プティ・パパ・ノエル
そんなこんなでレノアとアスランは月に行ってしまった。
「そろそろクリスマスだな」
突然何を思い立ったかそう切り出してきたシーゲルに、パトリックは眉根を寄せた。
「だから何だ」
むっつりとした表情で、自分の座る机の前に立つ彼を見返す。
穏やかな陽の差す執務室の昼下がり。パトリックはいつものように、秘書官の手を借りながら、山積みになっている仕事を黙々とこなしていた。そこに突然現れて、目新しくもない世間話を小一時間続けた末に出てきたセリフが「クリスマス」だ。いつものことながら、シーゲルの行動は読めない。
一般的に、コーディネーターは信仰を持たない。ほとんどの宗教に特徴的な「人は神の創造物である」という考えが、彼らの存在と相容れないからだ。しかし自由を尊ぶプラントのこと、信仰を持つこと自体は何ら禁忌ではない。中にはクリスマスを祝う者だっている。
ただし、パトリックは生憎キリスト教徒ではなかった。シーゲルはどうか知らないが、自分にはクリスマスなどただの冬の一日に過ぎない。
「何って、クリスマスと言えばプレゼントだろう。サンタが煙突から…」
「もういい、結構」
うんざりした顔で、嬉々としてクリスマスについて語りだそうとするシーゲルを止める。だが敵も然る者、その程度のことでは引き下がろうとはしなかった。むしろ、更に攻撃の手を強めてくる。
「月は、信心深い人が多いらしいな」
唐突に出てきた「月」という単語に、パトリックの表情が固まる。いや、もともと固まっていたが、それが更に強張ったのだ。横で見ている秘書官すら気付かないほんの微かな変化。それをシーゲルは確実に引き出していく。
「地球に近いからだろうかね。クリスマスも、一般的なイベントらしい」
「…何が言いたい…」
ひっ、と秘書官が息を呑む。それも当然と思えるような低く押し殺した声で、パトリックはシーゲルを睨みつけた。
しかしそれを受けたシーゲルは、平然とした顔でこうのたまったのだ。
「アスランにプレゼントはあげないのかい?」
プレゼントが最大の問題だ。
レノアは店頭に並んだ色とりどりのクリスマスツリーを前にして、思案気な顔で腕組みをした。
市内でも最大のショッピングモール。今日は速く仕事を切り上げて、彼女はひとりクリスマス用品を物色しにここまで来ていた。
いつも留守番ばかりさせて構ってやれない息子のため、レノアはクリスマスを一緒に祝う計画を立てていた。普段一緒にいられない埋め合わせになるとは思っていないが、それでも初めてのクリスマスを、最高のものにしてやりたい。
部屋飾り、リース、ツリー、家の外を飾る電飾、…。ケーキの作り方もばっちりモノにしたし、準備は万端。そう、肝心のプレゼントを除いては。
何を上げて良いか迷っているわけではない。一緒にいられる時間が少ないとは言え、それなりに息子の好みは知っている。だが、問題は好みどうこうではないのだ。
レノアから貰ったものならば、アスランはそれがたとえ何だったとしても喜ぶだろう。白い頬を薔薇色に染めて、天使の微笑を浮かべてくれるはずだ。それはわかっている。でも、その一方で、アスランが悲しむのもわかるのだ。
「つまり問題は、あの人よね…」
父親からのプレゼントがないことに。
アスランの同級生の中には、サンタを信じている子はほとんどいない。皆、父親と母親からの贈り物としてプレゼントを受け取る。しかし、アスランの父親、パトリックは月にはいない。
出来るだけ、皆と同じように祝ってやりたかった。
「とりあえず、『お父さんからよ』って言って渡そうかしら…」
口に出してみて、それが現実味のない話だと実感する。パトリックがプレゼントを贈ってくるというのも非現実的ならば、それにアスランが気付かないと言うのも非現実的な話だ。
「聡い子に育っちゃったものねぇ…」
さすが私の息子。
苦笑して、レノアはまた、腕組みをした。
家に帰ると、奥からぱたぱたとアスランが駆けてきた。上気した頬に笑みを浮かべ、嬉しそうに「おかえりなさい」とキスをする。
珍しい。いつもなら、こんな風に駆けてきたりはしないはずだ。息子の頬にキスを返しながら、レノアは首を捻った。
「あのね、ははうえ。キラが、クリスマスパーティーをしようって」
ああ、なるほど、そういうことか。嬉しそうに話すアスランを見て、彼女は合点した。
アスランの遊び相手にと、友人が息子を連れて遊びに来たのは、レノアとアスランが月へ来たその週のことだった。最初人見知りをするアスランはキラの存在に戸惑ったようだが、今では何をするにも彼と一緒だ。
「そう、それは良かったわね」
「あ…でも、ははうえ。ぼく、はやくかえってきますから…」
レノアの微笑みに、アスランの笑顔がすまなそうに翳った。自分のいない間一人きりになるであろう母親を気遣ってのことだ。
そういったアスランの大人びた気配りに、レノアは思わず苦笑する。
「私のことは気にしなくていいのよ。楽しんでいらっしゃい」
そうしてまた、今度は逆の頬にキスを送った。
「アスラン、いらっしゃい!」
キラの家に着くと、満面の笑顔で迎えられた。
昼前の穏やかな時間帯。家の中には暖かい光が満ちており、外の寒さを忘れてしまうほどだ。
「メリークリスマス、キラ」
母に教えられた挨拶を口にすると、キラが驚いたように目を丸くした。もともと大きな目が、零れんばかりになっている。
「キラ…?」
「うふふ。いらっしゃい、アスラン君。メリークリスマス」
第三者の声に目を向けると、家の奥からキラの母親が出てきたところだった。
「おじゃまします」
「ええ、上がって頂戴。キラのことは気にしないで。アスラン君が可愛いから、戸惑ってるのよ」
可愛い。ぺこりとお辞儀をしながら、その言葉に小首を傾げた。キラのほうが可愛いと自分は思うのだが、と。
我に返ったキラが、アスランの腕を無言で取った。そのままぐいぐいと部屋に連れて行こうとする。
「え、あ、ちょっと…キラ!」
なすがままにリビングに通されたアスランは、キラに引っ張られて、その隣に腰掛けさせられた。
母親がそれを見て、呆れたような声を上げる。
「もう、キラったら、アスラン君が戸惑ってるじゃない」
それにも生返事を返して、キラは食い入るようにアスランを見詰めていた。
キラの父親も交えたパーティーは、とても楽しかった。キラも少し経つといつもの調子を取り戻し、笑顔で他愛のない話を嬉々と話してくれた。キラの母親の料理はとても美味しく、何より、家族全員で祝うこのようなパーティーが、アスランには新鮮であり、暖かかった。もちろん、それには少しの痛みも伴ったのだけれど。
このちくりと胸を刺す感じは何なのだろう。答えを知りながらも、少し小首を傾げてみる。
父は、今頃どうしているだろうか。母は、自分の帰りを待っているだろうか。そんなことが思考の隅に付きまとい、アスランの顔を翳らせた。
「どうしたの、アスラン。たのしくない…?」
心配げにキラに覗き込まれ、はっと我に返った。
「う、ううん、キラ。たのしいよ」
「そう…?あ…」
ふと、何かに気付いたかのように、キラの目が見開かれた。だがすぐに嬉しげに細められ、口元には笑みが浮かんだ。
「キラ…?」
不振に思って見返すと、キラの手が肩に伸びてくる。両肩をつかまれ、引き寄せられた。
「キ…」
更に言葉を続けようとした、そのときだ。
ぺろり、と頬にざらついた舌の感触。続いて、そのまま口を寄せられた。
思考が真っ白になる。
「な…なっ…キ、キラ…!」
我に返り、慌ててキラを引き剥がすが、上手く舌が回らず言葉にならない。
それを見て更に笑みを深くしながら、キラは何でもないことのようにこう言った。
「クリームだよ」
キラの母親の作ってくれたクリスマスケーキ。そのクリームが、頬についていたのだと。
そう聞いて、アスランは真っ赤になった。
「あ、ご、ごめん…ありがとう…」
そのまま俯いてしまう。
「かわいい、アスラン」
キラは嬉しげにアスランに抱きつくと、そのままその耳元に囁いた。
「メリー・クリスマス」
家に帰ると、部屋の中は真っ暗だった。
「ははうえ…?」
か細い声で母を呼ぶが、何の返事もない。
おかしい。何かあったのだろうか。
恐々としながら、リビングへ向かった。いつもなら明かりが点され暖かな雰囲気を纏っているはずのその部屋。しかし今日は、暗闇に沈んでいた。
いや、違う。その暗闇の中に、暖かな柔らかい光が満ちている。蝋燭だ。
「メリークリスマス、アスラン」
不意に、背後から抱き締められた。
「ははうえ…!」
「ふふふ、驚いた?」
頑張って用意したのよ、という言葉に周りを見回せば、色とりどりのクリスマス用品。部屋の真ん中には大きなツリーが飾られ、テーブルの上には柔らかな光を放つ蝋燭と、美味しそうな料理。外に目を向ければ、家に入るときには気付かなかったが、電飾の光が瞬いていた。
「ははうえ…」
嬉しさの余り、アスランの声が震える。
「あらあら…」
苦笑して、レノアはアスランを更に強く抱き締めた。
料理を食べて、一通り話し込んでから、アスランを寝かしつけた。
結局、プレゼントは渡せなかった。アスランもそこのところは理解したようで、何も言わなかったが、きっと寂しさを感じさせてしまった。
すまないと思う。でも、こればかりはどうにもならないのだ。
テーブルの上に両肘を突いて、小さく溜息を零した。と、控えめに玄関を叩く音がする。
こんな時間に誰だろう。しかも、チャイムを鳴らさないなんて。
不審に思いながらも玄関を開けると、そこには一人の男が立っていた。記憶に残るその顔に、一瞬目を見開く。
ほんの少しの驚き。だが、男が小脇に抱えたものを見て、驚きと共に喜びが湧き上がった。
それは、クリスマスの包装を施された、小包だった。
「それ…」
放心したように指差すと、男が苦笑する。
「本当はザラ国防長官自らこちらに来たかったようなんですが、照れていらして…」
男は、パトリックの秘書官だった。
それはつまり。レノアの顔に、確かな笑みが浮かぶ。
「では、確かにお渡ししましたよ」
「あの…お上がりになってください。お茶でも…」
そのまま玄関先で去ろうとする秘書官にレノアが家に入るように勧める。
しかし彼は悪戯っぽく微笑むと、首を横に振った。
「いえ、私はこれで帰ります。ザラ長官が忙殺されないうちに」
クリスマスの夜は、更けていく。
「クリームなんてついてなかったわよねぇ…」
妻の言葉に、青ざめるキラの父。対照的に、どこか嬉しげなキラの母。
「早速レノアに報告しなきゃ」
クリスマスの夜は、更けていく。
題は、ティノ・ロッシ(仏)作曲「Petit papa Noël」から。