に沿う国道を上る。
  途中の各所で第二東名高速の工事が行われている。山から山に懸かる橋梁は高い所で秋の陽光に照らされていた。
  紺屋平の道の駅(鳳来三河三石)に隣接する満光寺の境内で昼の休憩をとる。この寺院は戦国の世に織田・徳川軍と武田軍が戦った時の逸話も残っていると言うことだ。
  県境のトンネルを抜けると下りとなり、ルンルン気分で3時半に井伊谷の龍潭寺に着き、有名な庭園を観賞する。彼岸花の咲く頃の健歩会では、花を愛でて歩くのが恒例となった。そして『暑さ寒さも彼岸まで』という諺を体感している。
  今日の終点とした天竜浜名湖鉄道の気賀高校前駅には四時前に着けた。
  参加者12名:辻・村田・武藤・加藤(正)・岡・池田・三宅・高木・柄崎・杉本・小川・一条(順不同敬称略)

みんなで記念写真、岡さんは別行動です。
2011年8例会 美濃白鳥駅→長良川沿いに下る→大島→万場→島→自然公園駅 16km
  ◆武藤会員からの報告
   R156号は、車では何度も走りましたが、今回、長良川鉄道に乗るのも、沿線を歩くのも、初めての体験でした。
   天候に恵まれて、日射しも有りましたが、高原特有の澄んだ空気と、爽やかな風が吹いて、とても気分爽快な一日が楽しめました。素敵なプランを、ありがとうございました。
  ◆一条会員からの報告
   奥美濃にある白鳥町は、快晴だった。近くの山の頂に浮かぶ白雲は不思議と手が届きそうに感じられた。
   10時過ぎに出発し長良川の右岸出でる。山裾の道は次第に狭くなったがすいすいとそれを辿る。
   左側は清流長良川が渦を巻き岩に砕けしぶきを上げ白波を立てていた。下流とは表情が全く違っていた。山側からは蝉しぐれが降り注いでくる。あちらこちらに水溜まりのある、夏草の茂る道には両側からの自然の音に満ちていた。
   12時前にはほとんど人影もない万場町のゲートボール場で休息する。ここから県道を歩く。田圃は稲刈りを待つばかりに穂が色づいていた。稔りの秋がきたのかなぁ。
   電車の時刻の関係で一駅前の自然園前を今日の終点とした。2時20分ごろだった。
  参加者10名:村田・武藤・柄崎・中嶋・加藤(正)・三宅・高木・井上・一条・岡(遅れて別行動)(順不同敬称略)

みんなで記念写真、岡さんは別行動です。
2011年7例会 亀山駅→安知本町→安濃川→太田→観音寺→津駅 18km
 一条会員からの報告
   真夏の強い陽射しを浴びて亀山を出る。安知本や岩原地区を経て安濃川の左岸についた。緩い登り下りの続く坂道は幅員もそうない。それなのに予想以上に大型も含め通行量が多かった。今回は、コース選定に再考の余地があったと反省する。
   安濃川は、河川敷に自生して生い茂った樹木の緑の中を流れていた。すでに穂を出している稲田を渡って吹く風は汗でべたつく肌に気持ちがよかった。
   荒木辺りの左岸道路横の小公園の木陰で昼の休憩をとってから伊勢自動車道のICの北をくぐり、津の市街地に入った。午後2時30分頃に全員無事に津駅に着き、夏期対策を終えた。
  参加者7名、高島・辻・武藤・岡・杉本・三宅・一条(順不同敬称略)

道の駅:かあちゃん市
2011年6例会 南木曽駅→旧中山道→妻籠→雄滝・雌滝→馬籠峠→馬籠→落合川駅 24km
 一条会員からの報告
   南木曽から落合宿までの中山道は、朝方の降りで湿っているがよく整備されていた。うぐいすなどの野鳥の鳴き声や水かさが増した渓流の響を聞き濃淡の緑の彩りの中を歩いた。
   観光地の妻籠宿と馬籠宿は散策の人で、賑わっている。馬籠峠への途中にある女滝・男滝は吉川英治著の「宮本武蔵」で武蔵とお通が生涯で唯の一度ともに旅をしたロマンスの舞台に登場した。豪快に落下する滝の飛沫を浴びそんな思いをめぐらせ涼しさを味わう。近くの滝見茶屋(休業)の前庭で一息入れた。
   句碑や『白木改め番所跡』などの過去を秘めた多くの史跡で歴史に出合えた。また、山狭の道で行き違い挨拶を交わすハイカーに多くの外国の人の姿もあったのが印象に残った。
   落合宿に下る薄暗い石畳はこけが生えて滑りやすかったが、空は黒い雲が覆ってきて雷鳴に追われるように急いだ。高温多湿の気象のなか厳しいアップダウンの続く木曽路を六時間も歩いたので、老残の身には相当に応えた。
  参加者一〇名、高島・辻・池田・柄崎・三宅・加藤(正)・武藤・小川・高木(初参加)・一条(順不同敬称略)
  

2011年5月例会 名電赤坂駅→本宿一藤川→美合 14km
 一条会員からの報告
   二八日は東海地方もつゆに入り、台風二号の接近も重なって荒れ模様の天候となった。降りしきる赤坂駅には私一人だ。
  田植えのすんだ青々とした田と収穫期の麦の田が隣り合う風景を眺めてどうしようと考える。結局、コースを変更して東海道(旧道)を歩くことにした。
   道すがらの赤坂・本宿・藤川の旧宿場の街並みは、十数年前と変わりない。
   藤川小学校近くの狭い畑にこの地で芭蕉が句に詠み込んだとされる「むらさき麦」が五月雨に濡れ紫色の穂を垂れている。しばらく見ているうちに自然に感性を抱くことになった。
  午後次第に風雨が激しくなったので、美合で今日の終点とする。一時頃であった。 参加者:一名、一条(敬称略)
  

2011年4月例会 余呉駅→余呉湖一周→余呉川→木之本→国道365号→須賀谷温泉 22km
 一条会員からの報告
  今の季節に降る雨は、百もの穀物を育成させるという。その小雨模様の中、岡さんと二人で余呉湖畔を一時間半を費やして一周する。岸辺では50センチもある5・6尾の鮒を男性が料理していた。この湖で捕ったという。又満開の過ぎた桜が雨にうたれて散っている。
  余呉川に沿って歩く頃には雨具も必要なほどの本降りになり、12時頃に木之本駅に入った。
  午後は、国道365号を南下したが真向かいからの風雨は一層激しくなっていた。だが、田植えの準備に入っている田圃から聞こえてくる蛙の合唱は不思議と心を和ませるものがあった。
  小谷城址の地域にある歴史博物館には大河ドラマ「江」の人気で観光バスも入り、路端には数多くの幟が千切れんばかりにはためいている。
  2時40分頃、須賀谷温泉に着き、冷えた体をあたためた。
  参加者:2名 岡・一条(順不同、敬称略)

2011年3月例会 瑞浪駅→市原→小里川→小里川ダム→田代→下手向→岩村駅22km
 一条会員からの報告
 花の便りも届くというのに時どき吹雪く中の健歩会だった。小里川に沿う産郷辺りで強い風に乗り白いものが舞ってきた。
 小里城跡橋の高さに足がすくむ。横からの風が吹き抜けるので一層の恐怖心を抱かせた。高所の苦手な私には。
 小里川ダムサイトには早春の寒気の中にも散策を楽しむ人たちの姿があった。
 近くの道の駅『おかあちゃん市』で大きな水車の回るのを眺めて昼の休憩をとる。この駅の名物らしい。ここからの水しぶきが雪と混じって飛んできた。ベンチでは、私の隣の幼児が母親に昼ご飯を食べさせてもらっていた。寒いのに元気だと感心する。
 国道のあちらこちらに設置されている気温計は、一度から五度を示していた。三月下旬なのに寒天の里、山岡や岩村地区でも予想を越した気象ではないか。
 みんなお歳なのにお丈夫なことで、三時半前に岩村に着いてからも、一杯やる場所について、饒舌に話も弾んでいた。
 参加者:10名 高島・辻・岡・池田・武藤・加藤・小川・中嶋・柄崎・一条(順不同、敬称略)

道の駅:かあちゃん市
2011年2月例会 森上駅~馬飼大橋~千代保稲荷~羽島駅 20km
 一条会員からの報告
 早朝にはこの時候の冷たい風がほほを撫でていたが、雲のない快晴に恵まれ十一時になると汗ばむほどになった。
 清流木曽川を眺めて三十数年ぶりに馬飼大橋を岐阜側に渡る。少し遠回りして大須観音に合掌し、皆の後を追う。「はだかまつり」を見物に行き風邪をひいたらしい。休み休み歩いた。
 正午過ぎに朱色のお千代保稲荷の大鳥居を仰ぐ。土産物店の並ぶ参道は多くの人であふれていた。
 思い思いに昼の休憩となった。私は、隣接する神社の灯籠の基に腰を下ろしあたたかな早春の陽を背中に受け、まだ何も植えられていない四方に広がる田畑を眺めて昼食をとる。
 午後のほとんどは野良仕事も始まっていない郊外の小径をゆっくりとそしてのんびりと歩いた。 うららかな好日だった。
 参加者15名(順不同・敬称略): 辻・葛原夫妻・岡・武藤・加藤(功)・中嶋・三宅・柄崎・杉本・粟田・池田・小川・鈴木・一条

森上で全員写真 馬飼大橋をわたる 海津市内へ お千代保稲荷の参道
2011年1月例会 栃原駅~宮川を右岸を下る~田口~當津~津村~伊勢神社(外宮) 26km
 一条会員からの報告
 今にも雪になりそうな鉛色の空、又肌にくい込んでくる風が吹き、そして周囲は伊勢茶の畑の緑以外は枯れ野を眼にする。そんな伊勢路だった。
 栃原を10時に出発する。昔の風情を残している熊野古道に入る。寒さのためにペースは上がらない。
 當津地区の集会所のぬれ縁を借り受けて昼の休憩をとる。前庭の隅には赤い布を掛けてもらったお地蔵さんがたたずんでいた。
 宮川に沿う道も緩やかなアップダウンの連続だったが、午後は時速を5.5kmニに上げる。 全員よく頑張り、午後3時35分に外宮に到着し、世界の平和と健歩会の安全を祈念した、後にお神酒をいただく。
 参加者8名(順不同・敬称略): 辻・岡・武藤・柄崎・池田・小川・小菅・一条

伊勢神宮(外宮)
2010年12月例会 犬山駅~新郷瀬川~尾張富士~本宮山~大県神社~田県神社 16km
 一条会員からの報告
 師走の冷気にも負けず、長老の永田・福田・日置の三氏も久々の参加に大いに盛り上がり、総勢21名を記録した。
 新郷瀬川の右岸は所々未舗装で枯れ草の道を歩き大宮浅間神社に向かった。境内で全員写真に入る。ここから林道と登山道の二組に分かれ尾張富士の頂上をめざしたが、頂上真下はひときは急な階段が待っていた。
 12時前に神社の祠につき昼の休憩をとる。汗がひき寒くなるも、濃尾平野の素晴らしい眺望を楽しむ。途中、献石が数多くあるものの読む余裕もなかった。残念だ。
 明治村への下山道は危険な箇所があり、私は一米も滑り尻をついてしまった。落ち葉が積もっているのが原因だろう。
 閑静な明治村を左に見て本宮山に向かった。標高300mもない山だが、二つ目の山となるとやはり易くはない。一番後ろからぼちぼちと皆について歩いた。
 大県神社へは、楽々と下る。境内はもう正月の準備をしている人の姿があった。参拝してから街に出て田県神社に着いたのが、2時40分頃だったと思う。すぐ忘年会に突入する。
 参加者21名(順不同・敬称略): 永田・福田・日置・岡・池田・松平・柄崎・葛原・加藤(正)・加藤(功)・武藤・小菅・中嶋・小川・落合・三宅・粟田・辻榮・安達・藤岡・一条

大宮浅間神社で全員写真 新郷瀬川の堤防を歩く 尾張富士への登り道 田県神社のいわれ
2010年11月例会 安土駅→びわ湖よし笛ロード→長命寺→近江八幡駅20km
 一条会員からの報告

 野も山も紅葉の映える晩秋というのに違和感を覚えるほど温とい日となる。湖国は快晴に空に恵まれた。
 安土・八幡の水郷の里や西の湖畔に延びる「びわ湖よし笛ロード」を二時間ぐらい歩く。岸辺は紅葉したよしやススキに覆われていて、その彼方に数多くの鴨が群がっている。私が関心をもった、円山地区にある権座と呼ばれる埋め立てた浮島は風景の中に溶け込んでいた。
 長命寺へ上る石段は厳しすぎた。急傾斜で段差が高い。休み休みで三〇分余りを要した。本堂に着く。眼下のびわ湖を眺めて昼の休憩となる。
 八幡市街に入る。八幡堀にある水郷めぐりの船着場は、両岸からの紅葉の中にあり秋の日を受けた紅葉は水面に写っていた。又その昔、近江商人の商家が並ぶ町は、大勢の観光客であふれている。探訪してから駅に向かった。
 出席者(九名):高島・岡・武藤・池田・柄崎・杉本・三宅・小菅・一条(敬称略順不同)

 
2010年10月例会 木曽福島駅→関所跡→熊沢川→幸沢川→木曽福島駅24km
 一条会員からの報告

 木曽福島駅を発着とする信濃路を快晴の秋空のもと、そう快に歩いた。このコースは「車は通れるが車が余り通らない」道だ。
 期待したような錦織なす模様の景観には残念ながら季節は、一〇日ほど早かった。でも其処ここで眼に染みるように紅葉した樹木が数多く眺められて和めた。
 中幸沢の上り坂を遅れて歩く私の目の前に突然二匹の大きな犬が表れたので野良犬だろうと驚き、一瞬身構えた。この状態を遠くから見ていた皆の話だと山あいの民家の飼い犬だという。 標高一三〇〇米余りの幸沢高原に広がる落葉松の林はすでに黄葉し微風に誘われるように散っていた。年甲斐もなく「白秋」の詩が懐かしくなる。
 幸沢川の渓流の水音と自分の足音だけが聞こえる静かな山狭の下り道を急がされるように木曽福島をめざし、到着したのは三時過ぎだった。
 参加者:岡・武藤・柄崎・杉本・小川・鈴木・松平・中嶋・小菅・一条(敬称略順不同)

 
2010年 9月例会 本巣駅→万代橋→根尾川を上る→谷汲口→高尾→根尾谷断層→樽見駅22km
 一条会員からの報告

 根尾川の土手や田畑の畦、又そこここに生え茂った草むらにも彼岸花が咲き始めていた。この花は9月の健歩会には欠かせない。そして、花言葉が『再会』だというからなおさらだ。
 清らかな根尾川の流れは、ふか緑の山間の深い谷底を濃い紺色となりゆっくりと、また、瀬になると色彩ある石を敷き詰めたような川底を見せて流れていた。
 午後二時に根尾谷断層のある水鳥地区に着く。ここは、明治二四年一〇月に多くの被害をもたらした濃尾地震の震源地だという。断層の真上に建つ「地震断層観察館」に入り、学習をする。すぐ近くに保存保護されている断層の現場に立ってそのすごさを実感した。
 この夏の異常な暑さは、何処へ。根尾谷でさわやかな秋を感じた健歩会でした。
 参加者:岡・武藤・加藤・杉本・小川・松平・三宅・一条(敬称略順不同)

 
2010年 8月例会 名張駅~名張街道~鍵屋之辻~伊賀上野駅 20km
 一条会員からの報告
 8月の健歩会も猛暑日となる。それでも参加した9名は元気で名張から伊賀上野まで炎天下の国道を歩いた。
 両側に見る田園の稲は重くなった穂をたれてもう刈り入れを待つばかりの風情だ。
 菖蒲池のバスの待合小屋に入り昼の休憩をとる。交通量は予想を越して多かったが、終日北からの風が微かな涼しさを運んでくれた。
 伊賀市に入り、鍵屋の辻を訪ねる。寛永11年に剣豪荒木又右エ門が渡辺数馬らと数馬の弟の仇である河合又五郎を討った場所だという。こんもりとした森の中に数馬茶屋がひっそりと建っていた。故事を示す三米余りの石碑もあり、また辻角の「左なら、右いせ」の道標を眺めて懐旧の思いを抱く。午後二時過ぎ、上野市駅前に着く。ただただ暑かった。
 参加者:辻・岡・池田・柄崎・武藤・小菅・加藤・松平(初参加)・一条(敬称略順不同)
2010年 7月例会 本長篠駅~宇蓮川~赤引温泉~真立川~細川~陸平~湯谷温泉駅 15km
 一条会員からの報告
 猛暑日の続く名古屋の気温は、三十七度三分だった。奥三河の本長篠も同様で豊川左岸の県道は照り返しも加わり焼け付くような暑土になっていた。豊川用水の大野ダムを過ぎる頃には、頭から足先まで汗まみれにとなる。
 細川地区に入り小川のふちの木陰で水音を聞きながら昼の休憩をとり一息ついた。
 こそ先から山越えで巣山に出る近道に入ったが、結果は失敗だった。所々で、湧き水が流れ、落石がごろごろして歩き難い急な坂道は、どうも予定している山道ではなかったようだ。
 暑さで体力の消耗も著しく、また相当の時間を無駄にしてしまい、予定のコースを行くのは無理と判断して細川まで戻ることにした。
 細川から井代へは林間の静かで緩やかな坂道だった。緑陰の中、一時暑さを忘れさせた。湯谷温泉駅に三時頃について、ビールはおいしかった。
 参加者9名(順不同・敬称略): 辻・岡・葛原・村田・三宅・中嶋・杉本・小菅・一条

2010年 6月例会 安土駅~西の湖~円山町~長命寺 11km
 辻会員からの報告
 寺の多く目につく安土の町並みをみながら雨模様の中を蛇砂川から長命寺まで続く「びわ湖よし笛ロード」を歩いた。
 野鳥の鳴き声を聞きながら着いた西の湖では小型の遊覧船が3隻程望め、船頭の手漕ぎの艪で進む様子は今時珍しく思えた。
 水郷の里は「よしの里」で葦の中からはヨシキリのさえずりが耳を楽しませてくれた。西の湖と琵琶湖をむすぶ水路に架かる橋の桁には航路用の信号が設置されており、遊覧船や漁船が行きかっていた。
 昼ころ長命寺に到着、808段の石段に最後の汗をかき今日の行程を終えた。
 参加者:小菅、辻(敬称略順不同)
2010年 5月例会 恵那駅~笠置橋~木曽川~姫栗~中野方川~蛭川峠~棚田(博石館) 29km
 一条会員からの報告
 雲も次第にとれて五月晴れとなった。
 恵那駅前を9時30分に出発する。木曽川右岸の高台にある姫栗地区は、農地の基盤整理が施工されていて以前は段々にあった田畑は僅かにその面影を残すだけになっていた。
 中野方川に沿う県道六八号を上る。昔は飛騨街道(白川)と中山道(大井)を往来する街道であったらしい。路傍の夏草の中や樹影には多くの道祖神が見受けられた。旅人の守護をしたのだろう。
 新畑のゲートボール場で昼の休憩をとる。西の方角の斜面には、坂折の千枚田が扇状に広がり、また東には笠置山やこれから越していく蛭川峠の上に夏近しと思わせる雲が浮かんでいた。熱くなり峠までのくねった急な坂道に息も乱れたが、50分あまりの杉木立の道には自然が満ちていた。
 今洞から南へ回帰し恵那に向かったが、どこで間違えたのか、遠回りして中津川市の蛭川に着く頃には5時に間がなかった。博石館の前の「ここしか館」で地ビールを飲み恵那行きのバスを待つことにした。東濃地方の山々の緑が眼に浮かぶ。
 参加者:辻・岡・粟田・武藤・杉本・一条(敬称略順不同)

2010年 4月例会 三ヶ根~西尾~岡崎~東岡崎 24km
 武藤会員からの報告
 9時30分、JR三ヶ根駅に10人のメンバーが集合。
 旧23号線を西に向かって歩く。
 冷たい風が吹いているが快晴に恵まれて歩行も快調、西三河の平野は緑が豊かで気分良く歩ける。
 駒場町から広田川左岸の堤防を北上し、更に占部川に沿って北上する。途中、加藤氏が体調不良でリタイア。
 JR東海道線のガード下をくぐり抜けると既に岡崎市内に達する。
 名鉄岡崎駅に15:00到着した。

 池田会員からの報告
 4月も早いもので桜も散り小春日和が続くと思いきや、夏日はあったり冬日は来たり、そんな今日この頃。
 風の強いやや寒い中三ヶ根駅を出発し、広田川沿いの土手にて到底町では味わえない正午を示すお寺の鐘を聞き昼飯をかねて休憩を取り、一段落した後占部川沿いに土手を多数の鯉や鴨を見ながら歩きました。
 余談ですが打ち上げに行った居酒屋の女将の名前が春らしく非常に印象に残りました。その名は、「春詰菜美子」さん。
 参加者10名(順不同・敬称略)
 武藤、加藤、鈴木、井上、小川、杉本、三宅、中嶋、岡、池田
広田川の堤で全員写真
2010年 3月例会 井田川駅~国道306号(巡見街道)~水沢茶屋~こもの駅 20km
 一条会員からの報告
 鈴鹿の山山から吹く風は冷たいが、伊勢路には春の日差しが満ちていた。
 両側に広がる伊勢茶の畑はどれも萌えるにはまだ早いようだ。道端に見る桜の花も咲き始めたばかりで、満開まで五・六日はかかるだろうでも伊船町の辺りでウグイスの音を聞くことができた。
 井田川駅を出てから終日、畑中の道を歩き三時前にこもの駅に着けた。
 国道三〇六号の水沢茶町と桜町西の間、林の中に車の行き来もままらぬほどに狭い巾の坂道がくねっていた。
 この三キロには、忠実に残る巡見街道の面影がかすかにうかがえる。現在この区間は、新しい道路の工事が進められていた。
 参加者7名(順不同・敬称略)、村田・岡・武藤・三宅・加藤・小菅・一条

2010年 2月例会 豊田~鞍ヶ池~追分~足助(香嵐渓) 20km
 一条会員からの報告
 夜来の雨が止むとこの時季にはめずらしく二〇度近くまで上昇し、豊田市駅前を出発する頃には長袖では温くといぐらいだ。
 岩滝で県道に分かれ、池田・矢並方面に向かう。ここからは、通行量も少ない山間部の道だった。
 山中町から東海自然歩道に入り元中山峠を越して大島に向かう。降り続いた後なので歩道はじくじくと滑りやすく下りには気を配る。巴川を渡り再度左岸の自然歩道を歩く。
 足助地区にある塩の道、中馬街道の宿場町に二時三〇分頃に着いた。街道は「中馬のおひなさん」のまつりのために歩行者天国になっていて多くの観光局で賑わっている。
 町並みの商家には「竹びな」「土びな」などや、江戸・明治・大正の各時代制作されたおひなさまが、それぞれに豊かな表情でひな壇に飾られている。これらを観賞しているとひとりでに心もなごんでくる。沿道には、餅花も売られていた。こんな健歩会も又別の楽しみ方があるものだ。
 参加者12名(順不同・敬称略)
村田・葛原夫妻・武藤・柄崎・服部・岡・加藤・三宅・中嶋・池田・一条

2010年 1月例会 松阪駅~斎宮~明野~外宮~内宮~五十鈴川駅 30km
 一条会員からの報告
 松阪駅前を出発して伊勢神宮を目指し冷気の中、伊勢街道を歩いた。寒さのために手足の指先が痛くなるほどだ。街道はあるところでは家並みの間の小径となり、又拡幅された立派に整備された区間もあった。
 正午前に街道を外れ斎宮跡を訪ねる。田園地帯の中の広々とした公園だ。家族ずれの団らんする姿やスポーツを楽しむ人たちがあった。芝生に腰を下ろし「斎宮」での人々はどんな生活を過ごしたのだろうかと思いを馳せる。
 明野にある名物の「へんば餅」により小休止をとる。約二〇〇年以前の安永年間の創業だという。家屋は外観からして歴史を偲ばせる。正面には大きな金看板を上げてある。私の心を留めたのは、一歩入ると現代風とはかけ離れた店構えだったことだ。昭和初期以前の様をしている。板座敷の縁に腰をかけ、一皿二個の餅菓子を賞味して、お茶を飲み周囲を眺めると自然に郷愁を覚えた。
 外宮をそして、四時前に内宮に参拝する。冬の日暮も迫っていたが「おかげ横丁」も神宮境内もまだ大勢の参拝者でにぎわっていた。例により宇治山田駅前で身体をあたためる。
 参加者十八名(今までの最高)
岡・鈴木(了)・平子・武藤・三宅・栗田・池田・杉本・井上・加藤(功)・小川・葛原夫妻・柄崎・村田・辻・中嶋・一条


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