ある少女のものがたり 02

一年に渡る留学は、実りあるものでしたが、それは同時に、私にとっての足踏みに他なりませんでした。

プラントから帰って、私はまず、父と母を参りました。叔母のことも養父のことも、そして叔父のことも、全てを置いて。私は、私を産み育ててくれた二人を前にして、これから進む道をゆっくりと考えたかったのかも知れません。ただ無性に、二人の顔を見たい、そう思ったのですけれど、それはすでに適わぬことでありました。ですから私は、白百合の花束だけを手に、二人の眠る場所に向かったのです。

そこはとても静かで、安らかな空気を漂わせた場所でした。もちろん、騒々しい場所に死者を眠らせるはずはありませんから、これは当然のことでしょう。ですがそれでも、死者の寝床であるという以上の静けさが、そこにはあったのです。それは私の心にのみ浮かんだ思いでしたのかもしれません。父と母が眠るという、そのことについての感傷なのかもしれません。ただ、二人のもとへと並木道を歩みながら、私の心が洗われていったこと、それだけは確かなことなのです。

まず驚いたのは、二人の墓前に、何の花も生けられていないことでした。それだけではありません、二人の眠る場所は、花どころか満足な清掃もされず、すっかりと荒れ果てていたのです。何よりもまず、叔父の身に何かあったのではないかと、そのような不安が私の心をよぎりました。叔父が健勝であれば、毎日でも二人のもとを訪れるに違いないと、根拠がなくともそう信じていたからです。しかしその荒れ方は、毎日どころか、月に一度、いえ、もしかしたらもう何年も人の訪れがないような、そのような様子を表していました。

一度も参っていないのかも知れない。確信の形を取れぬままも、私はどこか当然のことのように、それを受け入れておりました。思えば花すらもないのです。枯れた花すらも。ただ、受け入れることはできても、納得はできなかった。母は良い、しかし、父は。あの叔父が父を打ち捨てておくものだろうかと、今度はそのような不安が私を襲いました。

そしてそれは、叔父の変容を告げる、一つめの印だったのです。

思えば、それは変容などではなかったのかも知れません。叔父はもともと、父に並々ならぬ執着を持っているように見えました。だから私が知らぬだけで、実際には叔父にそういった部分が前々からあったのかも知れない。しかし、それが決定的な意味で表面化したのは、確かにこのときが初めてだったのです。

込み上げる不安に突き動かされ、私の足は自然、叔父のもとへと向かいました。彼は以前と同様に、父母の家のすぐ近くに居を構えていました。私は自分の帰る場所であるはずの父母の家よりも先に、その叔父の家へと足を踏み入れたのです。

久しぶりに見た叔父の顔は、以前と何処と言えるほどの変化があったわけではありませんが、しかし私の胸に漠然とした不安を抱かせました。「おかえり」と私を抱きしめるその腕の温かさは変わらないのに、何故だか心の奥底が冷えていくような思いがいたしました。ですが、それも一瞬のこと、次第にその感覚は叔父の穏やかな笑顔の下に溶けていき、気付かぬうちに私の目には見えなくなってしまったのです。

墓地でのことは、どうしても口に出すことが出来ませんでした。それは私の胸の奥に、禁句の一つとして仕舞われました。叔父はきっと、父母の死を認められないのだ、だから二人のもとを参ることができないのだ、と私は半ば強迫観念のように、そう思い込もうとしました。

穏やかで、そしてどこか生ぬるい日々。いつまでも続けば良いと思い、しかしすぐに終わりが来るであろうことを、私は知っていました。それでも、そのことから目を逸らし続けたかったのです。

父母の死後、深く眠れぬ日々が続いた私は、薬を処方していただいておりました。そして、留学するまでは叔父に、そして、プラントでは養父に、薬に関する全てを任せていました。成人とはいえ、私には、社会的立場も何もありません。医者を介して受け取る以外に、その種の薬を手に入れる手段を持たないのです。しかし、医者に相談することもはばかられたものですから、叔父や養父に頼る他ありませんでした。

私の不眠は、プラントから戻った後にも続きました。薬に頼る憂鬱な夜が続き、そしてある日、恐れていた出来事が起きてしまったのです。

その日、目が覚めてみると、寝室中が荒らされていました。そうです、薬による不自然に深い眠りが、家に入り込んだ盗人の気配さえをも包み隠してしまったのです。私は、自分の不覚を呪いながら、近隣に住む叔父へと助けを求めました。

家中を叔父と見てまわりましたが、荒らされてはいるものの、特にこれといってなくなったものはありませんでした。被害といえば、足先につけられた小さな傷のみ。それもすでに出血の止まったごく小さなもので、被害を届け出る際に聞いたところによると、傷害事件にもならないそうでした。

とはいえ、身体を傷つけられたと気づけなかったことは、私と叔父に大きな危機感をもたらしました。不眠であろうとも薬をやめねばならないと決意したものの、しかしその考えは、叔父によって取り下げられました。私の身体に負担をかけてはならないと、そう言うのです。その代わりにと、叔父は、自分との同居を提案して参りました。さらには、自分の養子にならないか、とも。

「ずっと考えていたんだよ、君を引き取りたいって」

以前ならば苦笑と共に断っていただろう話でしたが、すでに自分ひとりで暮らすことに不安を感じ始めている以上、叔父の好意を受け入れるほかにありませんでした。ただ、養子になる件は考えさせて欲しい、私はまだ、父と母の子でいたいのだと訴えると、叔父は残念そうに、しかしどこか嬉しそうに微笑み、まぶたを閉じたのでした。

幼い頃から、父と母に連れられて、叔父の家へはよく足を運んでいました。ひとりで住むには少し広いその一軒家は、今は別れられた奥さまが、慰謝料代わりに置いていったものなのだと、以前母が話してくれたことがありました。見た目よりも随分優秀な叔父よりも、高給を稼ぐ叔母。それがあの「叔母」と同一人物であるかどうかは分かりません。ただ、その奥さまはきっと、叔父を嫌いで別れたわけではないのだと、そのようなことを、私は、幼い頃からずっと考えていました。叔父に残された家は、労わるようなぬくもりを宿し、とても居心地が良かったからです。その家に自分がこれから住むのだと思うと、何故だか酷く後ろめたい思いがいたしました。

小さな鞄一つを手に、私は叔父の家へと移りました。家財道具は叔父のものがあるからと持たせてもらえず、また、服なども叔父が買うと言って譲らなかったため、運ぶべき荷物はほとんどありませんでした。ですから、引越しというよりも、それはまるで幼い頃のお泊りの準備のようでした。私にはあまり親しい友人が多くはありませんでしたので、お泊りというと、大抵が叔父の家へ行くことを指していました。

「そんなところもよく似てるね」

父にも泊まりに行く友人は自分しかいなかったのだと、叔父はどこかうっとりとした笑みで、誇らしげに語りました。

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