とりかえばや08

美しい花嫁は、何も知らなかった。夫となる者の姿も、人となりも。

「和歌ひとつ寄越さぬ相手と夫婦となることに、フレイは不満を感じないのですか」

御簾越しの乳兄弟の言葉に、花嫁は、可愛らしく首を傾げた。艶やかな赤毛が、さらさらと揺れる。

「だって、お父様が認めた相手だもの。きっと良い方よ」

何を拘るのか分からない、と言いたげに、眉を寄せる。

「ニコルは、この結婚に反対なの?」

すると乳兄弟は、彼女の機嫌をとるように、両手を挙げ、苦笑した。簡素な狩衣の袖が、宥めるような心地よい音を立てる。

「反対、というわけではありませんよ。お噂で存じ上げるだけでも、カガリさまは、将来を約束された立派な公達です。ただ」

そこで一度言葉を切り、部屋を見回す。そこには、この日のために揃えられた、煌びやかな調度が並んでいた。

「これだけ急に、何もかもお膳立てされてしまうと、不安になりませんか」

「あら、急ではないわよ」

フレイが唇を尖らせ、否を唱える。

「お父様は前々から、左大臣へ打診していたのだもの」

「そこですよ。打診しても和歌ひとつ送ってこなかったというのに、急に手のひらを返したように結婚を了承するなんて」

「どういう意味?」

「いえ、それは」

不機嫌に語尾を跳ね上げたフレイに、ニコルは口を噤んだ。それを見計らったように、庭から微かな葉擦れ音が聞こえてくる、先に気づいたニコルは、遅れて耳を澄ませているフレイに目配せした。

「いらっしゃったようですね」

「そのようね」

早口に答えた彼女の頬は、赤く染まっていた。声音から彼女の緊張を読み取ったニコルは、ひとつ息を吐いて、席を立つ。本来なら、強張りを解くよう気の利いた言葉でもかけるべき立場であるが、この縁組みを聞いてから続いている違和感に、喉元が詰まっていた。

「それでは、御前を失礼いたします」

事務的に告げ、内心では後ろ髪を引かれながらも、そのまま音もなく部屋を出て行った。訪れた静寂に、フレイの緊張は、否が応にも高まる。隣室には何かあったときのために女房が控えているのだが、まるでこの世に一人きりで残されたような心地がした。

がさり、と今度ははっきりと茂みの揺れる音がした。フレイは思わず脇息から身を起こし、暗闇を注視する。すぐ側の庭から聞こえてきた。目が闇に慣れた数瞬の後、美しく整えられた庭の片隅に、薄らと輝く狩衣を見つけた。そして、金の髪と琥珀の瞳を。思い描くより繊細な唇からは、想像よりも幾分高めの、しかし確りと力強い声が響いた。

「初めてお目にかかる。カガリ・ユラ・アスハだ。上がってもいいだろうか」

庭木を掻き分けて現れたその人は、闇夜の中でも、輝いて見えた。

フレイは、何も知らなかった。カガリの正体を疑いもしなかった。だから、女房から言い含められていたとおり、花婿を部屋へ上げ、御簾の中へ誘い、その腕に身を寄せた。あとは、殿方の成すに任せればよい。そう聞いていた。

フレイの柔らかな女性らしい体に、カガリは、驚いたように肩を震わせた。だが、おずおずとではあるが、その滑らかな背に鍛えた両腕を伸ばし、華奢な身体を確りと胸に抱き込んだ。しかし、狩衣の豪奢な刺繍が頬に擦れたのか、フレイが身じろいだのを見て、また体を離した。改めて見れば、烏帽子まで被っている自分とは違い、フレイは肌着しか着ていない。その事実を確認し、頬に血が上った。

「無粋な格好で、すまない」

そうして苦笑した顔があまりにも子供めいていたので、フレイも小さく笑ってしまった。翌朝、女房の声で二人して起こされる頃には、彼女の心には、カガリへの思慕が芽生えていた。

久しぶりすぎて申し訳なくなる更新です。日本語おかしいな。配役すごく迷いましたが、お嬢様といえば彼女しかいないかと。(2009-02-06)

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