千匹皮

昔々あるところに、王さまとお妃さまがおりました。お妃様は金の髪を持ち、この世界に並ぶものがないほど、美しい人でした。ところがある年、お妃さまが病に倒れてしまいました。もう長くはないと感じたお妃さまは、王さまを呼んでいいました。「わたくしが死んだ後、もしもあなたが再婚をするならば、相手は、わたくしに負けないくらい美しい娘にしてください、わたくしのような金の髪の娘に。そう、約束してください」。王さまがそれを約束すると、お妃さまは瞳を閉じ、そして、もう二度と目覚めることはありませんでした。

長い間、王さまは悲しみに沈んだ日々を送りました。ですから、新しい妃を迎えるつもりもありませんでした。しかし、ついに見かねた大臣たちがいいました。「どうしようもないことです。王さまは、再婚しなければなりません。わたしたちにはお妃さまが必要なのですから」。そして、使者を世界中に送り、前のお妃さまと並ぶような美しい娘を探しました。ですが、世界中探しても、お妃さまのような金の髪を持つ娘はただの一人も見つかりませんでした。使者は、仕方なくそのままお城へ戻りました。

それは、まだ、私が幼い子供だった頃の話です。父と母は忙しく、毎日のように家を空けて、代わりに叔父が一緒にいてくれた懐かしいあの頃、叔父は、私にとって、もう一人の父親のような存在でありました。

「何を読んでいるの?」

その頃の私は、食後、読書をすることを日課としておりました。そして、叔父がその私の側に寄って、のぞきこむように本の内容を尋ねる。これもまた、日課となっていることでした。

「へえ、童話か。それ、僕読んだことないなあ」

目を輝かせのぞきこんでくる叔父に、私は少しだけ得意な気持ちになって、一緒に読まないかと勧めました。今から考えてみれば、なんと単純な子供であったことでしょう。

美しいお妃さまの挿絵を見つめながら、私は、頬を上気させて、期待に胸を膨らませておりました。しかし、次の頁をめくると、そこには思いもよらない物語が広がっていたのです。

王さまにはひとりの娘がおりました。お姫さまは、死んだお妃さまと同じく美しく、金に輝く髪を持っていました。ある日、王さまは成長したお姫さまをご覧になり、お姫さまがお妃さまに瓜二つであることに気づきました。そして、激しい恋に落ちてしまったのです。王さまは、大臣たちにいいました。「わたしは娘と結婚する。姫は、妃に瓜二つだ。姫ほど妃に似た花嫁を、世界中を探しても見つけられなかったのだから」。大臣たちはそれを聞いたとき、たいへんな衝撃を受けました。「神は、父と娘が結婚することを禁じております。そのような罪を犯しても、何も良いことはありません。国を傾けるだけでございます」。

この衝撃を何といえば良かったのでしょうか。今なら、それに「背徳」という名がつけられていると知っております。しかし、当時の私はそのような言葉も知らず、ただ、恐ろしいことだと、そう身体を震わせることしかできませんでした。

「どうしたの、寒いの」

心配げにのぞきこんでくる叔父に、何でもないと答え、私は、また紙面に目を戻しました。

お姫さまは、王さまの決定を覆そうと、結婚する条件として、四つのものを求めます。太陽のドレス、月のドレス、星のドレス、そして、千匹皮です。無理難題と思われましたが、王さまは、じきにそれらを集めてしまいました。太陽のように黄金色に輝くドレス、月のように白銀に輝くドレス、星のように明るく輝くドレス、そして、国中の獣の皮でつくったマント。それらを前に父親から結婚を迫られたお姫さまは、ついにお城を逃げ出します。これには、千匹皮が役に立ちました。千匹皮をかぶることで、お姫さまは、あたかも獣のように見えたのです。しかし今度は、逆に奇妙な獣だと間違われ、捕らえられてしまいます。お姫さまは千匹皮を脱いで人間の姿に戻り、お城の下働きとなりました。

ここまで読んで、私は一度、顔を上げました。すると、私を見守っていたのだろう叔父と視線が合います。

「もう、寒くないみたいだね」

にっこりと笑う叔父を目にすると、ほっと力が抜けていくのを感じました。守られているという安心感。きっと、お姫さまもそうだったに違いありません。父である王さまに、私と同じように信頼を寄せていたのに、最悪の形で裏切られた。どんなにか辛かったでしょうか。きっと、だから逃げ出したのです。

話は続きます。下働きとして働いていたお姫さまですが、お城の舞踏会に出なければならなくなりました。持っているドレスといえば、あの三着のみ。一度目の舞踏会にお姫さまは太陽のドレスを着ていきました。王に気に入られてしまいましたが、千匹皮をつかって、何とか逃げ出すことができました。二度目は月のドレスを、そして三度目は星のドレスを。しかし、この三度目の舞踏会で、ついにお姫さまは捕まってしまいます。

王さまはいいました。「花嫁よ、わたしたちは、もう二度と離れてはならないのだ」。そして、お城では結婚式のお祝いが行われました。彼らは、死ぬまで幸せに暮らしました。

よほど暗い表情をしていたのでしょう、本を閉じる私に、叔父が手を差し伸べました。

「大丈夫?どこか、調子が悪いの」

私は、頬に添えられた叔父の手を振り払うこともなく、ゆるゆると首を振りました。

なぜ、お姫さまは幸せだったのでしょうか。あんなに嫌がっていた結婚であるというのに。しかも、信じていたはずの父親との結婚、神に背く行為であるというのに。

「いい話だったね」

ぽつりと告げられた叔父の言葉に、私は我が耳を疑いました。呟くように、しかししっかりと告げられたその言葉に、無視し得ない情感がこもっていたからです。

「最後には、お姫さまにも王さまの気持ちが分かったんだよ」

どんな気持ちだというのでしょう。笑顔で告げる叔父に、私は徐々に混乱していきました。しかし、それを口にすることは、ついぞできませんでした。

叔父には、分かっていたのでしょうか。お妃さまとお姫さま、二人に狂った王さまの気持ちが。

番外編です。いやそれにしても暗い。暗い話が好きなんです。

「千匹皮」は、グリム童話の一節です。粗筋ばかりで端折ってありますが、本当、最後の部分が納得いかない話です。でも、こういう不条理な物語が好きだったりします。同志求む(2005-12-27)。


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