小牧山・小牧市歴史館(小牧城)
小牧山は、織田信長や豊臣秀吉・徳川家康が関係している歴史的にも有名な山です。
今でも、山の中には城跡と思われる堀や土塁(どるい)が残っています。
1563年(永禄6年)、織田信長が美濃(今の岐阜県南部)の斉藤氏を攻めるために、清洲城(今の清洲町)から小牧山に移りました。
4年後、斉藤氏を攻め滅ぼして美濃に移り、小牧山の城は、誰も住まなくなりました。
1582年、織田信長が本能寺の変で死んだ後、信長の家来同士の勢力争いがおこりました。その1つが小牧・長久手の戦いです。
1584年(天正12年)、豊臣秀吉と徳川家康が戦いました。豊臣秀吉軍は犬山方面から、徳川家康らの軍は小牧山の城跡をなおし、再び城を築きました。
小牧では大きな戦いはなく、長久手で主な戦いがありました。
その後、両軍は小牧方面にもどり、にらみ合いがありましたが、やがて両軍とも戦いから退きました。
8ヵ月後、秀吉・家康は和解しました。小牧山の城は再び誰も住まなくなりました。
昭和2年、国指定史跡となり、大変貴重な文化財として認められました。
昭和43年、山頂に小牧市歴史館がたてられました。市民は小牧城と呼んでいます。
歴史館の4階からは、小牧市内はもちろんのこと、天気さえよければ、北は御嶽山などの山々、南は名古屋の町並みも見ることができるすばらしい眺めです。
小牧市歴史館
参考文献
・ 小牧叢書16「小牧山城」 1998
・ 小牧市歴史館 1986
・ 「小牧」(社会科副読本 中学校編)2002
(以上 小牧市教育委員会)
・ 尾張北部の文化財マップ 2003 (尾張北部広域行政圏協議会)