カランドリエ・ドゥ・ラヴァン
ビュッシュ・ド・ノエル
「ただいま!」
玄関から聞こえてきた威勢のいい声に、カリダは、洗い物をしていた手を止めた。泡を落とした手をエプロンで拭きながら、まさかと思い玄関に向かうと、そこには、想像したとおり息子の姿があった。冬に入った頃に買ったダッフルコートの前も開けたまま、荒い息で靴を脱いでいる。何を急いでいるのか、忙しなく動き、しかし、その無駄の多い動きが逆に、その手を遅らせていた。
「ちょっと、キラ、落ち着きなさい」
声をかけると、キラは一度だけ母を見上げ、唇を舐めた。そして鼻で大きく息を吐き、ことさらゆっくりとした仕草でブーツの紐を解く。今度は上手く脱ぐことができた。
「どうしたの、こんな時間に。今日はまだ、アスラン君の家に泊まるはずだったでしょう」
「ちょっと…」
「ちょっとって何よ。あ、こら、キラ!」
心配げな母を振り切って、キラは家の中へと駆け込んでいった。玄関には、いまだエプロンに手を包んだままのカリダのみが残される。
「もう…」
途方に暮れたため息が、朝の空気に白く漂った。
「そうなのよ、レノア。急に帰ってきたものだから、びっくりしちゃって」
翌日の昼、カリダは友人と電話で連絡をとっていた。昨夜のうちに連絡しようかとも思ったのだが、彼女の多忙を慮って結局できないでいたところに、あちらから電話が入ったのだ。
やはりキラは、本来ならもう何日かアスランの家にいるはずだったところを、急に帰ってきてしまったらしい。レノアの不安げな声を聞くほどに、そのキラの不可解な行動がアスランの心に与えた影響の大きさを感じ、申し訳なくなってくる。
しかし、せめて理由をとあれから何度か尋ねたものの、キラは、頑として口を割らなかったのだ。
「まったく、誰に似たのかしら」
唇を尖らせると、電話の向こうでレノアが軽く息を吐いた。カリダの幼い物言いに、わずかに緊張が解れたようだ。しかし、それも一瞬のこと、すぐに、彼女の声は沈んだ。
「何かアスランが気に障ることでも言ったのかしら」
「まさか、そんな様子じゃなかったわ」
「そうなら良いんだけど…」
「たぶん、キラが勝手にやっていることなのよ。アスラン君のせいじゃないわ」
何とか気持ちを上昇させようと言葉を重ねるが、レノアは「そうかしら」と頷くだけで、その声は低いままだった。
結局、今現在二人の持つ情報をつき合わせてみても、キラが帰った理由はわからない。また連絡を取り合うことを約束して、彼女たちは各々の仕事に戻った。
受話器を置いて台所に戻ると、ちょうどキラが居間へと顔を出した。普段なら部屋にいることが多い上、今は昨日のこともありカリダを避けている様子の彼である。それだけに、カリダは眉を顰めた。
「どうしたの」
「うん、その…教えて欲しいことがあるんだけど」
「何を」
ついつい尖った声で接してしまう自分を自戒しながら、カリダは息子の言葉を促した。しかし、次に告げられたその内容に、さらに声を尖らせる結果になる。
「ケーキのつくりかた?」
思わず、声が裏返る。それは、彼女には予想し得ない内容だった。不可解と顔に書いたカリダをよそに、キラは、勢い込んで言葉を重ねた。
「そう、ほら、あの木みたいな」
「ああ、ビュッシュ・ド・ノエル」
ケーキの種類は分かったが、なぜつくりたいのかはいまだ分からない。確かに、そろそろクリスマスだ、ケーキを食べたくなる理由なら分かる。しかし、それならば、一言「食べたい」、もしくは「つくって」と言えばいいはずだ。自分でつくる理由にはならない。
今まで一度だって手伝いを進んでしようとはしなかったキラだけに、カリダは、喜ぶべきことではあるはずが、逆に不安になってしまった。
「何でまた」
「いいから!」
小さな身体に力を入れて、キラは仁王立ちになった。噛み付くように睨み付けるが、カリダには子犬のようにしかみえない。
これが人にものを頼む態度だろうか。そう思ったが、自分の子だ。しっかり躾けなかった自分が悪いのかも知れない。カリダは諦めたようにため息を吐くと、今にも泣き出しそうな息子を見下ろした。
「足りないものを買いにいかなくちゃね」
すると、すぐには言葉を理解できなかった様子のキラが、見る見るうちに顔を綻ばせた。
「ありがとう、母さん!」
「ああ、そうかあ、そういうこと」
「なに?」
「ううん、何でもないわ…ああ、そこで薄力粉を振り混ぜて」
キラに粉の入った容器を渡しながら、カリダはひとりごちた。今つくっているケーキの目的、それに、ようやく得心が行った。真剣な顔で取り組む息子は、普段の彼からは想像できないほど、正確な手つきでボウルの中身を混ぜている。実際にそれを目にしてしまえば、その真剣さの裏にあるものに気づくまで、そう時間はかからなかった。
カリダに見守られながら、キラは、手際よく手順をこなしていった。焼き型に生地を流し込み、あらかじめカリダが温めておいたオーブンへ入れる。あとはしばらく待つだけだ。お茶を飲みながら待っている間も、キラの視線はオーブンに貼りついたままだった。待ちかねた音がして席を立ったときなどは、カリダの目には、犬の耳と尾が見えたほどだ。
しかし、ケーキが完成に近づくにつれて、キラの手は鈍っていった。
「ねえ、母さん、これ、違うよ!」
ケーキの上に苺を乗せる段になって、ついにキラの手が止まった。それもそのはず、今彼の目の前にあるのは、つくりたかったビュッシュ・ド・ノエルではなく、ただの苺のショートケーキなのだから。
「仕方ないじゃない、あれは難しいんだから、初心者のキラには無理よ」
「でも…」
諭すように人差し指を立てる母に、キラはぐずぐずと視線をさまよわせた。それを受けて、カリダは子供のようににやりと笑い、冷蔵庫へと向かった。
「はい、キラ」
「これ…」
彼女が冷蔵庫から持ってきたのは、チョコレートでつくられた飾りだった。
「これで、少しはクリスマスらしくなるわよ。まあ、アスラン君なら気にしないと思うけど」
耳元で告げられた言葉に、キラの瞳が見開く。何故ばれたのだ、と、その顔が語っていた。
満面の笑みを浮かべて、カリダは、勝ち誇るように胸を張った。
「お母さんは、何でもお見通しなのよ」
カリダママンがデスティニーで一緒に住んでいたのにも驚きましたが、そのおしとやかな立ち居振る舞いに、何より一番びびりました。勝手に豪快な人に仕立て上げていた私が悪いんですが、でも、イメージが…。
なぜこんなイメージを持ってしまったのかはなぞですが、私の中のカリダママンは、肝っ玉母ちゃん一歩手前って感じです。息子にがみがみいってそうな感じ。レノアママンがあんまり息子を怒ったりしなさそうだから、その好対照というか。
とにかくママンたち大好きです(2005-12-25)。