ここはグラシアーナ大陸南東部、ナタールの大森林。人跡未踏の動植物達の楽園である。ここには古くから大樹の精霊ユマテラが多大な魔力を持ち、外界からの敵の侵入を封じていた。生い茂った緑、木々の間から燦々と照る日の光、優しく吹き抜けるそよ風。ここでは邪悪なる者の存在は皆無である。動物達、または森の妖精達は平和に、静かに暮らしていた。
ある日、妖精族の一人フェリアは、いつものように森の中を心赴くままに彷徨っていた。彼女は小動物達と戯れたり、花を摘んで身体に飾ったりするのが好きだったのである。すると、どこからか泣き声のようなものが聞こえてきた。声がする方へと向かうと、可愛らしい人間の赤ん坊が、ある木の根元で仰向けになり、泣いていた。身に纏うものはなく、裸の状態である。
「あら? この子は一体どうしたのかしら? 人間はここには入ってこれないはずなのに。こんな森の奥深くに?」
不思議がりながらもこのまま放っておくことができるはずもなく、フェリアは赤ん坊を抱きかかえた。妖精は地域によっては人間の手のひら位の大きさのものもいるが、この大森林の妖精族は人間とほぼ同じ大きさで、やや細身ではあるが、人間の赤ん坊を抱いて運ぶ分には十分な体格をしていた。
妖精族の集落に戻ると、仲間の妖精達が一斉に集まってきた。
「その子、どうしたの?」
「森の中で見つけたのよ」
「ここには人間は入ってこれないはずよ」
「私もそれは不思議に思うのだけれど、放っておくわけにもいかないからこうして連れてきたの」
「可愛いわね」
「ねえ、私達でこの子を育てない? まだ赤ん坊だから、ここで育てば良い子になるわよ」
「そうね、そうしましょう」
「そうしましょう」
「名前は何がいいかしら? フェリア、あなたが見つけたんだから、あなたが付けなさいよ」
「そうね。それじゃあ……アレルというのはどうかしら?」
フェリアが赤ん坊を見ると、心なしか嬉しそうな顔をしたように見えた。
「いい名前ね。それじゃあ、アレル、これから私達が一生懸命良い子に育ててあげるからね!」
こうして、アレルと名付けられた赤ん坊は妖精達に育てられることになった。

赤ん坊はすくすくと育っていった。森の動物達も遊び相手になり、アレルはすぐに自然の中に溶け込むのが好きになった。アレルは成長するにつれ、特殊な能力を発揮するようになった。動物達と話をすることができるようになり、さらには自然を操ることができるようになったのだ。そよ風で木の葉を散らせて遊んだり、雨を降らせたりすることもできた。
逆に嵐を静めたり、地震が起きたりした時もパニックになった動物達をなだめながらアレルが静めてしまった。このようなことが続いたある日のことである。ナタール大森林の大樹の精霊ユマテラはフェリアとアレルを呼び出した。アレルはいつものように風を操って無邪気に遊んでいる。
「フェリア、今日お前を呼んだのは他でもありません。この子供のことです」
「はい、ユマテラ様。どうやらこの子はかなり特別な力を持っているようでございます」
「自然を操り、地震すらも静めることができるなどと、未だかつてそのような能力を持った人間など生まれたことはありません。それに、私がこの大森林に結界を張っているにもかかわらず、ある日突然森の中に現れたこと自体が不可解なことです。一体この子が何者なのかは私にもわかりません。
ただ、はっきりとしているのは、気をつけて育てないと力を暴走させてしまうおそれがあることです。下手をすれば自然を破壊し、世界をも滅ぼしてしまうかもしれません」
「そんなことはさせません。私達みんなで愛情いっぱいに育てておりますし、とても賢い子ですもの。きっと心優しい良い子になりますわ」
「そうですね。とにかくこの子は絶対に邪心の多い人間達と関わらせてはなりませんよ。これだけの力を持っているとなると、魔族も狙ってくるおそれがあります。私はこの大森林を守ることに専念しますから、お前もこの子の育て方には注意しなさい」
「はい、ユマテラ様」

それからしばらくは何事もない日々が続いた。アレルは自然界の仕組みに好奇心旺盛で、動植物や自然現象に関する知識をあっという間に覚えていった。その気になれば自然界の支配者となることも十分可能であるほどであった。

異変が起きたのはそれから数か月後である。ある日突然魔族が押し寄せてきたのだ。モンスターの群れを指揮しているのは相当な高等魔族のようで、大樹の精霊ユマテラの結界を破りどんどん森の中に侵入していく。森の木々は次々と焼き払われ、真昼の様な明るさになった。火の粉が舞い、熱風が荒れ狂い、大森林全体が橙色に染まりつつあった。動物達は逃げ惑い、まだ火の手がまわっていない場所へと駆け込んでいった。
ナタール大森林の中には地下水脈と繋がる洞窟があった。広大な大森林といえども、多大な魔族の侵略によってほとんど焼け野原と化し、安全な場所と言えるのはここだけとなった。しかしそれも時間の問題であった。アレルを連れたフェリアと仲間の妖精達、生き残った動物達はここに集った。アレルは何が起きたのかはっきりとわからないまま怯えている。
「ユマテラ様……」
「もうここもいつまでもつかわからないわ。せめてこの子だけでも安全な場所へ逃がしましょう」
「でもどうやって?」
妖精族の一人が魔力のこもった石を持ってきた。
「古くから私達妖精族に伝わっている、このテレポートストーンを使えばどこか遠くへ飛ばすことができるわ」
「危険じゃない? ワープした先も危ない場所だったら」
「魔族達はきっとこの子を狙ってきたのよ。彼らにアレルを渡すわけにはいかないわ。決して」
「ここも、もう駄目だわ。後はこの子が安全な場所へ行くことを祈るしかないわね」
妖精達は魔族の手に渡さぬよう、万が一の時の為にとっておいたテレポートストーンをアレルに対して使用した。
「そんな! 一人は嫌だよ! みんな!!」
アレルが叫んだ時にはもう遅かった。アレルは意識を失った。

アレルが意識を取り戻した時、そこにあったのは見渡す限りの砂――砂――砂――どこもかしこも砂だらけであった。動物達も妖精達もどこにもいない。まるで虚無に包まれたようである。植物すら見当たらない。あるのは唯、砂のみ。天を仰げば雲ひとつない空。身を焦がすような日差し。地面を見れば砂だらけ。そこは果てしなく広がる砂漠の海であった。



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